著者
大久保 恭子 Kyoko Okubo
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.21-37, 2013-09

切り紙絵による図像と自身が書いたテクストからなるマチスの書物芸術『ジャズ』(1947年)の表題は、画家が当初想定していた〈シルク(サーカス)〉から〈ジャズ〉への変更を経て決定された。ところが『ジャズ』の図像はサーカスに関連する主題を多く含んでおり、テクストを見てもことさらジャズ音楽につながりを持ってはいなかった。それではこの表題変更の意義をどのように捉えるべきなのだろう。表題と作品との関連についてカステルマンは図像頁とテクスト頁との間の「シンコペートする構成」を見いだしたが、『ジャズ』は作品全体がシンコペートされていたと考えられるのではないだろうか。『ジャズ』が内包する「シンコペート」すなわち「ずれ」の意義を、比較すべき作品『パラード』と第一次世界大戦下での芸術活動実態の分析を踏まえ、『ジャズ』とその制作時期に重なる第二次世界大戦下での芸術活動との関わりを視野に入れて俯瞰的に考察する。
著者
北野 剛 Go Kitano
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of inquiry and research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.111, pp.131-149, 2020-03

本稿は満洲事変の背景をなしたとされる満蒙問題のなかでも、特に商租権問題に着目し、その概要を知るうえで必要な基礎的事項について明らかにするものである。商租権問題は1915年の対華21ヶ条要求の結果認められた、南満洲において土地を用益する権利であるが、設定当初より中国側の妨害を受け、外交問題化した。この問題について、これまでの研究では日中対立の側面に注目する一方で、商租行使の概況やその時期的展開については、十分に明らかにしてこなかった。また、商租権問題の事例についても、一部の争点化したもののみが取り上げられ、総体的な考察はなされてこなかった。そこで本稿では、そうした研究状況をふまえ、まず、基礎的事項を把握すべく、外務省記録にある毎年の領事報告をもとに、面積や件数などの統計を整理し、概況について分析した。また、その状況が日本国内および在満日本人にどのように認識されていたのかについても論及した。
著者
片山 慶隆 Yoshitaka Katayama
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.167-182, 2014-09

本稿は、1902年の日英同盟成立から、韓国が保護国化された1905年の第二次日韓協約に至る日英関係を検討した。特に、従来あまり検討されてこなかったイギリスの対韓政策を実証的に明らかにした。従来、イギリスは日本の韓国支配を後押ししたとされてきた。しかし実際には、イギリスは日本による韓国への進出を防いで、その独立を維持する援助を行なうつもりだったのである。だが、日露戦争勃発を機にイギリスの政策に変化が見られるようになった。戦争前は、韓国の立場に同情を示していたイギリスも、韓国への失望や伊藤博文訪韓への高い評価もあって、日本の韓国支配に理解を見せたのである。そしてイギリスは、伊藤の韓国支配における手腕に期待し、イギリスの植民地支配の「成功例」であるエジプトのクローマー卿になぞらえて期待をかけていた。これは、「非近代的な」韓国の問題点が日本を近代化させた伊藤により解決されることへの期待だったのである。
著者
溝口 聡 So Mizoguchi
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.112, pp.163-180, 2020-09

本稿はレーガン政権のAIDS政策の問題点を内政と外交の二つの視点から明らかにするものである。同政権のAIDS対策への評価は、概して保守とリベラルという国内政治の文脈から論じられてきた。大統領には、政権の支持基盤である保守派への政治的な配慮からCDCやNIHが推奨する性教育や大規模な予算を組んだ対策に対し、消極的な姿勢を続け、国内のAIDS被害を拡大させたとの厳しい評価が下されてきた。本稿はこうした国内での政権の対応の悪さが、過剰な移民規制やアメリカの国際的信用を貶めるため、AIDSを利用したソ連のプロパガンダの信憑性を高めるという悪循環を生んだことを明らかにした。すなわち、レーガンの消極的な対応は、同性愛者やアフリカ系アメリカ人コミュニティ内のAIDSによる社会的偏見に最も苦しめられた人々の中で、AIDSはアメリカ政府が製造した細菌兵器であるとの偽情報を受け入れる隙を作ったのである。
著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.77-93, 2004-02
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.113-133, 2008-03

あまり知られていないことであるが、サンドは子供の頃からデッサンや水彩画に親しみ、生涯に数多くの作品を残している。特に晩年の風景画「ダンドリット」は独特で、後のシュルレアリスムの画家たちが主張した「偶然」や「無意識」を連想させる。 夢想癖のあったサンドは子どもの頃、母が読む物語を聞くうちに緑色の火よけ衝立の上に様々な映像を見た。このことが後の芸術創造に影響した。また少女時代の作品に、「ロールシャッハテスト」そっくりの「折り紙による染み」がある。左右対称の「偶然」に生まれる図形に対する興味が、晩年の「ダンドリット」における「水に映った風景」へと発展した。 サンドは同時代の画家ドラクロワやコローなどとの交流を通じ近代絵画に対する興味を広げた。また孫娘への遺書として、愛する故郷ベリーの自然、19世紀の科学思想、進歩思想を背景にした童話集『祖母の物語』を書いた。彼女にとって絵画は物語と同様に、空想と現実を行き来する「夢のエクリチュール」であった。図を引用してサンドの絵画の先見性を明らかにした。
著者
伊藤 道治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.93-108, 2003-08
著者
安田 真穂 Maho Yasuda
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.135-149, 2007-03

