著者
岩佐 壮四郎 イワサ ソウシロウ Iwasa Soshiro
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.123, pp.259-282, 2011-12

本稿では、これまで「GBSの影」(本学『紀要』一〇五号、二〇〇五)「変容する笑い--益田太郎冠者と曾我廼家五郎」(本学『人文科学研究所報』二九号、二〇〇六)「冷笑のシーズン」(『KGU比較文化論集』二号、二〇一〇)「五九郎というキャラ」(「悲劇喜劇」二〇〇九・六)などの諸論で展開してきた、一九一〇年代を一つの画期とする近代日本における〈笑い〉の表象の変容についての考察を、主として三代目蝶花楼馬楽(一八六四-一九一四)の落語と、それに敏感に反応した志賀直哉との関係を俎上にしながら試みた。もともとは上方落語の演目の一つであった「長屋の花見」を「隅田の花見」として東京風に改作して注目され、独特の諧謔で喝采を浴びながらも精神疾患のために再度にわたって入院し、大正初めに逝った馬楽の面影については、吉井勇の戯曲「俳諧亭句楽の死」(一九一七)などによって知られているが、興津要氏等により、「ブラック」で「ナンセンス」とされるその語りの味わいを、残された口述速記に拠って検討、「濁つた頭」(一九一一)「正義派」(一九一一)のような作品に読み取ることのできるアモルフな情動とどのようにスパークしていったかを視界に収めながら、一九一〇年代における〈笑い〉の質の変容の様相に光をあてることが本稿の基本的課題である。