- 著者
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川田 耕
Koh Kawata
京都学園大学経済学部
- 巻号頁・発行日
- vol.23, no.2, pp.35-57, 2014-03-01
古代にあって蛇は人類の様々な想像力を喚起してきたが、中心にあるのは人を誘惑し、騙し、命を脅かす、おぞましくも蠱惑的なイメージであった。古代中国では、蛇身の女媧と伏羲が人間創造の神とされたが、天ならびに皇帝を象徴する龍と分化して、中世になると蛇はもっぱら得体の知れない化物となって、生殖と死の不気味な象徴となった。近世に入り社会の国家化が進み文化が洗練されていくなかで、いわゆる「白蛇伝」が生み出されていく。白蛇の化身である白娘子は、許宣という若く平凡な男を誑かし死にいたらしめようとするが、法海禅師とその一党によって雷峰塔の下に鎮圧される。それはいわば国家-社会システムの全面的な勝利を象徴するかのようである。しかし、儒教的な権威的イデオロギーが空洞化していく明末以降清代にかけて何度も語り演じ直されるなかで、日本に渡った「蛇性の淫」等とは異なり、白蛇は次第に男を一途に想う人間的な一人の女となっていく。なかでも、法海との対決は一番の見せ場である「水闘」の段としてより劇的になり、道徳的で抑圧的な秩序を破壊しようとする、かつてなく激しい女の怒りの表現がみられる。この頃には白蛇は仙界から投胎されたものと理想化され、さらには状元となった息子との再会を待ちわびる等身大の母親の姿にすらなる。これは、国家的・男権的な秩序と性愛的な関係性とが対立したものとされるなかで、男女相互の欲望のありようが洗練され、親密さを感情と価値の中心とする新たな私的領域が生み出されていったことを示していると思われる。これらの一連の物語の発展・変容には、父権的な社会・家族構造とイデオロギーの裏側に育った、性愛と生命の流れへの民衆的で非言語的な創造の力がみられるのであって、そこに近世中国社会の近代への胎動が見てとれる。