著者
俣野 裕美
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.27, pp.19-37, 2020-01

本論は 2000 年以降のハリウッド映画における、日本人以外の登場人物たちによるサムライ化の表象を分析したものである。『ラストサムライ』(2003)、『キル・ビル vol.1』(2003)、『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)、『47RONIN』(2013)の4作品を分析したところ、様々なサムライ化の程度が存在するが、完全にサムライになることは避けられる傾向にあることが分かった。また、2000 年代と 2010 年代の作品では、サムライ化に違いが見られた。この点については、当時のアメリカの外交政策をはじめとする社会的背景から考察を行った。This article analyzes the representation of non-Japanese protagonists who become samurai in The Last Samurai (2003), Kill Bill: vol.1 (2003), The Wolverine (2013) and 4 7 R o n i n (2013). In each film, they internalize various aspects of samurai-ness but they avoid turning themselves completely into samurai. The portrayals of non-Japanese samurai, however, are different between 2000s and 2010s. The cause brought the difference is examined with the changing background of US diplomacy, especially military and economic affairs in world politics.
著者
大原関 一浩
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.26, pp.45-70, 2019-01

20世紀初頭のハワイ日本人移民社会では、酒席で客をもてなす芸妓(あるいは芸者)と呼ばれる女性たちがかなり存在し、日本語新聞の社会面を日々にぎわせていた。本論文は、ホノルル芸妓組合の活動に関する新聞記事を分析し、芸妓が現地の日本人社会やハワイ社会でどのような存在だったのか、検討する。契約労動の時代が終わり、ハワイの日本人社会がしだいに安定すると、耕地から都市部に移り住む日本人が増え、ホノルルでは日本人小規模ビジネスが成長し、それとともに料理屋や芸妓の数が増加した。芸妓として働く女性たちは、組合化を通じて自らの労働環境の整備・向上を図り、職業的自律性を高めていくなかで、当時の日本人女性としてはめずらしく高い収入を得ることができた。しかし同時に、日本人移民の結婚・定住化が進むにつれ、芸妓は家庭にとっての脅威として問題視されるようになり、1920 年に禁酒法が施行されると、芸妓と組合の活動は衰退した。Notes on Activities of the Honolulu Geisha Union, 1900-1920In the early twentieth century, a fair number of Japanese women were working as the Geisha in Honolulu's Japanese community, servicing male customers at dinner tables.This article examines the activities of the Honolulu Geisha Union and the discourse on the Geisha by drawing upon articles published in two Japanese-language newspapers,Hawai Hochi and Nippu Jiji. It argues that the Honolulu Gisha Union was a key institution in advancing the welfare of its members by serving as the mediator between the Geisha and restaurants and disciplining the behavior of its members. The Geisha work provided the women a rare opportunity to earn high wages, but their presence came to be considered a threat to immigrant families as increasing numbers of Japanese immigrants had families and began to settle in Hawaii. The constitutional ban on the sale of alcohol in 1920 gave a devastating blow to Japanese restaurants, resulting in decline in activities of the Geisha and their union in Honolulu.
著者
瀬戸 宏
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.27, pp.1-18, 2020-01

本稿は、中国現代演劇、現代文学の双方を代表する劇作家である曹禺が劇作の処女作であり代表作の一つである『雷雨』を 24 歳で発表するまでの劇作家としての成長過程を、彼が中学時代(日本の中学、高校双方を含む)に参加した南開新劇団での活動を中心に考察したものである。1.はじめに、2.曹禺の家庭環境、2.曹禺幼少年期の文化環境、4.南開学校と南開新劇団、5.南開学校での曹禺、その文学的成長、その文学的成長、6.曹禺と南開新劇団、7.『争強』を巡って、8.南開新劇団の活動が曹禺に与えた影響、の 8 項目に分けて記述した。特に、 曹禺の文化素養の重層性とイプセンやゴールズワージの影響を強調した。CAO Yu is a playwright who represents both modern Chinese drama and literature. CAO Yu announced his work, Thunderstorm, by the age of 24. Thunderstorm is the debut work of his career and one of his masterpieces. This paper considers his growth as a playwright, and focuses on the activities at Nankai New Drama Company, where he participated during his junior high and high school days. The paper is organized in the following way: 1. Introduction; 2. CAO's family background; 2. CAO's caltural background; 4. Nankai school and Nankai New Drama Company; 5. The influence of CAO's activities at Nankai school on his literary growth; 6. CAO Yu and the Nankai New Drama Company; 7. around Strife; 8. The influence of Nankai New Drama Company on CAO Yu. In particular, the multi-layered nature of CAO's culture and Ibsen and Galsworthy's influence on his work are emphasized.
著者
吉村 征洋
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.21, pp.67-83, 2014-01

