- 著者
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鳥居 祐介
- 雑誌
- 摂大人文科学 = The Setsudai Review of Humanities and Social Sciences (ISSN:13419315)
- 巻号頁・発行日
- no.23, pp.105-128, 2016-01
本稿は、アメリカ黒人文学界の巨人であり、反体制の詩人・劇作家・政治活動家として知られたアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)が晩年に残した音楽評論の意義を考察するものである。バラカがかつて黒人民族主義に向う時期に著したBlues People (1963)は、ジャズの歴史をアメリカの悲劇的な人種関係の歴史として読み、当時の若手黒人ジャズ・ミュージシャンによるフリー・ジャズの音楽的革新を急進的な黒人民族主義の表出として解釈することを提唱し、広く影響を与えた。しかしその後、「ジャズの制度化」と呼ばれる現象、すなわち、ジャズの社会的地位が向上し、公的助成を受けたコンサートホールで演奏され、大学の音楽教育課程で教育されるようになる現象が進んだ。ジャズが「アメリカのクラシック音楽」と呼ばれ、伝統的な権威と支配体制に取り込まれて政治的に保守化していくかに見えるこの過程を、黒人民族主義者からマルクス主義者に転向した1970 年代以降のバラカはどのように受け止めてきたのであろうか。本稿は、近著Digging (2009)をはじめとする晩年のバラカの音楽評論、インタビュー、作品、パフォーマンスを主な資料とし、バラカが「ジャズの制度化」を自身が目指す漸次的なマルクス主義革命への一歩と解釈し、ラルフ・エリソンの系譜に連なる主流のジャズ批評家とは異なる理由で肯定的に評価していたことを指摘する。