著者
飯田 清昭
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.1398-1407, 2014 (Released:2015-03-01)
参考文献数
16
被引用文献数
1

中国で発明された紙とその製法が,東へは日本へ,西へはサマルカンドからダマスカスを経て北アフリカからスペインに伝わり,その後ヨーロッパに広がった。別に,ギリシャからヨーロッパへ入ったルートもあるようである。そのヨーロッパで,産業革命による種々の技術革新を取りこんで,近代製紙産業に生まれ変わり,それが全世界に広がっていった。本稿では,2000年前に発明された紙が,近代製紙産業の誕生に如何につながっているかを追ってみた。歴史的には,植物が普遍的な構造単位として持っている繊維が,紙の構成原料(パルプ)として利用されてきた。しかし,産業革命以前では,利用できる薬品は木灰(炭酸カリウム)と消石灰で,処理温度は100℃までである。また,繊維をフイブリル化させる叩解動力は,人力か水車(木造)動力までである。これでは木材は到底利用できず,靭皮植物(大麻,楮,亜麻)や竹を手間暇かけてパルプ化した。結局,各地域で入手できる植物を,工夫を凝らして利用し,求められる品質になるように改良してきたのがその歴史である。中国では,蔡倫の発明とされる時代(105年)より数世紀前から紙が作られてきたとされている。その紙は木簡・竹簡に代わって使用され始める。さらに,中国社会の発展により,需要が増え,それを満たすことで(楮の利用)社会の発展を促した。そして,紙は,文章の媒体であるのみならず,生活に密着した必需品となっていった。それを支えたのが,大麻,楮に続く竹のパルプ化で,豊富な原料を手にしたことで,福建省を中心に大型の生産拠点が生まれ(大量生産によるコストダウン),唐代から明代までの中国文化の全盛期を支えた。中国の製紙技術は,イスラム地域との交流を通して,独自のイスラムの製紙技術になっていった。
著者
飯田 清昭
出版者
JAPAN TECHNICAL ASSOCIATION OF THE PULP AND PAPER INDUSTRY
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.1398-1407, 2014
被引用文献数
1

中国で発明された紙とその製法が,東へは日本へ,西へはサマルカンドからダマスカスを経て北アフリカからスペインに伝わり,その後ヨーロッパに広がった。別に,ギリシャからヨーロッパへ入ったルートもあるようである。そのヨーロッパで,産業革命による種々の技術革新を取りこんで,近代製紙産業に生まれ変わり,それが全世界に広がっていった。本稿では,2000年前に発明された紙が,近代製紙産業の誕生に如何につながっているかを追ってみた。<BR>歴史的には,植物が普遍的な構造単位として持っている繊維が,紙の構成原料(パルプ)として利用されてきた。しかし,産業革命以前では,利用できる薬品は木灰(炭酸カリウム)と消石灰で,処理温度は100℃までである。また,繊維をフイブリル化させる叩解動力は,人力か水車(木造)動力までである。これでは木材は到底利用できず,靭皮植物(大麻,楮,亜麻)や竹を手間暇かけてパルプ化した。結局,各地域で入手できる植物を,工夫を凝らして利用し,求められる品質になるように改良してきたのがその歴史である。<BR>中国では,蔡倫の発明とされる時代(105年)より数世紀前から紙が作られてきたとされている。その紙は木簡・竹簡に代わって使用され始める。さらに,中国社会の発展により,需要が増え,それを満たすことで(楮の利用)社会の発展を促した。そして,紙は,文章の媒体であるのみならず,生活に密着した必需品となっていった。それを支えたのが,大麻,楮に続く竹のパルプ化で,豊富な原料を手にしたことで,福建省を中心に大型の生産拠点が生まれ(大量生産によるコストダウン),唐代から明代までの中国文化の全盛期を支えた。<BR>中国の製紙技術は,イスラム地域との交流を通して,独自のイスラムの製紙技術になっていった。
著者
飯田 清昭
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.72, no.7, pp.754-759, 2018

<p>例えば,紙・板紙の消費量を年次に対して対数でグラフ化すると,その年の勾配がその年の変化率となる。1950年からの紙・板紙の消費量の変化を調べると,1970-1975年を境に年当たり増加率が13.2%から3.8%に激減,さらに1995-2000年からマイナス0.9%となっている。これらの時期に,日本のGDP(名目)の年当たり変化率も14.5%増から8.6%増,さらに0.0%と変化しており,社会・経済がこれらの二つの時期に大きく変わったと理解され,製紙産業の生産活動もそれに大きく影響されたことになる。</p><p>製紙産業の日本経済の中での立ち位置は,1960年で製造業の約3%を占め,以後漸減気味であるが,その位置を保っている。これは,浮き沈みの激しい他産業に比して特異的である。また,長年にわたって,輸入,輸出ともに10%以下で,輸出をしない代わりに,輸入紙圧力に対し内需を保ち続けたことになる。</p><p>日本の社会・経済が先の二つの時期に大きく変化する中で,製紙産業がその地位を保ち続けることができたことには技術的な対応が寄与したと考える。その歴史を次号から追いかけてみる。</p>
著者
飯田 清昭
出版者
JAPAN TECHNICAL ASSOCIATION OF THE PULP AND PAPER INDUSTRY
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.69, no.8, pp.854-863, 2015
被引用文献数
1

紙には2000年の歴史がある。人々がその価値を認めて,2000年間使い続けてきたのである。一方では,使ってもらえるように2000年間に亘り技術開発を続けてきた。個々の技術開発は,その当時の社会の経済・文化と大きくかかわっていた。<br>歴史的に,紙の使用量は社会の豊かさ(例えばGDP)と強い相関があった。社会が安定し,豊かになると紙の需要が増し,それを満たす技術開発が生まれてきた。蔡倫による紙の発明は後漢の発展期であり,竹パルプの開発は唐・北宋の中国文明の爛熟期であった。イタリアはルネッサンスの発展期にゼラチン処理の書籍用紙を開発,オランダは17世紀の最盛期にHollander beaterで動力革命を演出,イギリスは産業革命の先頭に立っていた19世紀に抄紙機を開発した。<br>これらの技術開発でコストが下がった紙は印刷技術の発展を促し,多種の印刷物が社会に出回ることになった。日本では,江戸時代に和紙の特性と木版印刷を組み合わせ,いろいろの印刷物が出版された。さらに紙は日常生活で,素材としても種々に利用された。<br>紙は,世界の広域国家(中国王朝や中央アジアで栄えた大帝国)において,統治の伝達の手段として重要な役割を果たしてきた。一方,ヨーロッパでは活字印刷を発展させ,生産性を上げた紙とコストを下げた活字印刷が組み合わさって,印刷物が広く社会に普及・利用された。その規模は日本をはるかに凌ぐもので,ルネッサンス,宗教改革,啓蒙主義,産業革命と続く社会の変革を引き起こした。<br>Kremerが100年前に述べたように,紙に記すことで可能になった知的活動の開花が新しい文明の時代を生み出した(Blossom of mental activity made possible by paper started a new era of civilization.)。