著者
井口 篤
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.63-69, 2010

本稿は、西洋中世が現代日本の大衆文化においてどのように表象されているかについて考察する。はじめに、西洋中世に端を発するイメージが今日の世界においても繰り返し現れることに言及する。これは一般的に「中世主義」と呼ばれる文化現象であり、この現象においては、これまでに様々な形のナショナリスト的、宗教的、そして学問的イデオロギーが互いに争うように「ヨーロッパ」という概念を我がものとしようとしてきた。しかし日本はヨーロッパと地政学的に隔絶しており、現在の領土を正当化するために中世ヨーロッパという概念を喚起することはない。にもかかわらず、中世西洋のイメージは戦後日本の大衆文化において頻繁に利用されてきた。本稿は、11 世紀の北欧を描く幸村誠の連載漫画『ヴィンランド・サガ』を分析することにより、日本の大衆文化における中世ヨーロッパの我有化は、現実逃避的とは到底言えないことを示す。作者の幸村にとって、中世ヨーロッパの日本人にとっての他者性はまったく障害ではない。幸村は亡命と帰郷という重要なテーマを作品の中で技巧的に展開することに成功している。この亡命と帰郷というテーマは、人間の一生が神への帰郷であると捉えられていた中世ヨーロッパにおいても重要であった。幸村の作品は一見中世ヨーロッパの社会を忠実に再現しようと試みているだけに見えるが、暴力、信仰の危機、仮借なき搾取に溢れる社会を読者に提供している。
著者
青山 昌文
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.55-61, 2010

役者の演技の在り方については、対立する二つの見解が存在している。より正確に言えば、一つの意見と一つの理論が存在しているのである。その一つの意見によれば、役者は、演じている芝居の登場人物の役のなかに自己を没入させるべきであり、心で演じるべきである。その一つの理論によれば、役者は、演じている芝居の登場人物の役を、意識的・自覚的に演技するべきであり、多大な判断力をもってして、演じるべきである。 『俳優についての逆説』と題された著作において、ディドロは、この理論を見事に確立した。彼は、凡庸な、つまらない大根役者を作るのが、極度の感受性であり、無数の幾らでもいる下手な大根役者を作るのが、ほどほどの感受性であり、卓越した役者を準備するのが、感受性の絶対的欠如である、と述べているのである。 この理論は、ディドロのミーメーシス美学に基づいている。感受性の絶対的欠如の理論は、彼の理想的モデルの美学に根拠をもっているのである。 ディドロは、スタニスラフスキーの先駆者である。但し、そのスタニスラフスキーは、真のスタニスラフスキーであって、ソ連の社会主義リアリズムのスタニスラフスキーではなく、演技の実践についての演劇理論のスタニスラフスキーである。 ディドロ美学は、アリストテレス美学と同じく、創造の美学なのである。
著者
北川 由紀彦 KITAGAWA Yukihiko
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.41-53, 2013-03-21

本稿では、東京(区部)における2つの〈ホームレス対策〉――(更生施設・宿所提供施設・宿泊所からなる)「厚生関係施設」と「路上生活者対策/ホームレス対策」――の1990年代中盤から2011年までの展開過程について行政資料を手がかりに整理・記述を行った。その結果、以下の諸点が明らかになった。 まず、「厚生関係施設」については、その定員の慢性的な不足と支援ニーズの増加が認識されてきており、施設種別の転換、施設での支援の効率化、施設退所後のアフターフォローの充実といった対応がとられてきている。「路上生活者対策/ホームレス対策」については、「就労自立」が基本的な目標に据えられながら、応急的な支援から長期的な支援へ、という方向で展開がなされてきた。また、その具体的な展開としては「自立支援センター」と「緊急一時保護センター」から成る「自立支援システム」の体系化、借り上げアパートを組み込んだ「地域生活移行支援事業」の実施、その「成果」をふまえての「新型自立支援センター」と「自立支援住宅」等による「自立支援システムの再構築」がなされてきている。 最後に若干の考察として、「厚生関係施設」の不足を補う形で始まった「路上生活者対策/ホームレス対策」が、その展開の結果として「厚生関係施設」のさらなる需要を掘り起こしてきたこと、いずれの対策も施設退所後のアフターフォローにその重心を移動しつつあることが述べられる。
著者
坂井 素思
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-40, 2007

