著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjyo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部発達支援教育実践センター紀要 (ISSN:18849407)
巻号頁・発行日
no.4, pp.119-127, 2012

知的に遅れのないKくんは、普通学級という集団の中で、指示的な言葉に反応し、注意の持続が難しい。周囲の言葉や態度に怒りを表出させ、行為は暴言と人を叩くという問題行動を引き起こしていた。トータル支援教室では、個別支援の中でKくんの関係形成が行われ、集団支援でKくんの特性に添った集団活動が行われてきた。支援学生の記録や母親へのインタビュー等を分析した結果、5学年に入り、Kくんの集団支援に見られる姿は、書字体験へ挑戦する姿、負けたくない自己を表現し、自己を認めてもらいたいという姿であった。そして、穏やかな動きと他者を認めようとする姿が見られるようになった。集団支援における様子に触れながら個別支援について検討することで今後の課題として書字読字支援の継続、家族支援の必要が挙げられた。
著者
本間 七瀬 武田 喜乃恵 浦崎 武 Honma Nanase Takeda Kinoe Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部発達支援教育実践センター紀要 (ISSN:18849407)
巻号頁・発行日
no.6, pp.103-117, 2014

自閉症児者は,独自の世界観や感じ方をもつことにより、他者と気持ちや感情がずれる経験をもちやすいとされる(別府2009)。学童期において小学校の入学と共に集団行動の要素が強くなる中で、'他者とつながる'感覚や'豊かな感情を実感できる体験'を他者との関係性の中で積み重ね自尊心を育んでいきたい。今回は、通級指導とトータル支援の2つの場で支援者として関わった実践から1事例を取り上げ、対象児と他者との情動の共有体験に焦点を当て、対象児の心が動いたと思われるエピソードを抽出し、対象児の小学校1年生から2年生9カ月までの変容を振り返った。'共に楽しむ'という快の情動共有経験を積み重ねることが自他理解や自己調整を促し、主体的に他者に開かれていく力を育むことが示唆された。
著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjyo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部発達支援教育実践センター紀要 (ISSN:18849407)
巻号頁・発行日
no.3, pp.119-132, 2011

知的に遅れのないKくんは、通常の学級という集団の中で、指示的な言葉に反応し、注意の持続が難しい。周囲の言葉や態度に怒りを表出させ、行為は暴言と人を叩くという問題行動を引き起こしていた。トータル支援では、個別支援の中でKくんの関係形成が行われ、集団支援ではKくんの特性に添った集団活動が行われてきた。支援の継続を行う中、生活にかかわる人々のインタビューとアセスメントを通して、Kくんの環境を捉え直し、集団支援の内容を検討してきた。結果、人を叩く行為が減少した。4学年に入り、Kくんの集団支援に見られる特性は、フラッシュで見る短期記憶のよさと、視覚的刺激入力から表出する際の書字の困難さが見えてきた。
著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部発達支援教育実践センター紀要 (ISSN:18849407)
巻号頁・発行日
no.1, pp.95-106, 2009

大人による子どもに対しての一方向の指示が多く存在しがちな学校や家庭への警鐘は、教育に携わる筆者にとっても重要な論点である。巻き起こる子ども側の指示待ちが、自分を出せない状況であって、創造性にもかかわるこのことは教育の在り様を問われていると考える。特別支援教育においても同様で、かかわりを困難とする特性をもつ発達障害の子ども達への支援の在り方は看過できない。「遊戯療法」は「非指示的」「指示的」な視点で論じられ、それぞれが「子ども中心療法」「認知行動療法」という技法として有益さが示されてきた。発達障害の子ども達には、両者の技法を組み合わせた方法が有益であることも示唆されてきた。琉球大学における集団トータル支援においても両者の視点における有益さが検討されてきた。その具体的な事例として、「非指示的アプローチ」と「指示的認知的アプローチ」を取り入れた沖縄絵本の読み聞かせを行う場面としゃぼん玉の活動を行う場面についてビデオ記録に基づくエピソードを分析する。支援者と子ども達に巻き起こるかかわりの言葉やふるまいから「非指示的アプローチ」「指示的認知的アプローチ」を考察する。結果、一緒に活動する「非指示的アプローチ」では、支援者や子どもに肯定感が生じ一緒に活動する様子がみられ、自分の想いを表現する言葉となり、相手をいたわる言葉となる。支援者に対する事前指示や子ども達へ対する内容への指示にみる「指示的認知的アプローチ」では、支援者や子どものそれぞれに理解が生じ、それぞれが素材を認める言葉や、客観的な視点からの自分に気づいた言葉になり、気分を落ち着かせるクールダウン等の動きとなっていた。今後、「指示命令的なアプローチ」が多くを占める場合、子ども達の感情表現の不整合さが表出すると予測を立てた分析を要すると考える。
著者
金城 明美 浦崎 武 Kinjo Akemi Urasaki Takeshi
出版者
琉球大学教育学部附属障害児教育実践センター
雑誌
琉球大学教育学部障害児教育実践センタ-紀要 (ISSN:13450476)
巻号頁・発行日
no.10, pp.129-143, 2008

「発達を形成的に考えると違う視点が見えてくる」(浜田2007)ことを踏まえ,広汎性発達障害の子どもは,生活する沖縄の自然風土文化の中で,かかわりがどう編み直され形成されていくか検討する。この事例は,自然環境そのものに青や緑の明るい色彩が存在する沖縄に在住するY児であり,かかわる特別支援学級の少人数メンバーと担任,学校,母親と,Y児のふるまいとの間にみるやりとりである。Y児は,沖縄県に多くみられる三角頭蓋手術というエピソードを持つ。言葉という世界に遅れがあるY児への母親の願いは,「言葉がでるようになってほしい」であった。この提示によって学校の枠組みが構成されていくが,支援学級少人数メンバーと担任は,母親の願いよりも「どうつきあうか」が意識されていく。「怒りの表出」「模倣」「肯定的な言葉」等,支援学級内でわき起こる状況は,多様なかかわりの中にある。母親の感情と言葉は,言葉に遅れのあるY児のふるまいを受けた言葉であり,Y児を中心に編み直されていく。編み直しの中でY児は,「笑い」が増え模写と記名が形成されていく。周囲は「見せるかかわり」から,「かかわる人々の広がり」となり「沖縄が意図されていく」という構成をたどる。