本論文では、シェイクスピアの2 つの物語詩であるVenus and Adonis とThe Rape of Lucrece において、赤と白と戦争のイメジャリーが散見することを例証し、これらの共通点をエリザベス朝政治的コンテクストから考察すると、この2つの物語詩にはコード化されたメッセージが内在することを指摘している。2 つの物語詩では、情欲に溺れる為政者が共通して登場するが、これらの為政者たちを表象する色として「赤と白」が使われている。赤と白の色は、戦争に関する語句と密接に連関している。こうしたイメジャリーは、薔薇戦争を想起させる。ヴィーナス・ルクリースの赤と白の表象がエリザベス1 世表象と酷似している点、2 つの物語詩における情欲に溺れる為政者像とエリザベス朝晩年に恋愛ゲームにうつつをぬかしたエリザベス1 世との類似点、さらには薔薇戦争との連関を考察すると、シェイクスピアは2 つの物語詩における為政者の人物造型において、エリザベス1 世を意識して執筆したことが想像できる。結論としては、2 つの物語詩をエリザベス朝当時の政治的コンテクストから検証すると、反エリザベスイデオロギーを包含していると指摘している。
著者
鳥居 祐介
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.23, pp.105-128, 2016-01

本稿は、アメリカ黒人文学界の巨人であり、反体制の詩人・劇作家・政治活動家として知られたアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)が晩年に残した音楽評論の意義を考察するものである。バラカがかつて黒人民族主義に向う時期に著したBlues People (1963)は、ジャズの歴史をアメリカの悲劇的な人種関係の歴史として読み、当時の若手黒人ジャズ・ミュージシャンによるフリー・ジャズの音楽的革新を急進的な黒人民族主義の表出として解釈することを提唱し、広く影響を与えた。しかしその後、「ジャズの制度化」と呼ばれる現象、すなわち、ジャズの社会的地位が向上し、公的助成を受けたコンサートホールで演奏され、大学の音楽教育課程で教育されるようになる現象が進んだ。ジャズが「アメリカのクラシック音楽」と呼ばれ、伝統的な権威と支配体制に取り込まれて政治的に保守化していくかに見えるこの過程を、黒人民族主義者からマルクス主義者に転向した1970 年代以降のバラカはどのように受け止めてきたのであろうか。本稿は、近著Digging (2009)をはじめとする晩年のバラカの音楽評論、インタビュー、作品、パフォーマンスを主な資料とし、バラカが「ジャズの制度化」を自身が目指す漸次的なマルクス主義革命への一歩と解釈し、ラルフ・エリソンの系譜に連なる主流のジャズ批評家とは異なる理由で肯定的に評価していたことを指摘する。
著者
瀬戸 宏
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.24, pp.31-44, 2017-01

中国国家話劇院が二〇一二年にロンドンで初演した『リチャード三世』(王暁鷹演出)は、ロンドンオリンピック芸術活動の一環として企画された、ロンドン・グローブ座で三七の言語によって三七のシェイクスピア作品を上演するシェイクスピア演劇祭参加作品である。大胆に中国伝統演劇の技巧と中国文化要素を運用した上演であり、大きな成功を収め、その後も二〇一六年に至るまで再演が続いている。本論文は、まず中国での『リチャード三世』受容史を概観した後、中国国家話劇院版『リチャード三世』の上演の特徴、とりわけ演出家がどのように中国伝統演劇の技巧と中国文化要素を運用したかに重点を置いて分析したものであり、大量の伝統演劇技巧が用いられているものの、その本質は話劇(現代演劇)であることを明らかにした。また、話劇(現代演劇)が伝統演劇の技巧を用いてシェイクスピア劇を上演することと、伝統演劇がシェイクスピア劇を上演することの相違を、解明した。
著者
篠原 愛人
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-29, 2018-01