この小論では、なぜ日本にコーヒー浸透という現象が起こったのか、あるいは日本人はなぜコーヒーを好きになったのかというテーマを考えてみたい。幕末の開港とともに、日本の税関はそれぞれの港で貿易統計を取るようになった。このため、外国との取引貿易品、なかでもとりわけ農産物は全て記録されることになった。明治の初めから、日本がどれだけのコーヒーの生豆を輸入したのかがほぼ完全に把握できることになる。これで見ると、1920年代から1930年代にかけて輸入量が累積的に多くなるという現象が観察される。この小論では、なぜコーヒーが浸透したのか、という点をめぐって、1920年代から始まるコーヒーブームに焦点を当てて、その理由を考えた。以上の結果、喫茶店によるネットワーク型消費の展開、世界のコーヒー市場の影響、都市化と覚醒文化の進展、などが社会経済要因として挙げられるという結論が得られた。
著者
石丸 昌彦 Masahiko Ishimaru
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-23, 2010-03-23

統合失調症は1%近い発症危険率をもち、世界的に広く認められる代表的な精神疾患である。思春期・青年期に好発し、多彩な精神症状を呈しつつ再燃を繰り返しながら慢性的に経過するもので、クレペリン以来、進行性かつ予後不良の疾患とされてきた。かつて統合失調症には有効な治療法が存在しなかったが、1952年に最初の抗精神病薬であるクロルプロマジンが開発されて以来、薬物療法が長足の進歩を遂げた。その結果、予後は劇的に改善され、既に重症疾患ではなくなったとの認識があるが、わが国では精神科入院者数の60%以上を依然として統合失調症の患者が占めており、その中には少なからぬ社会的入院者が含まれている。 統合失調症の発症機序に関しては、抗精神病薬の作用機序や覚醒剤精神病の知見などにもとづいて、ドーパミン神経伝達の過活動を想定するドーパミン仮説が有力視されてきたが、陰性症状や慢性化した陽性症状には抗精神病薬の効果が乏しいことなどから、同仮説の限界も指摘されている。ドーパミン仮説を補完しより包括的な疾患理解と治療方略を指向するものとして、統合失調症脳内におけるグルタミン酸神経伝達の低活動を想定するグルタミン酸仮説が挙げられる。本稿ではグルタミン酸仮説の根拠を紹介するとともに、統合失調症死後脳におけるグルタミン酸受容体研究の成果を紹介するとともに、その課題と将来性について論じた。また、死後脳研究におけるグルタミン酸受容体増加所見の分布を踏まえ、前頭連合野と頭頂連合野の変調が統合失調症の症状形成に関与することを推定し、「統合失調症の連合野仮説」の可能性について検討した。解決すべき課題は多く残されているものの、今後の研究の方向を決定するうえで「連合野仮説」は有益な示唆を含むものと考えられる。
著者
大石 和欣 Kazuyoshi Oishi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.85-92, 2007-03-31

