著者
岩佐壮四郎
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.111, pp.25-51,

島村抱月の「審美的意識の性質を論ず」(一八九四・九~十二)について、「同情」概念を中心に展開されるこの論の論理構造を検討する。大西祝の示唆を受けつつ、ショーペンハウアーの「同情」理論に依拠し、カント・ヒューム・シラー・ハルトマンらを引用しながら展開されるその論理が、基本的には、いわゆる「現象即実在論」の枠組みに制約されながらも、当時のドイツ観念論受容の水準を大きく抜く精密さを備えており、一八九〇年代から一九一〇年代にかけての批評を準備する内実を孕んでいたこと等を指摘する。また、日本近代美学・文学史における位置にも言及、抱月が中心になって推進されることになる一九一〇年前後のいわゆる日本自然主義の文学運動における彼の自然主義文学理論との関連についても論述する。
著者
岩佐 壮四郎
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学人文学会紀要 = Bulletin of the Society of Humanities Kanto Gakuin University (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
no.134, pp.160-128, 2016

これまで、新歌舞伎(近代歌舞伎)の作家のうち、岡本綺堂、岡鬼太郎、池田大伍らの喜劇について検討してきたが、本稿では、木村錦花の喜劇を取り上げる。錦花には、『研辰の討たれ』『東海道中膝栗毛』などの喜劇があるが、本稿では一九三〇年代から開始されるモダニズムの先駆的試みとして、演劇のみならず、その後の音楽、美術、文学にまで影響を及ぼすこれらの作品について、近年の野田秀樹『野田版・研辰の討たれ』などにまで視界を拡げながら新しい光をあてることとする。錦花はまた、歌舞伎座幕内部長兼立作者代理として松竹による歌舞伎の近代的展開に深く関与してきたが、歌舞伎座・明治座・新橋演舞場・道頓堀中座・角座・浪花座・京都南座などを中心に、昭和前期の交通・通信の発展を背景にした映画館のネットワークの形成と共に発展してきた近代興行資本としての松竹と、商業演劇のプロデューサーとしての彼の果たした役割について、独自の歩みを続けた前進座の営みにも言及しながら考察することが本稿の課題である。
著者
岩佐 壮四郎
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.114, pp.151-196,

島村抱月の「審美的意識の性質を論ず」(一八九四・九-一二)は、のちに日本自然主義文学運動を理論的に支え、近代劇運動にも関与していくことになる彼の活動の「理論」の基本的立脚地を示す論考である。本論では、これまで、ショーペンハウァーの「同情」理論に依拠、カント、ヒューム、シラー、ハルトマンらを引用しながら展開されるその論理が、いわゆる「現象即実在論」の枠組みに制約されながらも、当時のドイツ観念論受容の水準を大きく抜く精密さを備えていたことを指摘した。また、カント、ショーペンハウァーのみならず、バーク、ラスキン等の芸術理論を批判的に摂取して展開されるその理論に、自然主義文学運動における「観照」理論がすでに胚胎していることをT・H・グリーンの自我実現説との関係に言及しながら論述、この論自体がいわゆる没理想論争の総括の意図をもって立論されたものであることについても論及を試みた。本稿ではこれらを受け、「現象と実在」「形と想」「自然美と芸術美」等の二項対立を設定しながら展開されるその考察が、一八九〇年代から世紀転換期にかけての日本の近代文学のみならず近代芸術の「認識」の枠組みを基本において支える内実を備えていたこと、その結論が「観察」と「写生」の季節の到来をすでに示していたこと、等を論じた。
著者
岩佐 壮四郎
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学人文学会紀要 = Bulletin of the Society of Humanities Kanto Gakuin University (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
no.132, pp.228-197, 2015

前号掲載の『岡本綺堂の喜劇』に続いて、今号では岡鬼太郎の喜劇を取り上げる。綺堂と共に、「新歌舞伎」を代表する作家の一人である鬼太郎は、現在でも上演されることの多い『眠駱駝物語』や『江島土産 坊主烏賊』などの喜劇を書いている。現在では殆ど論考の対象とされることのないこれらの喜劇をはじめ、落語研究会を組織して新作落語の普及に努めた彼の落語作品--『意地競』など--や小話、所作事などを含め、その作品の喚起する笑い--滑稽--について、私見を提出したい。また、喜劇と銘打ってはいないにもかかわらず、作品の随処に鏤められた喜劇的場面や、彼が蘇生、再演した『鳴神』等の古典的作品の孕む近代性にも言及し、その喜劇の全体像について考察を試みることとする。
著者
岩佐 壮四郎
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学人文学会紀要 = Bulletin of the Society of Humanities Kanto Gakuin University (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
no.134, pp.160-128, 2016

