著者
尾崎 文昭 LIN Yi-qiang
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2004

研究実績は主に以下の二編の論文があり、いずれも『東洋文化研究所紀要』に掲載される。その概要は以下の通り:1:「古音、方言、白話に託す言語ユートピア--章炳麟と劉師培の中国語再建論」章柄麟と劉師培は、清末の中国語現状に対する批判的見方に基づき、古音、方言、白話と注音方法という四大課題から構成された中国語重建論を提起した。章と劉の研究によって、古音の正統的地位は固められ、方言も低俗のイメージから解放され、両者はともに純正中国語の「一体両面」となった。方言から古音を遡り、そして、古音で方言を統一することは、彼らの独特の研究方法になったばかりではなく、彼らが目指した中国語改造の道となった。白話文学の伝統と地域差異を超えた言語標準は、その中国語改造論においても重要な資源となる。彼らの白話研究と論述は、その語言の均質性と言文一致の可能性に集中しており、それらは恰も古音と方言の弱点を補う形となった。章炳麟と劉師培の中国語再建論は、古音、方言、白話についての研究を尽くしてからはじめて建て直しを開始できるという長いプロセスであった。それは多大な研究実績を伴った周到な再建論であるにもかかわらず、今日の中国語の現状から見れば、もはや一種のユートピアにすぎない。2:「排満論再考」本稿は清末排満論が民族論から体制論へ転向する過程を研究対象とし、清末国学と辛亥革命の結果についてより合理的な解釈を与えようとする。初期排満論は民族浄化を鼓吹する復讐論であったが、清末の最後数年において、それが転向しなければならないところまで行き詰まっていた。『民報』対『新民叢報』の論争を経て、排満論はその「満漢」、「華夷」の対立論式を修正し、その排除範囲を漢民族官僚も含む特権階層に限定し、その基調は「排満」から「排清」へと転向した。章炳麟の建国理想と劉師培のアナーキズムはその転向を促成した重要な要因と考えられる。章炳麟と厳復、楊度の論争に至ると、問題の核心は満漢問題から、ナショナリズムとアイデンティティに移した現象が見られた。章炳麟はアメリカの現状から示唆を受けて、「中国人」を漢民族に等しい概念から「合漢満蒙回蔵為一体」の上層概念へと上げた。その上で、「文化」、「民族」、「国家」「三位一体」の新しい中国像を提示し、排満論の目的を「民族」から「民国」へと移行させた。そのような転向は清末国学にも影響を与え、その重心がより大きな幅で政論から学術研究へと傾み、民族問題は再び文化問題として帰着した。その結果として、辛亥革命は排満論の勝利ではなく、むしろ排満論の放棄を意味するものと考えられる。