本論考はいわゆるロマン主義時代における女性詩において、引喩が政治的な意味をもちながらどのように機能したのか、その多様な形態を探るものである。クリストファー・リックスによる『詩人への引喩』(2002年)は、英詩における間テクスト性の地図を書き換えたものだが、男性詩の伝統の中で吟味しているにすぎない。女性詩における広大な間テクスト性の領域を無視している。また、詩的引喩に埋め込まれた引喩のイデオロギー的な意味についても看過している。18世紀の女性は、ちょうど遺産相続や財産権から排除されていたと同様に、相続できる確立された文学的伝統があったわけではなかった。しかしながら、だからといって女性詩に間テクスト性がないということにはならない。それどころか、感受性文化の枠組みのなかで、女性たちは詩的引喩を用いながら、独自の言語とスタイルを作り上げる可能性を探り出していったのだ。おおっぴらに「公共圏」に参与する資格がないことを自覚していた彼女たちは、さまざまなテクストや社会的文脈にたいする引喩の中に、個人的なメッセージだけではなく、社会的・政治的メッセージを含みこんでいったのである。それは新しい形での「公共圏」への参与なのである。「公共圏」へ参入しようと試みながら、政治的メッセージを抱えた詩的引喩が錯綜して生み出す効果について明らかにしてみる。
著者
坂井 素思 Motoshi Sakai
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-40, 2008-03-20

この小論では、なぜ日本にコーヒー浸透という現象が起こったのか、あるいは日本人はなぜコーヒーを好きになったのかというテーマを考えてみたい。幕末の開港とともに、日本の税関はそれぞれの港で貿易統計を取るようになった。このため、外国との取引貿易品、なかでもとりわけ農産物は全て記録されることになった。明治の初めから、日本がどれだけのコーヒーの生豆を輸入したのかがほぼ完全に把握できることになる。これで見ると、1920年代から1930年代にかけて輸入量が累積的に多くなるという現象が観察される。この小論では、なぜコーヒーが浸透したのか、という点をめぐって、1920年代から始まるコーヒーブームに焦点を当てて、その理由を考えた。以上の結果、喫茶店によるネットワーク型消費の展開、世界のコーヒー市場の影響、都市化と覚醒文化の進展、などが社会経済要因として挙げられるという結論が得られた。
著者
吉岡 一男 Kazuo Yoshioka
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.107-120, 2000-03-31

夜空が何故暗いか? という疑問が17世紀に指摘されて以来,一部の天文学者を悩ましていた.それは,恒星が宇宙空間に無限に広がって輝いているならば夜空が昼間よりもはるかに明るいことになる,という現実とは異なる結論が導かれるからである.これをオルバースのパラドックスという.それを回避するために,宇宙有限説,孤立宇宙説,無限階前説,吸収説など様々な説が唱えられた.しかし,いずれの説も成り立たないことがわかった. 現在,ハッブルの法則に従う宇宙の膨張によりこのパラドックスが回避されると考えられている.すなわち,宇宙の膨張から帰結される宇宙年齢の有限性と宇宙の膨張に伴う膨張効果(ドップラー効果と希釈効果)によりパラドックスは回避される. しかし,通俗書に書かれているパラドックスの記述には,歴史の記述が不正確であったり,パラドックスの回避の説の記述が誤解を招いたり誤っている本が見られる.また,宇宙年齢の有限性の効果の方が膨張効果よりも圧倒的に効くのにその記述も見られない. 一方,宇宙の膨張を持ち出さなくても恒星の寿命が有限で空間密度が低いことでパラドックスを回避できる,と考えることもできるが,その場合も現在恒星が輝いていることの自然な説明を宇宙の膨張が与えることを指摘した.また,パラドックスが認識されるためには,背景となる理論が確立されている必要のあることも指摘した.
著者
西川 泰夫
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.26, pp.25-37, 2008

