著者
黒田 一紀
出版者
日本海洋学会
雑誌
海の研究 (ISSN:09168362)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.37-53, 2020-03-15 (Released:2020-03-27)
参考文献数
38

「海洋學談話會」は,農林省水産試験場の宇田道隆の発起により,海洋学に関する論著の紹介,試験研究成果の発表,および各職場の会員間の交流を目的として,1932年4月に開始された。東京・月島の水産試験場で月2 回木曜日の例会は1941年2月の172回まで続き,実講演者は80名,延べ話題提供数は506件に達した。この実績に伴う海洋学への情熱と連携の高まりによって提唱された日本海洋学会の創立は,海洋気象台(神戸)に既存していた「海洋学会」と話合いが行われたが,1937年前半に不調に帰した。その後,1939年末における標準海水準備委員会の立上げを切掛けとして,「海洋學談話會」と「海洋学会」との間に妥協が成立し,1941年1月28日に創立に至った。ここでは,「海洋學談話會」の発起,内容,切掛けおよび母体から日本海洋学会創立への紆余曲折の経緯を調べたので,関係科学者の役割も含めて報告する。キーワード:海洋 學談話會,海洋学会,日本海洋学会,宇田道隆,日高孝次
著者
黒田 一紀
出版者
日本海洋学会
雑誌
海の研究 (ISSN:09168362)
巻号頁・発行日
vol.26, no.6, pp.251-258, 2017-11-15 (Released:2018-04-09)
参考文献数
26
被引用文献数
1

気象庁が1967年に始めた東経137度線の海洋観測は,2016年に50年目を迎えた。フィリピン海中央部に位置する観測線は,亜熱帯循環の主な海流系を横切り,その半世紀にわたる観測資料は,海況や物質循環および気候の長期変動に関わる有用な成果を産出してきた。本総説では,増澤譲太郎博士による137度線の創始を可能にした条件を3つ挙げ,それらに関わる経緯を詳述することにより,今後の本観測線の継承および海洋モニタリングのあり方に資することを目指す。3つの条件とは,黒潮研究に造詣深い増澤博士の指導力と先見性,気象庁が待望していた「凌風丸Ⅱ世」の代船建造,そして1965年に開始した国際黒潮共同調査の対象海域にフィリピン海が含まれたことである。付加する必須事項として,米国のMontgomery博士が留学中の増澤博士に,赤道海流系の重要性と大洋規模の定期的海洋環境監視の必要性を示唆した点がある。これらの条件が1966年に出揃った結果として,1967年1月の第1回137度線の定期海洋観測が実現した。