著者
広瀬 朝光 HIROSE Tomomitsu
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
思想と文化
巻号頁・発行日
pp.173-186, 1986-02-05

芸術家高村光太郎は,彫刻家であり,詩人でもあり,また翻訳の分野においても活躍しており,日本に西欧の文物を数多く紹介した人としても知られている。彼は明治16年(1883)に彫刻家高村光雲の長男に生まれ,幼少時より父光雲の跡目を継いで彫刻家になるべく運命づけられていたが,一方彼には文芸に寄せる関心にも並々ならぬものがあって,18歳の青年期には,『読売新聞』の角田竹冷選「俳句はがき便」に鶴村の名で応募して秀逸の部に入選したり,雑誌『明星』第7号(明治33・10)に墓碑雨の名で短歌五首が載せられたりしている。彼が彫刻に身を入れるのは,明治30年(1897) 9月に東京美術学校予科に入学してからであり,18歳のときには上野公園第5号館で開かれた青年彫刻塑会展覧会に塑像「観月」を出品し,他に浮彫の彫刻「祖父中島兼松像」を残している。彼がフランスの彫刻家オーギュスト・ロダンFrancois Auguste Rene Rodin(1840-1917)の名を初めて白井雨山より聞いたのは21歳のときであり,丸善でモークレールの英訳本"August Rodin;The man-Hisideas-His works"を手に入れて熟読したのは23歳のときに当たる。