著者
須藤 真志
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.18, pp.117-136, 1998-09

本稿は一九四一年の日米交渉の失敗の原因を木村汎教授の「交渉研究所説(その一)」に依拠して、木村氏の論文の枠組を使って分析したものである。木村論文は「交渉の定義」と「交渉と文化」に大きく分けられている。交渉とは何かという分類で日米交渉を見たとき、コミュニケーション・ギャップとパーセプション・ギャップがあったことがはっきりした。また、文化との関係ではアメリカの合理主義と日本の非合理主義の違いが明確となった。また日本は大東亜共栄圏をグランド・デザインとして作る気はなかったのであるが、アメリカ側は日本が東南アジア一帯を支配するための一種のドミノ理論で解釈していた。そのための時間稼ぎとして日米交渉を見ていたのである。日米交渉は交渉学の観点からみてもかなり困難な交渉であったことが良く理解できた。交渉が失敗して戦争となってしまったのは、必ずしも両国の交渉者の力不足であったとばかりとは言えないことを交渉学は教えている。