本論では、「心理学」という学問が、わが国に移入され定着するに至る背景やことの経緯を当時の人物の交流関係から再検証するとともに、なお未解決の論点をあらたな資料を基に再検討した。しかしなお、今後に多くの論点が残る。 心理学(新心理学)の導入と定着に日本初の役割を担ったのは、元良勇次郎である。その彼がアメリカ留学に至る間の経緯は、新島襄と津田仙との深い交友関係による直接、間接のつながりに支えられていた。この件を再検証する。 一方、そもそもの「心理学」と言う名称の由来やその語源(原語)に関する論点もなお未解決である。「心理学」という日本語表記と「psychology」という英語表記との結びつきはいかに確立したのか。この件の発端には、西周の大きな関与がある。彼は、ヘーヴンの著作「精神哲学(メンタル・フィロソフィー)」を訳出して「心理学」と題して出版した。他方、西は自著や他の訳書では一貫して、「サイコロジー」に対して「性理学」と訳出していて、心理学とサイコロジーとを直接結びつけてはいない。しかし、性と心は同義語と想定することも可能である。この仮説の再検証に当たっては、西村茂樹の著作や講演内容がヒントとなることが分かった。西村は当時、文部省で編纂課長を務める傍ら、大学に「聖学科」を置くというアイデアを提唱してもいた。また、「性善説」と題する講演で、この「性」という用語の定義内容を確定するために、これを「心」と読み替えて行うと述べている。さらに、彼の著作「心学講義」では、彼の言う「西国の心学」とは「心理学」に他ならないという主張を展開している。こうした見解をもとにあらためて「心理学」という名称の由来と当時の「心理学」の制度的位置づけを検討した。 なお、西村茂樹と津田仙は、幕末の佐倉藩士という共通の出自をもつ。彼らの略伝を示し「心理学」のルーツをめぐる議論に重ね彼らにまつわる広い人脈ならびに相互関係への言及を試みた。千葉県郷土史、近現代史の一断面である。
著者
船津 衛
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.27, pp.63-73, 2009

21世紀はリスク社会であり、そのリスクは内省(reflexivity)によって克服されるといわれる。内省とは人間が自己を振り返ることを表わし、内省によって「問題的状況」が乗り越えられるようになる。A・ギデンズによると、近代社会の内省は社会的実践がその実践に関する情報に照らして常に検討され、改善され、その性格を構成的に変容するという事実のうちに存在する。ハイ・モダニティの時代には「組み込み解消」によって人々が孤立化し、不安定化し、そこにリスクが生じる。そのリスクの解決のために内省が活性化するようになる。ギデンズの見解によれば、リスクの乗り越えのためには専門家システムが必要であり、専門家によるセラピーが大きな役割を果たすようになる。そこから純粋な関係性が生み出され、親密性の変容がもたらされることになる。 このようなギデンズの理論に対して、特殊西欧的であり、認知中心的であり、感情が無視されており、内省の構造的条件について十分な解明がなされていないという批判がある。現代のリスクはさまざまな不平等や格差が存在し、経済的、文化的、社会的なズレ・不一致・対立が広まり、深まってきており、リスクの克服には多くの困難が生じている。ここから、内省について経済的、文化的、社会的な多様性を理解することが必要となり、内省の社会性と創発性についてより具体的に明らかにすべきことになる。 内省は他者とのコミュニケーション過程において行われる。そこにおいて人間は「意味のあるシンボル」を通じて他者と会話するとともに、自己とも会話を行う。他者との会話という外的コミュニケーションが個人のなかに内在化することによって、内的会話としての内的コミュニケーションが発生するようになる。内的コミュニケーションの展開によって新たなものが創発されてくる。それが創発的内省である。 創発的内省の活性化によって、親密性が再構成される。新たに生み出される親密性は人々の間の完全一致や一元化ではなく、自由なネットワークからなる新たな親密性となっている。また、新しい親密性は産業や経済の目的合理性ではなく、コミュニケーション合理性にもとづく親密性となっている。コミュニケーション合理性にもとづく親密性において「本当の自分」を表現することが可能となる。そこにおいて、オルターナティブな親密性として現代的親密性が姿を現すことになる。
著者
石丸 昌彦
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-23, 2009

