32 0 0 0 OA 道徳と主体

著者
川田 耕
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.97-113,189, 1994-10-31 (Released:2017-02-15)

Morality is generally something more than traditional practices. M.Foucault distinguishes the moralities between the "code-oriented" moralities, which have a system of traditonal practices and rules of behavior in detail, and the "ethics -oriented" moralities, in which such system and rulues are rather rudimentary and leave their function to each individual's retlective consciousness. In the latter case, each individual is required not only to have self-awareness but to make self-formation as "ethical subject". I think "the popular morality "in Japan which was named and investigated by Yasumaru Yoshio can be called ethics-oriennted morality, because this morality demands people should reform traditional practices and have reflective consciousness. The popular morality is ethical because of its great interest in each individual's consciousness and it is popular because of its premise that establishment of proper consciousness may bring some social profit. The popular morality depends on smooth circle of the moral doctrine, each individual's consciousness and the social profit. When this circle is not satisfactory, the existence of ethical subject is threatend,and the effects of morality tend to be code-oriented. I investigate such structure of this morality in early modern Japan (especially in the discourse of the "Rono" in the late Edo period and the "Hotokushugi" in the Meiji period), and search the transformation of it in the Meiji period and the possibility of creating new ethics.
著者
中西 康裕 三宅 好子 川田 耕平 久保 友美子 今中 淳二 廣田 雅彦 後藤 淳宏 今村 知明
出版者
一般社団法人 日本医療情報学会
雑誌
医療情報学 (ISSN:02898055)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.123-134, 2016 (Released:2017-09-11)
参考文献数
29

本研究では,800床規模の高機能を持つ平均的な大病院をモデルケースとして,まず薬剤収益を求める収益計算の一般的な線形式を作成した.その線形式を基に,後発医薬品導入率,院外処方率および薬剤値引き率等を変数として,変数の増減による薬剤収益の変動を分析した.後発医薬品導入率が0%から100%へ増加することで,収益は約2億1,143万円上昇した.DPCに包括される薬剤が後発医薬品に置き換えられることによって入院薬剤経費が削減され,さらに後発医薬品係数の上昇により診療報酬が増加した.しかし,院外処方率が10%から90%へ増加することで,後発品導入による収益増と同程度の約2億442万円の収益が減少した.院内処方を堅持している病院は,院外処方に切り替えた病院と比較してより多くの薬剤収益を上げていることが本分析によって示された.国の政策として,後発医薬品の推進は経済的インセンティブが有効に機能していると言える.だが,院外処方の推進については,すでに院外処方が主流であるものの経済的インセンティブが働いているとは言い難い状況であろう.
著者
川田 耕
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.45, pp.147-173, 2020-11
著者
川田 耕 Koh Kawata 京都学園大学経済学部
出版者
京都学園大学経済学部学会
雑誌
京都学園大学経済学部論集 = Journal of the faculty of economics Kyoto Gakuen University (ISSN:09167331)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.35-57, 2014-03

古代にあって蛇は人類の様々な想像力を喚起してきたが、中心にあるのは人を誘惑し、騙し、命を脅かす、おぞましくも蠱惑的なイメージであった。古代中国では、蛇身の女媧と伏羲が人間創造の神とされたが、天ならびに皇帝を象徴する龍と分化して、中世になると蛇はもっぱら得体の知れない化物となって、生殖と死の不気味な象徴となった。近世に入り社会の国家化が進み文化が洗練されていくなかで、いわゆる「白蛇伝」が生み出されていく。白蛇の化身である白娘子は、許宣という若く平凡な男を誑かし死にいたらしめようとするが、法海禅師とその一党によって雷峰塔の下に鎮圧される。それはいわば国家-社会システムの全面的な勝利を象徴するかのようである。しかし、儒教的な権威的イデオロギーが空洞化していく明末以降清代にかけて何度も語り演じ直されるなかで、日本に渡った「蛇性の淫」等とは異なり、白蛇は次第に男を一途に想う人間的な一人の女となっていく。なかでも、法海との対決は一番の見せ場である「水闘」の段としてより劇的になり、道徳的で抑圧的な秩序を破壊しようとする、かつてなく激しい女の怒りの表現がみられる。この頃には白蛇は仙界から投胎されたものと理想化され、さらには状元となった息子との再会を待ちわびる等身大の母親の姿にすらなる。これは、国家的・男権的な秩序と性愛的な関係性とが対立したものとされるなかで、男女相互の欲望のありようが洗練され、親密さを感情と価値の中心とする新たな私的領域が生み出されていったことを示していると思われる。これらの一連の物語の発展・変容には、父権的な社会・家族構造とイデオロギーの裏側に育った、性愛と生命の流れへの民衆的で非言語的な創造の力がみられるのであって、そこに近世中国社会の近代への胎動が見てとれる。
著者
川田 耕
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.38, pp.214-177, 2017-03-10
著者
川田 耕 Koh Kawata 京都学園大学経済学部
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.35-57, 2014-03-01

古代にあって蛇は人類の様々な想像力を喚起してきたが、中心にあるのは人を誘惑し、騙し、命を脅かす、おぞましくも蠱惑的なイメージであった。古代中国では、蛇身の女媧と伏羲が人間創造の神とされたが、天ならびに皇帝を象徴する龍と分化して、中世になると蛇はもっぱら得体の知れない化物となって、生殖と死の不気味な象徴となった。近世に入り社会の国家化が進み文化が洗練されていくなかで、いわゆる「白蛇伝」が生み出されていく。白蛇の化身である白娘子は、許宣という若く平凡な男を誑かし死にいたらしめようとするが、法海禅師とその一党によって雷峰塔の下に鎮圧される。それはいわば国家-社会システムの全面的な勝利を象徴するかのようである。しかし、儒教的な権威的イデオロギーが空洞化していく明末以降清代にかけて何度も語り演じ直されるなかで、日本に渡った「蛇性の淫」等とは異なり、白蛇は次第に男を一途に想う人間的な一人の女となっていく。なかでも、法海との対決は一番の見せ場である「水闘」の段としてより劇的になり、道徳的で抑圧的な秩序を破壊しようとする、かつてなく激しい女の怒りの表現がみられる。この頃には白蛇は仙界から投胎されたものと理想化され、さらには状元となった息子との再会を待ちわびる等身大の母親の姿にすらなる。これは、国家的・男権的な秩序と性愛的な関係性とが対立したものとされるなかで、男女相互の欲望のありようが洗練され、親密さを感情と価値の中心とする新たな私的領域が生み出されていったことを示していると思われる。これらの一連の物語の発展・変容には、父権的な社会・家族構造とイデオロギーの裏側に育った、性愛と生命の流れへの民衆的で非言語的な創造の力がみられるのであって、そこに近世中国社会の近代への胎動が見てとれる。