著者
丹下 和彦 Kazuhiko Tange
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.87-99, 2012-03

小論はエウリピデスの悲劇『フェニキアの女たち』の作品論である。本篇の上演年代は不明であるが、作者晩年のものと見なされている。古代から人気作品として知られているが、それが作品の完成度と必ずしも一致しない。劇は冒頭から最後に至るまでテバイ攻防戦を巡る各場面が連続してパノラマ的に展開するが、それらを繋ぐ統一的なテーマが見つからない。同時上演の他の作品との関連から、息子たちに対するオイディプスの呪いをそのテーマに擬する説もあるが、小論はそれを採らない。また劇の初めと終わりに登場するアンティゴネ像に人間的成長を認めて、それを本篇の意義と捉える説も採らない。論者は、本篇は互いに内的関係に乏しい、そして統一的テーマに欠ける各場面のパノラマ的展開の劇であり、その展開の妙こそが人気の源であったとする。
著者
丹下 和彦 Kazuhiko Tange
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.103-116, 2009-03

他の悲劇作品同様、本篇もギリシアの古い伝承をその素材としている。しかしそこに描かれているのは、現代のわたしたちの周囲にもしばしば見られる日常風景、その中でも家庭内不和の物語である。ネオプトレモス家の正妻ヘルミオネと第二夫人アンドロマケとの女たちの葛藤が物語の筋をなすが、作者の意図は彼女らそれぞれの悲劇的人間像を構築することではない。題名となったアンドロマケも、またヘルミオネも劇の中途で舞台から姿を消してしまう。 一方、劇中に散見される激しいスパルタ批判は、この劇を政治色の濃いもの、時代背景を色濃く反映するものとの見方を生んだ。確かにそれは否定し難いけれども、本篇はしかし、いわゆるプロパガンタ劇でもない。これは、婚姻という最小の人間関係に端を発する日常次元の人間の家庭内悲劇を描いた作品である。