統合失調症は1%近い発症危険率をもち、世界的に広く認められる代表的な精神疾患である。思春期・青年期に好発し、多彩な精神症状を呈しつつ再燃を繰り返しながら慢性的に経過するもので、クレペリン以来、進行性かつ予後不良の疾患とされてきた。かつて統合失調症には有効な治療法が存在しなかったが、1952年に最初の抗精神病薬であるクロルプロマジンが開発されて以来、薬物療法が長足の進歩を遂げた。その結果、予後は劇的に改善され、既に重症疾患ではなくなったとの認識があるが、わが国では精神科入院者数の60%以上を依然として統合失調症の患者が占めており、その中には少なからぬ社会的入院者が含まれている。 統合失調症の発症機序に関しては、抗精神病薬の作用機序や覚醒剤精神病の知見などにもとづいて、ドーパミン神経伝達の過活動を想定するドーパミン仮説が有力視されてきたが、陰性症状や慢性化した陽性症状には抗精神病薬の効果が乏しいことなどから、同仮説の限界も指摘されている。ドーパミン仮説を補完しより包括的な疾患理解と治療方略を指向するものとして、統合失調症脳内におけるグルタミン酸神経伝達の低活動を想定するグルタミン酸仮説が挙げられる。本稿ではグルタミン酸仮説の根拠を紹介するとともに、統合失調症死後脳におけるグルタミン酸受容体研究の成果を紹介するとともに、その課題と将来性について論じた。また、死後脳研究におけるグルタミン酸受容体増加所見の分布を踏まえ、前頭連合野と頭頂連合野の変調が統合失調症の症状形成に関与することを推定し、「統合失調症の連合野仮説」の可能性について検討した。解決すべき課題は多く残されているものの、今後の研究の方向を決定するうえで「連合野仮説」は有益な示唆を含むものと考えられる。
著者
島内 裕子
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.210(27)-191(46), 1996
著者
戸ヶ里 泰典 米倉 佑貴 井出 訓 Taisuke Togari Yuki Yonekura Satoshi Ide
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.33, pp.11-25, 2015

保健・看護系の大学院生が、効率的に必要十分な統計学的知識の定着をはかり、データ解析ができるための学習支援のプログラムの開発に向けて、本学の保健・看護系修士課程大学院生における、①統計解析の学習に関する意向とニーズを明らかにすること、②統計解析スキル向上に向けた演習を構築しその評価をすること、③良く質問され、かつ研究遂行上重要なQ&Aを探索し整備すること、の3点を目的とした。 目的①に対しては一定の統計解析を行って修士論文を作成した本学保健・看護系大学院生・卒業生13名を対象とした自記式質問紙ないし構造化面接調査を実施した。また、目的②に対しては極力わかりやすい解説の元、論文の結果表を読み取り、自身の研究データ解析に活用できる授業の構築、ならびに、参加者が自分の研究データを扱っている感覚でデモデータを分析する演習の構築を行い、終了後に感想を聞くとともに、目的①の質問紙調査において感想を聞いた。目的③については、新たに専用の統計相談窓口を設置し、統計解析に関する相談を受け付けることを通じて、どのような質問が寄せられるかを整理した。 修士論文作成に使用した統計解析ソフトウエアはR/Rコマンダーが6名、SPSSが5名、Excel統計が4名であった。統計解析方法については、教員からの指導に依存し、補足的に自学自習をしているスタイルであった。事例が豊富な教材を期待する声が大きかった。講義、演習については、概ね良好に受け入れられたが、回数が限られており分量が多く、スピードが速いといった指摘が見られた。統計相談の内容の傾向としては、量的変数として扱ってよい場合とそうでない場合、必要なサンプルサイズについて多く寄せられていた。 統計解析に関する知識を概観し、自己学習のきっかけをつくるうえでの講義授業は重要であることが伺われた。同様に自主演習をすすめるきっかけとしての演習授業も重要であることが伺われた。
著者
島内 裕子
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.30, pp.122-110, 2012

