著者
大石 和欣 Kazuyoshi Oishi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.85-92, 2007-03-31

本論考はいわゆるロマン主義時代における女性詩において、引喩が政治的な意味をもちながらどのように機能したのか、その多様な形態を探るものである。クリストファー・リックスによる『詩人への引喩』(2002年)は、英詩における間テクスト性の地図を書き換えたものだが、男性詩の伝統の中で吟味しているにすぎない。女性詩における広大な間テクスト性の領域を無視している。また、詩的引喩に埋め込まれた引喩のイデオロギー的な意味についても看過している。18世紀の女性は、ちょうど遺産相続や財産権から排除されていたと同様に、相続できる確立された文学的伝統があったわけではなかった。しかしながら、だからといって女性詩に間テクスト性がないということにはならない。それどころか、感受性文化の枠組みのなかで、女性たちは詩的引喩を用いながら、独自の言語とスタイルを作り上げる可能性を探り出していったのだ。おおっぴらに「公共圏」に参与する資格がないことを自覚していた彼女たちは、さまざまなテクストや社会的文脈にたいする引喩の中に、個人的なメッセージだけではなく、社会的・政治的メッセージを含みこんでいったのである。それは新しい形での「公共圏」への参与なのである。「公共圏」へ参入しようと試みながら、政治的メッセージを抱えた詩的引喩が錯綜して生み出す効果について明らかにしてみる。