著者
金澤 弘 吉岡 健二郎 古田 真一 羽生 清 木下 長宏 井上 明彦 並木 誠士 松原 哲哉 金澤 弘
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1996

近代国家は自国民のアイデンティティ確保の体系を整えていったが、これは自己目的的な有機体としての国家のイデオロギーを創出することであった。有機体の概念は芸術制度に対しても適用されたが、実のところそれは元来芸術作品を範型として考えられたものである。この本来的な両義性が、近代国家における芸術の制度化に際して二つの側面をもたらした。一つは芸術を積極的に社会組織に同化させようとするものであり、もう一つは芸術を国家道徳から乖離させるものである。日本においては、近代化が国家主義的な反動を一八八〇年代に引き起こした。たとえば、岡倉天心によって押し進められた日本画の特権化である。しかし、これは実際には一種の西欧的芸術概念、すなわち国家の自己主張を表明するものとしての芸術という考えを導入したものである。他方、一つの典型的に日本的な(そして中国的ではない)伝統があって、それによれば芸術の世界は社会的政治的生からの対蹠物としてみなされる。それが芸術家、とりわけ小説家や文人画家の何人かをして、みずからの芸術を西欧化に対し均衡を保つためのものとして考えさせることになった。夏目漱石の場合はそれである。文化的アイデンティティとしての芸術は、こうして二つの方向にその機能を分岐させた。国民国家の有機体モデルと、生来の(これもまた人為的な)自己なるものへの参照物である。しかしまさにこの時、芸術に対する歴史的な態度が普及していき、その近代的な考え方にもう一つの観点を付け加えることになった。それによれば芸術はもはや自分以外の何者の有機体のモニュメントでもなくなり、芸術についての自律的学問に博物館学的資料を提供する領域となる。またそれと同時に、国家的アイデンティティの方も、芸術の領域以外のところ、とりわけマス・コミュニケーションのうちに次第に有効性を見出していったのである。