著者
小原 克博
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.23-44, 2007-12

宗教の神学あるいは宗教間対話において広く用いられてきた類型に、排他主義、包括主義、多元主義がある。宗教多元主義の立場からは、しばしば、排他主義や包括主義は克服されるべき前時代的なモデルとして批判されてきた。本稿では、このような宗教多元主義モデルが前提としている進歩史的な価値観を「優越的置換主義」として批判すると共に、その問題は現実の宗教界や政治の世界などにおいても反映されていることを、西洋および日本における事例を通じて考察する。その上で、排他主義や包括主義に分類される宗教や運動の中にも、評価すべき要素があることを指摘する。また、これまでもっぱら西洋の神学サークルの中で議論されてきた多元主義モデルが、非西洋世界において、どのような有効性を持つのかを、イスラームや日本宗教の視点を適宜織り交ぜながら、批判的に検討する。最後に、西洋的価値を中心とする宗教多元主義を積極的に相対化していくためには、宗教の神学と文脈化神学を総合する必要があることを示唆する。論文(Article)
著者
山下 壮起 ヤマシタ ソウキ Yamashita Soki
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.39-60, 2014-12

論文(Article)ヒップホップでは反社会的な事柄が歌われる一方で、宗教的な表現が多く見られる。アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代が、政治的に保守化したアフリカ系アメリカ人教会と対峙するなかで救済を教会の外に求め、その結果、ヒップホップが救済について論じる言説空間としての側面を持つようになっていったと考えられる。本論文では、公民権運動以降のアフリカ系アメリカ人教会の変遷を紐解きながら、ヒップホップの宗教的機能の分析を通して、アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代の救済観について考察した。
著者
石川 立 加藤 哲平 加藤 哲平
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.51-70, 2010-07

資料(Material)本稿は平成22年度科学研究費補助金ならびに日本学術振興会特別研究員研究奨励金による研究成果の一部である(加藤哲平)。
著者
小原 克博 Katsuhiro Kohara
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.23-44, 2007-12-12

宗教の神学あるいは宗教間対話において広く用いられてきた類型に、排他主義、包括主義、多元主義がある。宗教多元主義の立場からは、しばしば、排他主義や包括主義は克服されるべき前時代的なモデルとして批判されてきた。本稿では、このような宗教多元主義モデルが前提としている進歩史的な価値観を「優越的置換主義」として批判すると共に、その問題は現実の宗教界や政治の世界などにおいても反映されていることを、西洋および日本における事例を通じて考察する。その上で、排他主義や包括主義に分類される宗教や運動の中にも、評価すべき要素があることを指摘する。また、これまでもっぱら西洋の神学サークルの中で議論されてきた多元主義モデルが、非西洋世界において、どのような有効性を持つのかを、イスラームや日本宗教の視点を適宜織り交ぜながら、批判的に検討する。最後に、西洋的価値を中心とする宗教多元主義を積極的に相対化していくためには、宗教の神学と文脈化神学を総合する必要があることを示唆する。
著者
木谷 佳楠
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.105-124, 2012-06

論文(Article)映画が誕生して約120年の間に、イエスは「救い主」として、あるいは「ナザレのイエス」として、100本以上の映画に登場してきた。一方で、アメリカ映画の中のイエス像は時代の移り変わりと共に常にその姿を変えてきたのである。本稿はアメリカ映画におけるイエス像がどのような時代的変遷を遂げてきたのか、そしてそれはなぜなのか、という問いに対し、映画の検閲の問題やアメリカの社会状況を軸に一定の答えを模索するものである。
著者
山下 壮起 Soki Yamashita
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.39-60, 2014-12-08

ヒップホップでは反社会的な事柄が歌われる一方で、宗教的な表現が多く見られる。アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代が、政治的に保守化したアフリカ系アメリカ人教会と対峙するなかで救済を教会の外に求め、その結果、ヒップホップが救済について論じる言説空間としての側面を持つようになっていったと考えられる。本論文では、公民権運動以降のアフリカ系アメリカ人教会の変遷を紐解きながら、ヒップホップの宗教的機能の分析を通して、アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代の救済観について考察した。
著者
橋本 滋男
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.43-58, 2003-09

