18 0 0 0 OA 柳田國男と仏教

著者
高見 寛孝
雑誌
二松學舍大學論集
巻号頁・発行日
no.63, pp.27-50, 2020-03-27
著者
高見 寛孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.31, pp.17-30, 2021-03-15

神や死霊あるいは動物霊などの霊的存在と人間との交流が憑霊である。夢や存在しないはずの姿を見たり、声を聴いたりすることもまた憑霊現象のひとつで、シャーマニズムでは憑霊に何らかの意味があるものとして、霊的存在との接触を試みる。一方、科学としての精神医学は霊的存在を認めず、憑霊を身体的障害によって生じる幻覚と捉え、個人を社会から切り離して治療しようとする。しかし昨今では、ホリスティック医学に代表されるように、医学側も霊的存在(精神文化)に関心を寄せ、シャーマニズム研究に接近しつつある。
著者
高見 寛孝
雑誌
二松学舎大学論集
巻号頁・発行日
no.56, pp.71-91, 2013-03
著者
高見 寛孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.29, 2019-03-15

日本人の精神文化の解明を目標のひとつとして掲げている日本民俗学の立場から、古典文学を研究資料として取り上げて論じた。具体的には、平安時代に生きたひとりの女性清少納言によって書かれた『枕草子』の中から仏教関係の記事を拾い出して分析した。末法思想が広まり、浄土教が特に貴族層の間に浸透したとされる時代において、『枕草子』の中に極楽浄土への往生志向は見られない。清少納言の価値観は現世利益志向である。仏教に求める清少納言のこの態度は現代日本人と変わりなく、歴史を通底する日本人の価値観だと考えられる。
著者
高見 寛孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-15, 2023-03-15

先祖と子孫を結び付ける文化装置としてのイエが大きく変容している今日の社会において、イエを中心に行われてきた死者祭祀のありかたもまた変わらざるを得ない。これからの社会において先祖を含む死者祭祀はどのように行うのがよいのか、その手掛かりを求めるべく、柳田國男と有賀喜左衞門の先祖論を取り上げた。柳田が人々の心の癒しを先祖祭祀に求めようとするのに対し、有賀はむしろ本家と分家とを政治的・経済的に結び付ける社会的機能を重視する。本家分家関係も、そして先祖子孫関係もますます変容していくことが予想される中で、死者と生者とはどのような関係を構築していけばよいのかを考察した。
著者
高見 寛孝
雑誌
二松学舎大学論集 = Bulletin of Nishogakusha University
巻号頁・発行日
no.62, pp.57-77, 2019-03