これまで、新歌舞伎(近代歌舞伎)の作家のうち、岡本綺堂、岡鬼太郎、池田大伍らの喜劇について検討してきたが、本稿では、木村錦花の喜劇を取り上げる。錦花には、『研辰の討たれ』『東海道中膝栗毛』などの喜劇があるが、本稿では一九三〇年代から開始されるモダニズムの先駆的試みとして、演劇のみならず、その後の音楽、美術、文学にまで影響を及ぼすこれらの作品について、近年の野田秀樹『野田版・研辰の討たれ』などにまで視界を拡げながら新しい光をあてることとする。錦花はまた、歌舞伎座幕内部長兼立作者代理として松竹による歌舞伎の近代的展開に深く関与してきたが、歌舞伎座・明治座・新橋演舞場・道頓堀中座・角座・浪花座・京都南座などを中心に、昭和前期の交通・通信の発展を背景にした映画館のネットワークの形成と共に発展してきた近代興行資本としての松竹と、商業演劇のプロデューサーとしての彼の果たした役割について、独自の歩みを続けた前進座の営みにも言及しながら考察することが本稿の課題である。
著者
岩佐 壮四郎 イワサ ソウシロウ Soshirou Iwasa
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
vol.133, pp.191-214, 2015-12

前号掲載の「岡鬼太郎の喜劇」、前々号掲載の「岡本綺堂の喜劇」に引き続き、本稿では、新歌舞伎(近代歌舞伎)の作家のうち、池田大伍の喜劇作品を取り上げる。大伍は、現在でもしばしば上演される『西郷と豚姫』『男達ばやり』などの歌舞伎スタイルの喜劇を残しているが、本稿ではこれらのほかに、老荘的世界観のもとに世俗的世界の価値観を相対化するという視座を提示した『茂林寺の狸』『南方女兒國』など多年にわたる中国戯曲研究の蘊蓄を刻印した作品についても視界に収めながら、近代歌舞伎の展開のなかで彼の果たした役割について考察する。また、ヴィクトリアン・サルドゥなど、フランス通俗劇の影響のもとに二十世紀初頭の日本社会へ違和感を表明した現代喜劇『親友』や、晩年の彼が取り組んだ「元曲」研究の意義についても検討、これまで本格的に論及されることのなかった大伍の喜劇が、現在の演劇に問いかけているものに光をあてる。
著者
岩佐 壮四郎 イワサ ソウシロウ Iwasa Soshiro
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.123, pp.259-282, 2011-12

本稿では、これまで「GBSの影」(本学『紀要』一〇五号、二〇〇五)「変容する笑い--益田太郎冠者と曾我廼家五郎」(本学『人文科学研究所報』二九号、二〇〇六)「冷笑のシーズン」(『KGU比較文化論集』二号、二〇一〇)「五九郎というキャラ」(「悲劇喜劇」二〇〇九・六)などの諸論で展開してきた、一九一〇年代を一つの画期とする近代日本における〈笑い〉の表象の変容についての考察を、主として三代目蝶花楼馬楽(一八六四-一九一四)の落語と、それに敏感に反応した志賀直哉との関係を俎上にしながら試みた。もともとは上方落語の演目の一つであった「長屋の花見」を「隅田の花見」として東京風に改作して注目され、独特の諧謔で喝采を浴びながらも精神疾患のために再度にわたって入院し、大正初めに逝った馬楽の面影については、吉井勇の戯曲「俳諧亭句楽の死」(一九一七)などによって知られているが、興津要氏等により、「ブラック」で「ナンセンス」とされるその語りの味わいを、残された口述速記に拠って検討、「濁つた頭」(一九一一)「正義派」(一九一一)のような作品に読み取ることのできるアモルフな情動とどのようにスパークしていったかを視界に収めながら、一九一〇年代における〈笑い〉の質の変容の様相に光をあてることが本稿の基本的課題である。