『妬記』は南朝宋の虞通之が太宗の勅命によって撰した、女性の嫉妬にまつわる話を集めた書物である。本稿ではこれまで小説という観点から論じてこられなかった『妬記』を、その成立意義と「妬」を題材とした小説の流れから論じた。『妬記』に語られた女性の嫉妬は、実は夫への深い愛情ゆえの嫉妬であったことを読み取り、臨場感のある描写によって夫婦間の心の機微を巧みに捉えて描いていることを指摘した。そして『妬記』の出現以降、嫉妬によって殺された妾たちの復讐の念は、儒教道徳の圧力を受けない志怪小説という虚構世界で自由に表現できるようになる。家庭の中で秘されるべき「妬」は、こうして小説のテーマとなって語られ、唐宋代には更に別のテーマと絡み合いながら複雑で膨らみをもった虚構小説へと変わっていく。つまり『妬記』は、嫉妬を小説のテーマの一つへと昇華させ、「妬」が生み出す怪異を語る流れを作った、先駆的な作品であったと指摘した。
著者
吉村 耕治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.75-92, 2006-09

1953年以降、日本では台風を発生順に通し番号を付けて呼んでいるが、アメリカ合衆国ではhurricaneを個人名で呼ぶ慣行が定着している。米国では1953年にハリケーンの名称に女性の個人名の採用が正式に決まったが、1979年には女性名だけでなく、男性名の採用も決まり、1979年以降はアルファベット順に男性と女性の個人名が交互に使用されている。この現象は米国の人権意識の高さを表すだけではない。兄弟姉妹、両親、上司にも個人名を用いる習慣が反映しており、行為者を重視する表現を好むという英語表現の伝統的な傾向とも深く結びついている。台風の呼び名には、「お兄[姉]さん」「お父[母]さん」「部[課]長」という立場や役職上の名前を敬称として用いる日本語の習慣が関連している。英語と日本語によって熱帯性低気圧の命名法が異なるという現象の根源に、「人を中心に考える」英語文化と「人と人の関係」、つまり、「状況を中心に考える」日本語文化という相違が内在している。
著者
村井 淳
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
関西外国語大学研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.91, pp.117-135, 2010-03

ロシア革命後、ソヴェト当局は反革命勢力などを弾圧するために、収容所を設けた。その後、ソ連邦が成立すると、白海に浮かぶソロヴェツキー島に本格的な強制労働収容所が建設された。1930年代のスターリン時代には、インフラ整備などで労働力が必要なことから、強制労働収容所とそれを管理運営するグラーグ(収容所管理総局)システムが必要に応じて構築されていった。その切っ掛けを提案したのは、自らも最初は囚人であったフレンケリであった。30年代の大粛清などにより無実の人が逮捕され、新しく建設された強制労働収容所で過酷な無賃労働を強いられた。また、第二次世界大戦期には、ドイツ軍や日本軍などの捕虜も同様の労働を強いられた。その結果、スターリン時代に、数百万もの人々が死亡した。1953年スターリンの死とともに、この強制労働システムは急速に崩壊し、囚人や捕虜は釈放されていった。しかし、これらの強制労働はソ連の産業に貢献したが、長い目で見るとソ連崩壊の一因になった。
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.165-184, 2012-03

イタリアを舞台としたサンドの『スピリディオン』には、ヴェネツィア出身の版画家ピラネージの《幻想の牢カルチェリ獄》を思わせる一場面がある。修道士アレクシは教会の創始者スピリディオンの秘密を知るため、深夜教会の地下埋葬所に階段を降りていく。ゴチック式教会の内陣に彼が見たものは、司祭たちによる殺人であった。この階段のイメージは、ミュッセが翻訳した、ド・クインシーの『阿片吸飲者の告白』中にあるピラネージの《幻想の牢カルチェリ獄》に関する記述と共通している。またミュッセは螺旋階段を下降するピラネージ的幻想を自身の『世紀児の告白』の中に何度も使用している。子供のころ、祖母の書斎でピラネージの版画集を見て以来イタリアに憧れるようになったサンドは、『世紀児の告白』を読んで影響され、『スピリディオン』の階段を下降する場面を描いたのではないか。以上のことを明らかにしてみたい。
著者
堀 素子
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
関西外国語大学研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.84, pp.57-74, 2006-09

