著者
高田 太
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.40-57, 2006-12

神学と哲学との間の境界線はいかに画定されるのか。本論文の目的は、『純粋理性批判』の「超越論的方法論」における哲学体系の叙述と1783年の神学講義を中心にして、その時期のカントの哲学体系において定められうる神学と哲学の境界線について考察すると同時に、カント自身が両領域をいかに画定したのかを究明するところにある。カントは常に神学を形而上学として哲学体系の中に位置づけており、そういった位置を持たない宗教論と区別していた。形而上学としての神学は、超越的形而上学として内在的形而上学と区分されている。しかし哲学はあくまで両形而上学を包摂する。形而上学としての神学は合理神学と称され、カントはこれに啓示神学を対置している。しかしこの合理神学と啓示神学の間の境界線は、本来は哲学部と神学部という大学行政上の区分に過ぎない。合理神学はその行程の終わりに高次の啓示や神秘といったものに行き当たる。ここに哲学としての合理神学が越えることのできない境界線が存する。その境界線は本来の合理神学と啓示神学との、また合理神学と宗教論との境界線である。