著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部発達支援教育実践センター紀要 (ISSN:18849407)
巻号頁・発行日
no.1, pp.95-106, 2009

大人による子どもに対しての一方向の指示が多く存在しがちな学校や家庭への警鐘は、教育に携わる筆者にとっても重要な論点である。巻き起こる子ども側の指示待ちが、自分を出せない状況であって、創造性にもかかわるこのことは教育の在り様を問われていると考える。特別支援教育においても同様で、かかわりを困難とする特性をもつ発達障害の子ども達への支援の在り方は看過できない。「遊戯療法」は「非指示的」「指示的」な視点で論じられ、それぞれが「子ども中心療法」「認知行動療法」という技法として有益さが示されてきた。発達障害の子ども達には、両者の技法を組み合わせた方法が有益であることも示唆されてきた。琉球大学における集団トータル支援においても両者の視点における有益さが検討されてきた。その具体的な事例として、「非指示的アプローチ」と「指示的認知的アプローチ」を取り入れた沖縄絵本の読み聞かせを行う場面としゃぼん玉の活動を行う場面についてビデオ記録に基づくエピソードを分析する。支援者と子ども達に巻き起こるかかわりの言葉やふるまいから「非指示的アプローチ」「指示的認知的アプローチ」を考察する。結果、一緒に活動する「非指示的アプローチ」では、支援者や子どもに肯定感が生じ一緒に活動する様子がみられ、自分の想いを表現する言葉となり、相手をいたわる言葉となる。支援者に対する事前指示や子ども達へ対する内容への指示にみる「指示的認知的アプローチ」では、支援者や子どものそれぞれに理解が生じ、それぞれが素材を認める言葉や、客観的な視点からの自分に気づいた言葉になり、気分を落ち着かせるクールダウン等の動きとなっていた。今後、「指示命令的なアプローチ」が多くを占める場合、子ども達の感情表現の不整合さが表出すると予測を立てた分析を要すると考える。
著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属障害児教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部障害児教育実践センタ-紀要 (ISSN:13450476)
巻号頁・発行日
no.10, pp.129-143, 2008

「発達を形成的に考えると違う視点が見えてくる」(浜田2007)ことを踏まえ,広汎性発達障害の子どもは,生活する沖縄の自然風土文化の中で,かかわりがどう編み直され形成されていくか検討する。この事例は,自然環境そのものに青や緑の明るい色彩が存在する沖縄に在住するY児であり,かかわる特別支援学級の少人数メンバーと担任,学校,母親と,Y児のふるまいとの間にみるやりとりである。Y児は,沖縄県に多くみられる三角頭蓋手術というエピソードを持つ。言葉という世界に遅れがあるY児への母親の願いは,「言葉がでるようになってほしい」であった。この提示によって学校の枠組みが構成されていくが,支援学級少人数メンバーと担任は,母親の願いよりも「どうつきあうか」が意識されていく。「怒りの表出」「模倣」「肯定的な言葉」等,支援学級内でわき起こる状況は,多様なかかわりの中にある。母親の感情と言葉は,言葉に遅れのあるY児のふるまいを受けた言葉であり,Y児を中心に編み直されていく。編み直しの中でY児は,「笑い」が増え模写と記名が形成されていく。周囲は「見せるかかわり」から,「かかわる人々の広がり」となり「沖縄が意図されていく」という構成をたどる。