著者
香山 はるの
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.37-47, 2004-03-15

ディケンズの描く女性はヴィクトリア朝の性をめぐるイデオロギーを強く反映しているとしばしば言われる。たとえば、彼の小説には、当時の社会で理想とされた女性像-清らかで優しく夫を支える「家庭の天使」ともいうべき女性キャラクター-が多く登場する。また、ディケンズの世界ではこうした「家庭の天使」とそのイメージから外れたいわゆる「逸脱した」女との間に明白な境界線がある。そして前者は「善」、後者は「悪」という価値判断が明確に小説の中に描きこまれているのである。こうしたことから、これまで多くの批評家がディケンズの女性キャラクターを一面的、画一的だと批判し、この作家の女性に対する認識の甘さを指摘してきた。しかし、こうしたディケンズの特長は特に初期の作品に顕著であり、中期、後期の作品になると微妙に様相が異なってくる。それは一言で言えば、彼の「逸脱した」女性への関心が高まってきたということであろう。前期の作品では、こうした「規格外」の女たちは、コミカルな効果或いは風刺の目的のために使われる場合が殆どであったが、1850年代あたりからはよりシリアスに扱われるようになる。本稿では特に後期の代表作と言われる Great Expectations を取り上げ、3人の「規格外」の女たちについて考察した。すなわち、押しつけられた「母性」に縛られるミセス・ジョー、男に棄てられ「家庭の天使」になりそこねたミス・ハビシャム、ハビシャムの男性への復讐の道具として使われるエステラである。3人の女は社会の規範に反し、或いは挑戦したために手酷い報いを受けるが、ディケンズは彼女たちの言動の背後に潜む問題に鋭く目を向けている。また、エステラについては苦しみを超えて成長した姿が示唆されていて特に興味深い。彼女は続く Our Mutual Friend のベラと同様、ディケンズの数少ない「成長するヒロイン」である。エステラやベラの内面の葛藤や道徳的覚醒の描写は、晩年のディケンズの女性に対する洞察の深まりを示すものと言えるだろう。
著者
香山 はるの
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.35-42, 2003-03

この論文はAnthony Trollopeの後期の作品The American Senatorを'condition-of-England' novelとして読む試みである。アメリカからイギリス見聞にやってきたElias Gotobed(以下Senator)は,好奇心旺盛で見るもの聞くもの全てについて,愚直なまでに正直なコメントをし,しばしば周りの者を苛立たせる。その様子は読者の笑いを誘うが,小説中の彼の役割はそういった喜劇的なものにとどまらない。たとえばSenatorは,国教会や陸軍,選挙区等,イギリスの諸制度に潜む不平等や矛盾を指摘するが,実際彼の見方は間題の核心をつくものが多い。また,彼はイギリス社会の腐敗を階級の問題と結びつけ,貴族の金権支配や上流階級に蔓延るマテリアリズムなどを,痛烈に批判する。Trollopeは究極的には,Senatorの示唆するようなイギリスの社会構造の変革までは考えていないようだが,その内部にある(上に言及したような)様々な間題についてはしばしば,このキャラクターの声を借りて自分の見解を主張している。この小説が出版された当時はSenatorの辛辣なイギリス批判に反感を抱く批評家も多く,評判は概して芳しくなかった。しかし,この小説を今後のイギリスのあるべき姿を探った'condition-of-England' novelとして捉えると,Senatorこそがその要となる人物であることがわかる。Senatorは外国人訪問者という立場から,イギリスの「常識」を外から眺め,(イギリス人自身が気づかない,或いは認めたくない)その非合理性を暴いてみせる。小説の後半,Senatorの講演は中断され,彼は再び'New World'に戻るが,彼の残したメッセージは,ヒロインMary Mastersの幸せな結婚といったコンヴェンショナルなエンディングに完全にかき消されることなく,その余韻を残している。The American Senatorには,それまでアメリカをはじめ,様々な国を旅してきたTrollopeが体得した2つの視点-内なる母国と外から眺めたイギリス-が興味深く交錯し,深いアイロニーを生み出しているのである。