フランス国立図書館所蔵のチマルパインの『日記』がデジタル化され、オンラインで閲覧が可能になった。翻刻では不明瞭な抹消箇所や修正部分も、加筆部分の文字や空白部の大小、インクの色の違いなども、おかげでよく分かる。本稿ではそのような「加工」部分を分析し、『日記』の成立過程について考察した。大半のページは整然としており、『日記』が「最終段階に近い稿」であること、下書きを写したであろうことも見えてくる。転写したことは、抹消箇所からも指摘できる。また「日本」という語の綴りが3 段階(4 通り)に変化し、一部は上書き修正されていることも、今回、初めて分かった。綴りの変化は、ある研究者が言うように、チマルパインの作品の成立年を推定する手掛かりになる可能性があり、その場合、『日記』の果たす役割は大きい。しかし、その前にクリアすべき問題がある。本稿では、チマルパインの生活拠点であったサンアントニオ・アバー教会に関する本文記事と加筆文を分析し、彼がこの教会の先行きを不安視していたことを明らかにした。実際、1624年に同教会は存続の危機に陥り、チマルパインの生活環境も変化したと思われる。『日記』には、16 世紀のメキシコで「生ける聖人」として尊敬されたグレゴリオ・ロペスに関する3 つの加筆文(珍しくスペイン語)があるが、それらがいずれもフランシスコ・ロサの著したロペスの『伝記』からの引用であることを確認した。"Chimalpahin in Paris"0oday we can read the Chimalpahin's original manuscript of "Diario" on line,thanks to the digitalization of the text by the Bibliothèque Nationale de France, inParis. 0hrough his digitalized text, we can recognize his deletions, corrections,additions and blanks that were not so clearly indicated in former transcriptions ofhis texts.Most pages are written in such a neat hand that we suppose this is a nearly finaldraft based on other former ones. We found the spelling of "Japon" changed 3times (4 forms) in the Diario and sometimes it was corrected by transforming "b"-sinto "p"-s. 0hese changes of his spelling may be useful as an indicator of theChimalpahin's writing process, but not without problems.By analyzing his texts on San Antonio Abad church, we detected his anxietyabout the future of his church, which came true in 1624 when the patron of thechurch died and Augustinian order invaded to occupy it.Finally, his 3 additions on Gregorio López, so-called living saint of the 16thcentury Mexico, are written, unlike other parts of his text, in Spanish. We probedthese are literal quotations from Francisco Losa's "Biography of Gregorio Lopez"(1613).
著者
篠原 愛人
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-29, 2017-01

スペイン語の敬称「ドン」は中世、一部の上級貴族にのみ使用が許されていたが、時とともにその規制は緩んだ。16 世紀にはスペイン領アメリカで征服者が普及させ、先住民の間でも使われるようになった。血筋を重んじる先住民史家チマルパイン(1579~1630?)も作品内で「ドン」を多用したが、独自の尺度をもっていた。本稿ではまず、彼の「ドン」適用基準を明らかにする。チマルパインは、系図を確かめる術のないスペイン人については、血筋より職階を第一の基準としたが、個人的な人物評価も加味した。先住民やメスティソに対しては血統を重視し、正統の首長が大罪を犯しても「ドン」を外さなかった。高い公職に就けば出自に関わらず「ドン」が付けられ、親子や兄弟間でも差がついた。貴族の血を引くと言いながら、チマルパインは自分の両親にも、自身にも「ドン」を付けなかったが、1613~20 年の間に自ら「ドン」を名乗り始める。同じ頃、それまで使わなかった「セニョール」や「セニョール・ドン」という敬称を使うようにもなった。以前、拙稿で指摘したように、自分たちの歴史を回顧し、「クリオーリョ」を意識し始めたのも同じ頃である。このような変化が生じた一因を彼の『第八歴史報告』(1620 年)に探ることができる。「古の言葉」、歴史を伝承する大切さを説き、その重責を自分が担ってゆく決意を表明しているのである。それは自分たちの民族の歴史を語り継ぐ歴史家として覚醒した証と言ってよい。
著者
篠原 愛人
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 = The Setsudai review of humanities and social sciences (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.23, pp.1-24, 2016-01

