著者
高橋 良江
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.42, pp.63-74, 2014-03

1905年から1906年にかけて、当時の中国人留日学生の数は8,000人を超えた。その受け入れの中心となった宏文学院が最も力を入れたのは速成師範科であり、1906年までの4年間で学生数は3,000人に達したという。このような状況の中で学院の財政は圧迫され、教職員の質の低下が顕在化し、その結果、学生達から不満の声が学院長嘉納治五郎に続々と寄せられた。この要求に応えて、日本語担当の教授陣は分かりやすい体系的文法の教科書作りを模索した。短期間に日本語を最も効果的に教える文法教科書の必要性であった。そして1906年8月、宏文学院編纂『日本語教科書』全3巻が刊行された。そこでの改良点は日本語の中で最も複雑で学習上困難な助詞、助動詞の用法を明らかにすること、中国人留日学生にとって特に難しい副詞、接頭語、接尾語の用例を多く示すようにしたことなどであった。その編纂の中心になったのが三矢重松、松下大三郎、松本亀次郎で、後に国文法の大家や中国人留日学生教育の第一人者となった人たちである。本稿ではこれらを明らかにすることにある。速成教育日本語教科書編纂松本亀次郎三矢重松松下大三郎