英語の法助動詞(modals)は日本では文法事項として指導されているが、語用論的機能については英会話の中で触れられる程度で終わることが多く、真にそれらがどのような使われ方をしているかにまでは及んでいないと思われる。 本論文ではブラウンとレビンソンのポライトネス理論に基づき、ネガティブ・ポライトネスの代表とされる「慣用的間接表現」に使われる法助動詞をコーパスのデータによって分析する。特に「依頼表現」に焦点を当てて、それらの表現がもつ意味と機能を日本語の敬語と比較しながら議論する。英語母語話者は「依頼」を「フェイス侵害行為」(FTA)と捉えているために、相手の「領土への侵害」を緩和することを第一の目標として、modalsを含む慣用的間接表現を使用している。日本語の敬語にも類似の表現があるが、それは対話者間の上下関係を明示するためで、行為自体を問題としない点で、英語の敬意表現とは鋭く対立する。
著者
田邊 久美子 Kumiko Tanabe
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.171-180, 2017-03

19世紀イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる感傷的な幼児の肖像画は「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれ、大変需要が高かった。特に例に挙げられるのは、Cherry Ripe と広告にもなったBubbles である。ファンシー・ピクチャーは実人生を描くのではなく、道徳的意味合いを含まない空想を描いた。ヴィクトリア朝の大衆は広告や複製画でミレイのファンシー・ピクチャーに大いに慣れ親しみ、Bubbles やCherry Ripe といった絵が印刷された商品や複製画を購入して消費に参入した。ミレイのファンシー・ピクチャーの中で、もっともコマーシャリズムや消費と関連しているのがBubbles であり、ハイ・アートとして製作されたミレイの作品が、本人の意図と関係なく、広告にされてしまった。この件を巡り、ハイ・アートとロー・アートの関係について議論がなされたことについて、ハイ・アート、消費、コマーシャリズムの関連について論じている。
著者
毛利 雅子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.225-236, 2013-03

アメリカやオーストラリアなどの通訳研究先進国では、法廷通訳人の役割、法廷内でのクライアントとの物理的位置、またクライアントの権威や権力がコミュニケーションに与える影響などに関する研究が既に進んでいる。しかし、裁判所をはじめとする法廷参与者は、依然として通訳人を単なる「言語の置き換えマシーン」と認識しているのが現状である。日本の法廷通訳人は1人で最大6人のクライアント(通訳を必要とする立場)に対応しなければならず、「言語の置き換えマシーン」としての状況はさらに厳しいものとなっている。 本研究ノートでは、Goffman の参与フレームワーク、Fairclough のゲートキーパー的役割論、Gallois らのコミュニケーション調整理論をベースに、日本とアメリカでの法廷レイアウトを用いて、日本における法廷通訳人の現状を分析すると共に、今後の課題を提示する。
著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.169-182, 2014-03

R.シューマンの音楽には、音楽そのものの異常さの喩であるような、なにか異常なものがある。ロマン主義の他の作曲家たちと異なって、シューマンの作品の中心にあるのは、主観的な語りではなく、主観的なものの成立そのものを、たえず音楽によって捉え返そうとする強迫である。シューマンの最良の作品の多くに感じ取られる独特の感興-主観的なものの無根拠=深淵を垣間見せる凄みとでも言うべきもの-は、蓋しそこに淵源する。 本稿は、こうしたシューマンという特異点において「音楽とは何か」という問いを問うための予備的な試みとして、彼のピアノ曲の傑作のひとつ《幻想曲》(op.17)の第1楽章を取り上げ、簡単な作品分析によってその異形性を明らかにし、そこに露呈されるものを考察する。
著者
岡田 啓
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.113-131, 2007-09

「学校に行く」の英訳はgo to school, leave for school, set off to school, get to school など何通りもある。脈絡によって,これらの中の最も適当なものが選択される。換言すれば,特定の脈絡を英語という言語でいかに切り取るのかをわきまえておかねば,正しい英語表現とはならない。上記のフレーズのうちどれを選ぶかはしばしば副詞との共起の中で決定される。その考慮をしない日本人の書く英語が不自然になる一大原因は正にここにある。例えば I go to school on week days. とは言えても,I go to school at 9 o'clock. はかなり曖昧な表現で,きちんとした正確な英語とは言い切れない。日常のカジュアルな表現としては,使用される状況より判断して「学校に向けて家を出るのが9時だ」と解釈できないことはない。しかし,英米のジャーナリスト・作家などは,大抵 I [left for / got to] school at 9 o'clock. のように,出発時を言うのか到着時を言うのかを指定している。この小論では,「学校に行く」という表現がいかなる副詞とどのような結び付きで用いられるのか,またそのとき,どのようなニュアンスで用いられているのかコーパスを用いて探り当て,具体例を挙げて用法を検証する。