著者
高橋 有紀子
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.12, pp.736-745, 2020-12-05 (Released:2020-12-24)
参考文献数
34

情報化社会の進展がどのくらいエネルギー消費量を増やしているか,それがどのような環境変化をもたらしているかといったことを想像したことがあるだろうか.アメリカのIT企業Ciscoの全世界のモバイルデータトラフィックの予測によると,1984年に204 GB(ギガバイト)だった全世界のデジタル情報量は,2017年には1.5兆GB(1.5 ZB,ゼタバイト,Zetaは1021)へ増加し,2021年には3.4兆GBにまで増加すると予測されている.また,国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の資料「JST-LCS 情報化社会の進展がエネルギー消費に与える影響 平成31年」によると,デジタル情報を保存するデータセンター1施設分の電力消費量は,GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)などの大手IT企業が所有する超大規模クラスで2,600 GWh(2018年)にもなり,世界で消費される全電力量の数%をIT分野が消費するまでになっている.COP21で採択されたパリ協定では,温室効果ガスの削減目標などの取り決めがなされたが,具体的な数値目標を定めたものとして1997年の京都議定書が有名である.1997年から約20年が経過し,その間にデジタル情報量は指数関数的な増加を見せ,IT分野での消費電力量は45%も増加しこれに伴う温室効果ガスの排出量も急激に増加している.我が国が目指す未来社会であるSociety5.0は,IoTを駆使した人間中心の社会であるため今後もデジタル情報量の急激な増加が見込まれ,それを下支えするストレージデバイスは重要な基幹技術である.次世代の豊かな社会と環境を両立させるためには,環境に配慮した技術革新が必要不可欠となっている.とりわけ,装置の小型化と台数削減に直結するストレージデバイスの高密度化技術の確立は,データセンターの省エネルギー化を実現していく鍵となる.ストレージデバイスは半導体,誘電体,磁性体を用いるものが種々開発されているが,大容量・安価・不揮発という長所をもつ磁気ストレージデバイスであるハードディスクドライブ(HDD)はデータセンターでメインデバイスとして使われている.HDDはすでに1 Tbit/in2を超える密度(1ビットの面積が2.54 cm×2.54 cmの1兆分の1よりも小さい)を実現しているが,爆発的に増加するデジタル情報に対応するためにさらなる高密度化が求められている.日米のストレージメーカーが中心となって,数年のうちに4 Tbit/in2を達成することを目標に研究開発が進んでいる.高密度化には,磁気記録媒体を構成するナノサイズの磁石のさらなる微細化が必要となる.しかし,ただ単に微細化してしまうと,高温になるHDDの動作環境下では記録情報となる磁石の磁化の向きが熱擾乱のため保持されなくなってしまう.情報の保持のためには磁気異方性を強くしなければならないが,今度は記録情報の書込み,すなわち磁化の向きを反転させるために大きな磁場が必要となる.しかし,HDDに組み込まれるマイクロサイズの電磁石が発生できる磁場にも限界があり,その磁場のみで制御する記録方式はすでに高密度化に対応できなくなっている.この書込みの問題を克服するために提案されたのが,エネルギーアシスト磁気記録である.ナノ磁石の磁化を反転させるときに外部からエネルギーを与えて磁化反転を助けるというイメージである.外部エネルギーとして,熱・高周波磁場・光などが提案されているが,熱および高周波磁場によるエネルギーアシスト磁気記録方式はすでに実用化研究段階に入っている.今後さらに高密度化を進め,かつ省エネデバイスを実現するためには,少しのエネルギーアシストで磁化反転できる,すなわち高効率な磁化反転が実現できるようなエネルギーアシスト方法や材料選択といった課題がある.