「クリオーリョ」という語は黒人奴隷の子孫のうち欧米で生まれ育った者を指す差別語であったが、16 世紀末から植民地生まれのスペイン人にも適用され始めた。当初は主に教会関連分野で使われたが、それは急増するクリオーリョの修道士志願者に対する危機感の表れに他ならなかった。チマルパインが『日記』で「クリオーリョ」を使うようになったのは1608 年から、つまり「史的回顧」を書く前年である。それは決して偶然ではなかった。チマルパインは立身出世を遂げたクリオーリョだけを取り上げ、「クリオーリョ」について回ったネガティブな評価を払拭し、世俗界にも適用して使用範囲を広げた。そこにはクリオーリョへのシンパシーが感じられる。また、「アメリカ生まれのスペイン人は先住民と同等」とガチュピンたちが下す評価への反論でもある。ただし、黒人のクリオーリョに対してはそのような共感はなく、メスティソに対する評価はまだ下しかねていた。クリオーリョとガチュピンの対立は19 世紀初めのメキシコ独立の一因ともなり、その萌芽は17 世紀半ばにはクリオーリョ知識人の間に見られる。いわゆるクリオーリョ愛国心がそれで、その形成と成長にはグアダルーペの聖母信仰が関わっている。先住民のチマルパインがその愛国心の先駆けとまでは言えないが、彼の「クリオーリョ」はその種子だったのかもしれない。
著者
Herke Michael
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.22, pp.81-100, 2015-01

スザンナ・ムーディは前作Roughing It in the Bush の続編としてLife in the Clearing versus the Bush を1853 年に執筆した。この作品は前作同様に素描集であるが、本作ではカナダの成長しつつあるオンタリオ州の町における生活に焦点が当てられている。本作は一方で19 世紀の植民地カナダの人々や場所を描写しているが、精読すると、願望充足という前作とのテーマの一貫性が明らかになる。若かった時に暮らしていたイングランドへの回帰が、彼女のカナダやイングランドについての解釈を特徴づけている。本作における語りには単なる街の生活描写以上のもの、すなわちミシェル・フーコーが論じた学校や精神病院や刑務所といった「支配の空間(spaces of domination)」のような文明化するテクノロジーとともにもたらされるユートピアへの処方が表されているのである。ムーディの語りによれば、これらの構造物のみが、ムーディ自身のように訓練された自制心による無限の規制のもとに生きる個人、完璧な社会の中へ統合され得る市民をつくり出すことができる。Life in the Clearing versus the Bush は結局のところ解答のないコメディであって、すべてのユートピアと同様に、どんなに良い意図が込められていようとも実現され得ないものである。それにもかかわらず、ムーディは喜劇的要素や喜劇的登場人物を用いており、本論文ではそれらが前述のテーマにどのように貢献しているか検討する。Susanna Moodie wrote Life in the Clearing versus the Bush in 1853 as a sequel toRoughing It in the Bush. Also a collection of sketches, the focus this time was onlife in the towns in the growing province of Ontario, Canada. While on one levelthe text does offer portraits of the people and places in 19th century colonialCanada, a closer reading reveals a thematic consistency of wish-fulfillment withits predecessor. Mrs. Moodie's quest to return to the England of her youth stillinforms her interpretations of both Canada and England. What emerges from thenarrative in Life in the Clearing versus the Bush is more than a description of citylife, but a prescription for a utopia to be brought about with civilizingtechnologies Michel Foucault calls 'spaces of domination': the school, theasylum, the prison. According to Moodie's narrative, only these constructs canreform citizens who can integrate into the perfect society, individuals like Moodieherself, who live under the indefinite discipline of a trained conscience. Moodieuses comic elements and characterizations in her sketches and this article will alsoexamine their contribution to the aforementioned theme.
著者
村上 司樹
出版者
摂南大学外国語学部「摂大人文科学」編集委員会
雑誌
摂大人文科学 (ISSN:13419315)
巻号頁・発行日
no.22, pp.141-160, 2015-01

古典的通説ではカロリング期以降いわゆるグレゴリウス改革以前(10-11世紀半ば)のカタルーニャ(現スペイン北東部)は、ラテン・キリスト教世界全域でも教会腐敗が特に著しかった地域、旧態依然たる在地社会の典型とされてきた。教会史研究のみならず封建社会成立論や、その特異な史料状況とも複雑に絡まりあった伝統的理解は、しかし最近30 年間の研究の進展によって大幅に書き換えられている。それを後押ししたのは、現地カタルーニャにおける史料刊行と個別所見の蓄積であると同時に、研究のさらなる国際化にともなう視野の拡大および方法の多様化であった。筆者は以前本誌において、主として律修教会(修道院)に即しつつ、中世カタルーニャ教会史研究のこのような現状を概観した1。今回はもう一方の在俗教会(主に司教座教会)に焦点を当て、司教区単位で深化している最近30 年間の研究動向を整理するとともに、旧稿では保留にした領邦政治との関係や聖堂参事会改革をめぐる議論の革新にもふれたい。