- 著者
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渡邊 信夫
Nobuo Watanabe
- 雑誌
- 放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, pp.151-168, 2001-03-31
この研究は,北奥州に位置する八戸藩を対象として,八戸城下町と大坂との間に都市間海運が展開したことを論証しようとするものである.近世における都市間海運は,菱垣廻船,樽廻船による海上輸送を主とする大坂・江戸間海運を典型とする.先に,江戸・仙台間の海上輸送を担った石巻穀船の運行形態,積荷などを分析し,両地間に都市間海運の展開がみられることを論証した.本稿は同じ東廻海運における八戸と江戸,八戸と大坂間の海運においても都市間海運の展開がみられることを論証し,合わせて近世海運の特性を明らかにしょうとするものである. 文政2年,八戸藩は江戸・大坂方面に移出される国産品の専売制を実施した.その担当機関として城下に国産方を設置し,藩役人のほか城下町の有力商人をその業務にあたらせ,国産品の大坂交易に乗り出した.その結果,八戸港出入津の廻船は国産方を相手とする交易となり,さらに,藩は八戸・大坂聞の国産品の移出船を藩の雇船とし定期的な海上輸送を確保した.藩は,文化11年中大坂に「大坂御国産支配元」という大坂・八戸間の交易を担当する流通機関を設置した.藩は,支配元に就任した大坂商人柳屋又八との間に「諸国規定」を締結した.この約定は,輸送船を藩の雇船とし,支配元が雇船の調達,八戸・大坂間における国産品の海上輸送,大坂での販売を一手に請負うことを基本とするものであった.幕府の御城米,藩の蔵米輸送の場合と同じく,雇船の採用,空船条項もあるが,空船確認は雇船調達地でなく,八戸港で積み出す時点での混載の有無の確認であった.空船確認が幕藩より弱いのはまだ雇船調達を大坂に依存しなければならなかった事情の反映であった.幕末期にいたると,藩の手船を主体とする大坂交易となる.しかも,八戸藩は複数のルートによる大坂交易を行なうようになり,大坂での御船調達依存も弱まり,藩の海運支配が強化されるのである.