北村季吟(一六二四〜一七〇五)は、生涯に二つの徒然草に関する注釈書を著した。四十四歳の時に刊行した『徒然草文段抄』(一六六七年)は、その後、広く流布した。これは徒然草に関して書かれた膨大な注釈書群の中でも、定番的な地位にあり、近代以後にあっては、欧米の日本学者たちが徒然草を外国語に翻訳する際にも、参照されている。一方、季吟が八十一歳の時に、五代将軍・徳川綱吉に献上した『徒然草拾穂抄』(一七〇四年)は、『徒然草文段抄』の詳細な注釈を、わかりやすく簡略化して、そのエッセンスをすっきりとまとめている。 本稿では、まず、近世前期の徒然草注釈書の中に、『徒然草文段抄』の特徴と個性を明確化する。そのうえで、北村季吟が晩年に到達した徒然草観、ひいては、古典の注釈書のあり方の一端を、『徒然草拾穂抄』の注釈態度の中から見出すことを試みた。 なお、各種の徒然草注釈書における注釈内容を具体的に比較するにあたって、本稿ではひとまず、徒然草の第二十段までを対象とする。その際に、諸注釈書が指摘する徒然草と和歌・物語との関わりに絞って考察した。
著者
井口 篤 Atsushi Iguchi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.63-69, 2011-03-22

本稿は、西洋中世が現代日本の大衆文化においてどのように表象されているかについて考察する。はじめに、西洋中世に端を発するイメージが今日の世界においても繰り返し現れることに言及する。これは一般的に「中世主義」と呼ばれる文化現象であり、この現象においては、これまでに様々な形のナショナリスト的、宗教的、そして学問的イデオロギーが互いに争うように「ヨーロッパ」という概念を我がものとしようとしてきた。しかし日本はヨーロッパと地政学的に隔絶しており、現在の領土を正当化するために中世ヨーロッパという概念を喚起することはない。にもかかわらず、中世西洋のイメージは戦後日本の大衆文化において頻繁に利用されてきた。本稿は、11世紀の北欧を描く幸村誠の連載漫画『ヴィンランド・サガ』を分析することにより、日本の大衆文化における中世ヨーロッパの我有化は、現実逃避的とは到底言えないことを示す。作者の幸村にとって、中世ヨーロッパの日本人にとっての他者性はまったく障害ではない。幸村は亡命と帰郷という重要なテーマを作品の中で技巧的に展開することに成功している。この亡命と帰郷というテーマは、人間の一生が神への帰郷であると捉えられていた中世ヨーロッパにおいても重要であった。幸村の作品は一見中世ヨーロッパの社会を忠実に再現しようと試みているだけに見えるが、暴力、信仰の危機、仮借なき搾取に溢れる社会を読者に提供している。
著者
大石 和欣
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.23, pp.65-78, 2005

本論考はアンナ・リティシア・バーボールドの政治的・詩的言説に看取できる「公共心」の輪郭を、18世紀後半から19世記前半にかけての歴史的背景の中で画くことを目的とする。バーボールドの「公共心」は、慈善活動や政治運動という領域の中で普遍的善意という道徳的美徳を実行していたユニタリアン文化のなかに深く根ざしているのは間違いない。しかしながら、女性としてバーボールドは、ジョゼフ・プリーストリーやギルバート・ウェイクフイールドのような男性ユニタリアンと同じ立場に立って議論をしたわけでもない。男性的な「理性的非国教徒」と一定の距離を保ちながら文学的・政治的アイデンティティを築き上げなくてはならなかったのである。この「2重の異議者」ともいうべき立場は、彼女を極めて曖昧な存在にしている。慈善に関する言説を吟味すると、非国教徒男性の言説とも、またウィルバーフォースやハンナ・モアといった国教会福音派とも、イデオロギーの点で両義的な位置を保っていることがわかる。スタイルや内容からいって彼らのものと重なるところもあるが、しかし、その根底には女性化したユニタリアン的美徳である公平無私な善意が流れているのである。この論考においては、バーボールドの言説に浸透している曖昧な「公共心」を、まず女性的な感受性言語文化の中で、つぎに慈善、教育、政治活動といったユニタリアン的'philanthropy'の領域で、そして最後に奴隷貿易廃止運動と絡めて吟味することにする。
著者
青山 昌文 Masafumi Aoyama
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.109-115, 2010-03-23

