著者
HORTON William・B
出版者
早稲田大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2010

第2次世界大戦の終戦日は、インドネシアにとって独立戦争という新たな戦いの始まりの日であり、インドネシアで半生を送った熊本県出身の復帰邦人アブドラ・ラフマン・イチキ(市来竜男)にとっては、祖国日本と決別し第2の祖国インドネシアの独立戦争に本格的に身を投じた時期でもあった。その後、市来は1949年1月9日オランダ軍の銃弾に倒れ、東部ジャワ島ダンピット村で42年の人生の幕を閉じた。当研究の目的は、民間人市来が、なぜ戦後の早い時期からオランダから追跡されなければならなかったのか、なぜインドネシア国軍との連携が図れたのかを解明することであった。調査は、市来および独立に関わった日本人に関する戦前から戦後に至るインドネシア及び和蘭の史・資料を収集し読み解くことが中心となり、オランダ国立公文書館三館所蔵の公文書収集調査、早稲田大学中央図書館で当時の文献資料収集調査を行った。公文書および当時の文献から、戦前インドネシアに渡った日本人市来が、「異国」で身につけたのは単にインドネシア語という言語だけではなく、人類学的な意味の「文化」をも身につけ、将に身も心も「インドネシア人」アブドラ・ラフマン・イチキとして独立を希求していたことが理解できた。その長けた言語能力を高く評価した日本軍は、インドネシア防衛義勇軍の教科書の翻訳および訓練に係わらせていくが、一方、市来は軍事訓練を通じインドネシアの独立達成への道を見出し、後日インドネシア国軍と変容していく防衛義勇軍と深くかかわったことが理解できた。民間人でありながら、その言語能力のため日本軍上層部とも深く係わり、そのため戦後戦犯裁判に向けオランダが、日本軍部を追及していく中、市来の情報も収集していったようだ。戦争に関する研究は、その時代に生きた人々をとかく単一的に扱われることが多いが、当研究を通じ、戦前からの邦人移民にとっては、単に国籍のある国が祖国というわけではなく、戦争を契機に身の振り方、ナショナル・アイデンティティーが高まることを詳らかにできたことに意義がある。戦争を通じての邦人移民の多様な身の処し方は、米国の日系邦人の研究では幾分明らかにされてはいるものの、アジアの邦人移民に関しては今後さらなる研究が期待され、そのことは、現在の政治化した言説にも見られる単純な2項率からなる戦争の歴史観を再構することに大いに貢献すると考えられる。