著者
藤原 暹 FUJIWARA Noboru
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
思想と文化
巻号頁・発行日
pp.159-172, 1986-02-05

S.スマイルズの著作について,柳田泉氏は次のように述べている。『自助論』の成功から,彼は伝記の外に,同種類の通俗倫理書を次々と出した。『人格論』(Character)1872,『節倹論』(Thrift)1875,『義務論』(Duty)1880,がそれである。この四部は恐らく新訳聖書の四福音書に擬して書かれたものではなかろうかと思うが,少なくとも,スマイルズの四部の修養書として数十年間四福音書についで重視されたことは事実である。……尚これら四部の書は明治の後期に新訳されて歓迎を新にしたものである1)。おそらく,柳田氏の指摘するように,『自助論』と並び『人格論』,『義務論』,『節倹論』の四書がいずれもキリスト教の「神」の摂理に基づく新しい産業社会人への福音書的役割を果たしたことは否めない事実であろう。しかし,スマイルズ自身が「本書は自助論,品性論の続編にして……幾多の新しさ例証を包含す」と述べ,更に「過度の頭脳的労働及び健康の要件の二章は……主として著者の経験を論拠とせり」2)と自負している『労働論』を無視していることは問題であるように思われる。しかも,この労働論』は後に詳述するように『自助論』が説く自立の為の勤労(Industry)を重視するというものではなくて,娯楽(Recreation)を自立の根拠においているのである。そこで,本稿においては,『労働論』の内容を『自助論』と対照しながら考察し,それが単なるスマイルズ個人の問題でなく,やがて生じてくる社会的弊害への警鐘であったことをみる。次にそのような『労働論』は如何に日本人に受け止められてきたのか(或いは,軽視されてきたのか)を考え,更にそのような状況は日本思想史上で如何なる問題をもっているのか,等について考察することにする。