ブリヤ=サヴァランの『味覚の生理学』は、その実証主義的なタイトルにも拘わらず、実在論的で古典的な深い哲学的立場に立った美味学の書物である。 我々の研究において論じられるのは、以下の主題である。 1 宇宙と生命 2 食とエスプリ 3 食と国民 4 社会階層と人の本質 5 食欲と快楽 6 グルマンディーズと判断力 7 食卓の快楽 8 食卓と退屈 9 創造としての発見 彼は、近代主観主義的な人間中心主義を超えており、料理芸術における創造の問題についても、古典的立場に立ったミーメーシス美学を展開しているのである。
著者
森 津太子 Tsutako Mori
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.47-54, 2009-03-19

社会的判断や認知的判断を予測するモデルの多くは、判断時に想起する情報の内容のみに注目している。そのため、情報想起に伴って経験される主観的な経験がそれ自体で重要な情報源となっていることが見過ごされている。ここでいう主観的経験には、「検索容易性」「舌端現象」「親近感」「既知感」「知覚的流暢性」などが含まれる。このうち、情報再生時の容易さや困難さを表す「検索容易性/困難性」は、ここ20年程の間、特に社会的認知の領域で中もされてきた。本論文は、この検索容易性に焦点をあて、社会的判断や認知的判断においてこの経験がどのような役割を果たすかをレビューした。さらに、最後のセクションでは、他の認知的な主観的経験や感情的経験との統合の可能性について議論した。
著者
橋本 裕蔵
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.16, pp.93-110, 1999-03-31

わが国には,「公の事務を処理乃至は司る地位にある者がその地位を利用して不正の利益を得る行為」自体を罰する法はない.これと類似の犯罪類型として現行刑法には収賄罪がある.だが,これはその主体が「公務員又は仲裁人」又は「公務員」に限定され,「その職務に関し」という文言から「職務権限」,「賄賂を(収受し)」という文言から「賄賂性の認識」という要件が本罪成立の不可欠要件とされ,その為,収賄罪の成立範囲は限定されざるを得ない. これに対して,アメリカ合衆国にはextortionという犯罪類型がある.コモンローにルーツがあるextortionはthe Hobbs Act(1946)で明文化され現在に至っている.extortionはbriberyとは別の犯罪類型として公務員その他の公の職にある者による地位利用利得行為を犯罪化し,連邦訴追機関の重要な武器となっている。 1992年,Evans v.United Statesで合衆国最高裁判所はextortion"under color of official right"(公務の外観をとるextortion)には公務員によるinducement(一定の利益を要求するなどの誘引)は要件とはならない旨判示し,いわゆる,「口利き」により得た利益を選挙運動への寄付として受領したものだとする被告人側主張を退け,inducementを伴わないextortion"under color of official right"の成立を認め,これまでinducementの要否に付き意見の分かれていた連邦控訴裁判所の法運用に一つの解決を示した. 公の職にある者に対する規律に厳しすぎるということはない.アメリカ合衆国のextortion法の形成過程はわが国の法運用に大きな参考となるであろう.否,この種の違法行為が国単位で可罰的とされあるいは不可罰とされることには犯罪抑止に向けた国際協力に水を差すことにもなりかねないという危惧がある. 法定の職務に忠実でないという狭い意味での収賄罪だけでなく,職務を利用して利得する公務員や公の事務を処理乃至は司る地位にある者全ての行為を可罰的とする「犯罪化」は,現在のわが国の政治家公務員,上級公務員その他公の職にある者の行為を規律するうえでも真剣に考えるべきことの一つであるように思われる.