論文祈りは人から神への意思を伝えるためのチャンネルであり、宗教生活においてはきわめて重要なものとされている。人は祈りによって懇願、感謝、悔い改めなどの心情を表す。新約聖書においても、祈りは大きな役割をもち、イエスは弟子たちに「主の祈り」を教えたのであった。4 福音書において祈りに関する語(動詞、名詞)の用例統計を見ると、ヨハネ福音書には全く見られないことが注目される。他方、ルカ福音書においては用例が多く、この語の分析を通してルカの祈りについての神学思想を見ることができる。ルカでは、並行箇所で祈りが言及されていない場面で祈りを取り上げる例が多いのであるが、イエス自身が祈る箇所(A)と祈りについて教える箇所(B)に分類してみると、Aにおいてはイエスの祈りは来るべき受難と関連していることが指摘できる。またBの箇所では、終末遅延に対して祈りで対処すべきこと、あきらめずに祈るべきことを教えている。しかしB(とくに18.1 以下)において、ルカは祈りによって人の期待が実現されるという考えを見せている。Prayer is the most important channel between men/women and God, and through prayer they express their deep thanks, sincere repentance and genuine wish before God. Therefore prayer is indispensable in our religious life. In the New Testament Jesus often prays by himself, and teaches what we call "the Lord's prayer" to his disciples as a model for their prayer. Through the statistical analysis of verbs and nouns concerning prayer in the four Gospels we find that the Gospel of John alone does not use these words. This is one of the interesting facts in studying theological ideas in the evangelists. On the other hand, Luke tells us that Jesus prays often in many and important settings of his life, although Matthew and Mark do not mention Jesus' prayer in some synoptic parallel passages. This means that Luke has a "theology of prayer" which functions to support Luke's whole work of the Gospel. By careful exegetical study of the passages where Jesus' prayer is mentioned, we find that in Luke Jesus' prayer is related to his suffering, pointing toward his crucifixion. In other passages of Luke where Jesus teaches about prayer Luke suggests the problem of the delay of eschatology can be solved through the persistent prayer of the believers.
著者
三宅 威仁
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.59-78, 2003-09

論文改革派認識論はアメリカ合衆国に移入されたオランダ新カルヴァン主義運動を母体とし、古典的基礎付け主義やそれに由来する無神論的証拠主義を論駁する意図をもって登場した。改革派認識論によれば、有神論的信念はキリスト者にとって適正に基本的であり、いかなる証拠によって基礎付けられていなくとも合理的である。また、キリスト教が真であると仮定すれば、キリスト教の諸信念は知識として保証される。Reformed epistemology originated in the Dutch neo-Calvinist movement, that had been transplanted in America, with the intention of disproving classical foundationalism and atheistic evidentialism. The main thrust of Reformed epistemology is that for Christians theistic belief is properly basic and rational without any evidential foundation. And that, if Christianity is true, Christian beliefs are warranted as knowledge.
著者
木谷 佳楠
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.105-124, 2012-06

映画が誕生して約120年の間に、イエスは「救い主」としてのイエス・キリスト、あるいは「ナザレのイエス」として、繰り返しスクリーンの中に登場し、その数は100本以上にものぼるが、一方で、アメリカ映画の中のイエス像は時代の移り変わりと共に常にその姿を変えてきたのである。あるときには絵画や聖書の挿絵で描かれてきたそのままの姿で登場し、またあるときには顔が映らないほど遠くから撮影されたり、後ろ姿のみで表現されたりした。また、あるときには「救い主」としてのイエスよりも俗世的な葛藤や弱さを持つ人間的なイエスが登場する。本稿はアメリカ映画におけるイエス像が時代と共にどのような変遷を遂げてきたのか、そしてそれはなぜなのか、という問いに対し、アメリカの社会状況や映画産業界における検閲の問題を軸にしつつ、一定の答えを模索するものである。
著者
木原 活信 Katsunobu Kihara
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.17-41, 2016-06

社会福祉とキリスト教の関係について、福祉国家以前の慈善時代と、福祉国家下の措置制度時代、そしてポスト福祉国家としての現代の市民的契約の時代の3つに分類しつつ、そこでの宗教の役割の変遷についてキリスト教を例にスピリチュアリティの概念をもとに分析した。そのなかで市民契約の時代の宗教と社会福祉の在り方に着目し、市民的公共圏における社会福祉とスピリチュアリティについてEdward Candaの理論を踏まえつつ、議論した。論文(Article)
著者
李 致萬 Chiman Lee
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.91-111, 2006-03-15

初期大復興運動は、1907年に平壌(ピョンヤン)を中心に拡大した。大復興運動の背景には、内的側面と外的側面があるが、本論では内的側面を中心に考究する。すなわち、当時の歴史的状況と絡み合って、宣教の危機を感じた宣教師の特定の意図によって、大復興運動が行われたと思われる。大復興運動は確かに韓国キリスト教会を外形的に、また内面的に大きく変えた。外形的変化としては、急激な量的膨張、教会自治の成立、リーダーシップの交替などをあげることができる。内面的変化としては、新しい信仰様態の形成、韓国的教会文化の定着などである。これと共に初期大復興運動は、韓国キリスト教の非政治化を定着させるきっかけになった。一方、キリスト教社会運動の視座から見ると、初期大復興運動は、教職者中心の非政治的性格の「公的教会組織」と、一般信徒中心の社会運動に積極的な「包括的キリスト教団体」に二分化した。この二分化によって、韓国キリスト教社会運動は弱体化せざるを得なかった。もちろん、「包括的キリスト教団体」には、「公的教会」に属したキリスト者が多数参加していた。そこで、社会運動の実践方法は、「公的教会」の信仰的価値を損なわない範囲で行わざるを得なかった。このような面が韓国キリスト教社会運動の「人道的平和主義(非暴力主義)」を形成する一つの要因になった。また、以後の三・一運動における非暴力・無抵抗主義の路線は、三・一運動の主な勢力であった韓国キリスト教の「人道的平和主義」の路線に起因したのではないかと思われる。