著者
高玉 和子
出版者
駒沢女子大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02884844)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.21-27, 1991-03-31

以上, 主としてアメリカ合衆国とわが国における代表的な定義を紹介しながら, その特徴を検討してみたが, 概して欧米の定義では比較的詳しくまとめられているのに, わが国ではほとんど見向きもされないテーマとして, 社会福祉的アプローチにおける児童虐待の定義があることを指摘しておかなければならない。バレンタインとアカッフは, 前述のように, 法律的観点, 医療的観点に加えてソーシャルワーク的観点からの定義に触れているが, この社会福祉的アプローチには, 主に四点からなる特徴がある。すなわち, 1) ソーシャルワークによる介入は有益なものと考えられること。2) ソーシャルワークは, 社会問題に対して「環境のもとにおける個人」を扱うようなアプローチの仕方をすること。3) ソーシャルワークは, 社会の付託に応え得るものでなくてはならないこと。4) ソーシャルワーカーは, 児童保護が充分になされなかった結果に対し, 情緒的, 心理的発展をうながすという側面から問題解決に貢献すると考えている。このように, 社会福祉的アプローチの場合, 問題を「社会的」な拡がりのなかで把え, 「環境のもとにおける個人」を対象とすると述べているように, 家族, 集団, 学校, 地域社会を含む児童の生活環境全体との関わりのなかに児童を位置づけ, その働きかけも医療や法律的アプローチが, 問題を治療場面や法律関係に集約して捉える傾向があるのに対し, 多方向的な視点をもっている。次に, わが国の定義が虐待の事実を正確に把握するという観点からまとめ (それはケンプの場合も同様), いわば実態概念としての性格が強いのに対し, 欧米ではそれに加えて, 問題の予防あるいは解決のための方法までも含めた機能概念としての性格をもっていることに注目したい。つまり, ソーシャルワーク的観点からの概念整理は, 単に虐待の事実と因果関係だけに終始するのではなく, 問題解決のための方法を含んだ力動的な概念として考えられている。従って, そこでは「問題解決」という目標を設定し, 次にそこに結びつく事実と方法の設定が, 作業としては必要になってくる。ファラー (L. C. Faller) によれば, そうした状況にある専門ソーシャルワーカーには, 少なくとも四つの特徴を備えた定義が必要であると考えられ, 次のようにまとめている。1) 何らかの意味で明確になった両親の行動は, 怠慢にもとずく行為であれ, 強制にもとずく行為であれ, 身体的にしろ, 精神的にしろ, その児童に向けられる。2)身体的な葛藤, あるいはその状況, 心理的な損傷, あるいはその両方について, 児童に即して証明できる損傷である。3) 両親の行動と, 児童に与える危害の間にある因果関係を明らかにする。4) ソーシャルワーカーは, 虐待に正当な介入と認められれば認められるほど, 重要な役割を果していると感じられることが必要である。これらの条件は, いずれも児童と両親 (虐待者) の関係の実態を把握し, 改善のための具体的な方法を見いだす努力の必要性に関係したものであるが, トータルには, ファラーが「家族の逆機能に貢献する状況の改善とシステムの統一に焦点を合わせている」とまとめているように, 法律や医療の場合と異なって, 家族問題 (family problem) として位置づけ, 家族関係の改善方法を採る方向に意図的に運営しようとする。そのために, 「ソーシャルワークは個人や家族にとって有害な社会的価値や状況の変更を代弁する責任を持っている」という倫理綱領も充分に考慮しなければならない。以上述べたところをまとめるならば, 「定義の拡張は, 虐待による損傷それ自体においてと同様に, 児童と両親の行動, そして性的虐待と同様に, 情緒的な虐待や放置を合体することに焦点を合わせる」ところに結論が置かれるのではなかろうか。
著者
高玉 和子 Kazuko TAKATAMA
巻号頁・発行日
vol.26, pp.51-56, 1993-03-03

これまで述べてきたように, 虐待親は成人した後の生活体験を中心に洞察した結果, 人格的未成熟さや精神的に問題があることが指摘できる。また, 虐待親の生育歴に着目し, 幼児期における母性体験や家庭教育によってどのような人格形成がなされるか, その過程をたどっていくことも重要である。虐待親は子ども時代における人格形成の過程で適切な養育や愛情を与えられずに育った者が多く, 決して家庭的に幸福であったとは言いがたい。また, 家族との信頼関係が築かれていないため, 成人した後も, 対人関係につまづきが生じてくることになる。特にそのなかでも, 家庭的に問題があったのみならず, 虐待親自身も, 自分達が子どもの時に虐待を受けていた事実が明らかになり, まさに, 児童虐待の悪循環ともいえる養育パターンが繰り返されていることもある。次に, 虐待親の性差に関して述べると, 父親による虐待は母親の場合よりも手口が残酷であり, 虐待する動機も父親自身の養育観に基づき, かなり厳しいしつけの一環として位置づけられていることが多い。一方, 母親による虐待は, 近年核家族のため, 母親が出産, 育児という重要な役割を自力でこなさなくてはならない上, 日常子どもと接する時間が長く, 虐待の頻度も増すと考えられる。貧富に関わりなく, ストレス度が高いほど, 虐待を引き起こしやすい。新田康郎等が, 精神的問題をもつ虐待する母親達を「対策困難なグループ」と見ていることからもわかるように, 人格的に成熟していない親像が浮かび上ってくる。また父親と母親双方に見られる特徴としての精神疾患は, 虐待と密接な相関関係にあると考えられるだろう。このような精神的, 心理的側面に加え, 住環境の不備, 家族機能の弱体化や公的福祉サービスの不十分さが, ストレス度を増す要因ともなっている。以上から, 欧米, 日本を問わず, 虐待親の性格は間接的には社会的, 経済的要因に抱束されながらも, 直接的で, より一般的には個人の精神的, 生育的要因が大きく作用して形成されているという結論になる。