著者
廣野 喜幸 KIM SungKhum KIM SungKhun
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2005

19世紀以降、東アジア(中国・朝鮮・日本)に西洋近代医学が大規模に移植された。こうした移植に対する反応は各国様々であった。本研究では、そうした反応の差異を、特に日本と朝鮮に焦点を絞って検討した。西洋医学の大量移入に対して、当時、朝鮮の伝統医学者たちがとった態度は、大きく三つに分類できよう。(1)積極的導入派は、伝統医学の理論的な基盤であった陰陽説と五行説を厳しく批判した。(2)折衷派は、伝統医学の主な概念は西洋医学の言葉で翻訳できるし、二つの医学の間には疎通の可能性が残されていると考えた。(3)否定派は、身体に対する西洋近代医学の暴力性(侵襲性の高さ)に注目し、その限界を指摘した。近代朝鮮の医学システムの変化と比べると、日本の医学システムは遥かにドラスティックな形で転換した。近代日本は、江戸時代以来の伝統医学システムをほぼ廃止し、西洋近代医学に基づく新しい医学的システムを構築した。つまり、圧倒的大多数が積極的導入を支持した。また、その過程で近代日本は、朝鮮における医学システムの変化を促した直接的な介入者として機能することになる。われわれは、当時の朝鮮伝統医学がもっていた限界および可能性を、先の三つのグループに見出した。また、このような朝鮮の伝統医学者たちの理論は、日本による朝鮮植民地化以降、政治的な抵抗運動の理論と結合しながら、さらに精密化していくことになった。19世紀以降、東アジアの伝統科学はほとんど西洋近代科学に置き換えられた。しかし、そのなかでも伝統医学のみは、現在も現場の医療として臨床的成果を挙げている。東洋の伝統医学と西洋近代医学との衝突の中で起きた理論的境界に迫ることで、伝統医学のみならず、東アジア伝統科学の真相を再認識する手がかりを得ることができた。