著者
井出 雄二 黄 バーナード永龍 指村 奈穂子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.128, pp.87-120, 2013-02

江戸時代中期以降伊豆韮山代官であった江川家に伝わる文書の内,「天城山御林改木数字限仕訳帳」を読み解き,1811年における天城山の森林の状態を考察した。仕訳帳の調査範囲は暖温帯から冷温帯までの広い範囲を含んでいた。また,仕訳帳には調査面積に関する記述はなかったが,仕訳帳の地名と現在の地名との対応から,その範囲は少なく見積もった場合でも500ha程度であることを示した。樹種構成は,今日の天城山の天然林とほとんど変わらなかったが,立木密度は100本/ha以下で今日の天然林の平均500本/haと比べると大変疎であり,大径木が優占した林相であったと推定された。これは,目通り直径14.5cm以下の雑木を継続的に炭焼きに供したため,より上の径級へ進界できる雑木が存在しなかったことに起因すると考察した。疎な林床ではモミ稚樹の更新が卓越し,さらに別木としての保護が加わり,モミ林の形成がうながされた。また,同様なことがブナでも起こった可能性がある。このような人為によって誘導された森林状態が,今日残存する天城山の天然林の成立に深くかかわっていたものと考えられた。