著者
田中 薫 Kaoru TANAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.145-164, 1999-03-20

平成9年度1年間の日本の書籍の総新刊発行点数は6万2,336点であった。この数字を約1億2,500万人という総人口に対して、「多い」と考えるか「少ない」と考えるかは何とも言えない。しかし、膨大な量であることは否定できない。現代はそれほどおびただしい数の書籍が出版されている時代なのである。またそうした現実が成立するのは、出版物の流通機構がきちんと確立されているおかげである。そして、学術書や実用書などは別にして、虚構の世界であっても、小説等の出版物をフィクションであることを承知の上で、「娯楽」として楽しんでいるうちは問題がない。しかし、虚構であるにもかかわらず、あたかもそれが真実であるかの如くに書物にして発表する人たちがいる。つまり歴史や科学を堂々と捏造する人たちが存在しているのである。それらの作品の一部を「偽書」と言っている。現在、わが国では「言論・出版・表現の自由」が保障されている。だが、それを逆手にとったような、「偽書」あるいは「トンデモ本」の出版があとを絶たない。そしてそれがまた別の多くの新たな問題を引き起こす。しかしそれが可能であることが「出版」というメディアの持つ一つの特徴とも言える。そこでその問題に「偽書問題」と名付けてその是非について論じてみたい。
著者
田中 薫 Kaoru TANAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.105-134, 2000-03-21

メディアの世界が、今日のような多彩な姿に発展するきっかけとなったのは、写真の発明である。写真術の登場と、その技術的な進歩がその後のジャーナリズムのあり方を大きく変えた。それ以前、最初の重要な転換点はグーテンベルクによる印刷術の発明であった。そして印刷物の図版の部分は、初期は木版による凸版方式によるものであったが、やがてアミ凸版が発明され、写真の取り入れが可能となった。その後、ふんだんに写真技術を応用したオフセット印刷とグラビア印刷が発達し、紙メディアの進化に拍車をかけた。1946(昭和21)年。その年の4月に創刊され、その後15年間続いて1960(昭和35)年3月に廃刊となった『サン写真新聞』という、「写真」という言葉を題字に入れた紙メディアがあった。当時、すでにモノクロームの写真の質は高く、技術的な完成度も高かったが、印刷技術は、今日と比べてレベルが低かった。したがって『サン写真新聞』も写真の印刷の質はあまりよくない。それ以前には写真を主体にした印刷媒体として戦前から『アサヒグラフ』という雑誌があり、それらはグラフ雑誌と呼ばれていた。戦後は急速に写真雑誌の時代となる。写真の雑誌には3種類がある。カメラの普及を企図したもの及び写真を芸術として扱うものと、写真の技術を生かして報道することを旨としたものなどである。前者が技術系の専門誌及び『カメラ毎日』や、『アサヒカメラ』などであり、後者が『FOCUS』『FRIDAY』などの雑誌類である。『サン写真新聞』は、そのどれとも少し異なっていた。その『サン写真新聞』の約10万枚に近い保存ネガを素材に、廃刊から約30年後に私はMOOKを編集し、雑誌として再生を試みた経験がある。その体験を踏まえ、ある時代にのみ実在し、滅びていった写真ジャーナリズムの存在を確認し、どのようなメディアであったかを記録することにより、「写真ジャーナリズムとは何か」という問題について考察してみたい。
著者
田中 薫 Kaoru TANAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.139-164, 2003-03-20

2001(平成13)年度宮崎学術振興財団の助成による研究報告として私は2002(平成14)年4月,『宮崎公立大学716田中薫研究室所蔵雑誌創刊号目録-創刊号に見る戦後日本の雑誌』と題する報告書をまとめた。これは,私の研究室に所蔵されている約370冊の創刊号を,学生をはじめ多くの人々が有機的に活用できるようにするため,その目録を作成したものである。そして,その中に1946 (昭和21)年のものが70冊含まれていることがわかった。第二次大戦の終戦は1945 (昭20年)年8月15日。それから12月までの約4か月間はまだ日本中が混乱のさなかにあり,この時期に創刊された雑誌はきわめて少ない。しかし,翌昭和21年になると激増する。そうした混乱と新しい時代の夜明けともいうべき,この時代の出版界の状況を,この70冊の手持ちの資料を分析することで,どのような時代状況にあったかをあきらかにしてみたいと考えた。これらの雑誌は,基本的なスタイルは雑誌の形式(条件)を備えてはいるものの,あらゆる物的な面で,現在のものとは大きく異なっている。紙も,印刷も,製本も,その背景にある国の事情も。あれから約60年,すでに21世紀を迎え,日本の国力も,経済力も,社会的な事象も,風景,風土までが大きく変わった.それに伴って,出版状況も大きく変っている.しかし,そこには今日の繁栄につながる原点となった時代の姿がある。そこでその状況比較を試み,これらの70冊の資料分析から読み取れることを確認してみたい。