著者
須田 珠生
出版者
日本音楽教育学会
雑誌
音楽教育学 (ISSN:02896907)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.13-24, 2020 (Released:2021-03-31)
参考文献数
44

本稿では, 校歌の歌詞内容の変容を明らかにし, そのうえで1930年代に校歌が全国的に普及した背景に何があったのかを検討した。学校が校歌を作成し, 歌うようになったのは1890年代のことである。当初の校歌の歌詞に学校の所在を顕著に示す語句, 例えばその地域の山川や歴史が詠われることはほとんどなく, そうした語句が積極的に校歌の歌詞に出てくるようになるのは, おおよそ, 大正期になってからであった。1930年代になると, 郷土教育運動の展開に伴い, 地理的・歴史的環境を詠んだ校歌は「郷土の歌」として位置づけられるようになる。「郷土の歌」として位置づけられた校歌は, 学校という範囲を越え, 地域社会にまで結びつきを持つ歌として性格づけられるようになった。すなわち, 学校は, 在学児童・生徒だけでなく, その地域全体の人々を校歌の歌い手にすることで, それぞれの地域社会における共同体意識の形成という地域づくりの一端を校歌に担わせたのである。
著者
須田 珠生
出版者
日本音楽教育学会
雑誌
音楽教育学 (ISSN:02896907)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.1-12, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
18

本稿では, 『東京音楽学校作曲委託関係書類』を主な史料として, なぜ学校はその学校固有の歌である校歌を作るようになったのかを明らかにした。『東京音楽学校作曲委託関係書類』とは, 東京音楽学校と同校に校歌の作成を委託した学校との間でやりとりされた往復文書の綴りである。東京音楽学校には, 1907 (明治40) 年から1945 (昭和20) までに計456件の校歌の作成委託がなされている。校歌の作成は法令によって義務付けられてはおらず, 作成には資金が必要であったにもかかわらず, 学校は校歌を作るようになった。とりわけ1930年以降には, 東京音楽学校への校歌委託件数が急増する。学校は, 同校へ校歌作成を依託することで「優れた校歌」を手に入れ, 自校の校訓や理念を盛り込んだ校歌を, 式典や儀式の際に学校外部者に向けて披露した。校歌は, 周囲の環境や徳目を児童生徒のあるべき姿と結び付けることで自校の理念を体現し, 独自性を打ち出す手段だったのである。