著者
井上 真 LUGAN Bilung IGIN
出版者
日本熱帯生態学会
雑誌
Tropics (ISSN:0917415X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2+3, pp.143-153, 1991-12-30 (Released:2009-09-16)
参考文献数
16

プナンの人々は狩猟採集によって生計を維持してきたボルネオ島の先住民である。彼らはさまざまな森林産物の交易を通して,焼畑民族であるダヤクの人々と直接的な共生関係を結ぶと同時に,華僑が支配するアジアの交易網に組み込まれていた。しかし,近年インドネシア領に居住するプナンの人々の生活は,貨幣経済の浸透と焼畑耕作の導入にともなって急速に変化しつつある。 その現状を明らかにするために東カリマンタン州ブロウ県クレイ郡にある2 つの集落(ナハス・セパヌンNahas Sebanung とロング・メライLong Melay) にて,クレイ・プナンKelay Punan の人々の経済生活に関する調査を実施した。 クレイ川最上流に位置するナハス・セパヌン集落の人々は森林内で狩猟採集を営み,年に4 回だけ集落に出てきてアラブ系商人に森林産物を販売している。従って,集落は1 年のうちほとんどが無人となる。そもそも,この集落には商人が森林産物の集荷の便を考えて新しく建てた数戸の仮設住宅しかない。これに対してプナンの集落としてはクレイ川の再下流に位置するロング・メライ集落の人々は1973 年に焼畑耕作を導入して以来,焼畑作業のある時期は集落に戻り,作業を終了すると森林へ入るという生活パターンをとっている。 ロング・メライ集落の人々は,これまで毎年原生林を利用して焼畑耕作を行なっていたが,1989 年に初めて焼畑跡地の二次林を利用した。しかしその休閑期間はわずか3 年であり,休閑期間における植生の回復度合いは,クニャー・ダヤク(ケニャKenyah) の人々による焼畑の場合と比較してはるかに劣っている。これは伝統的焼畑民族ではないクレイ・プナンの人々が森林保全と調和した焼畑用地の循環システムを持たないのが原因と考えられる。 ロング・メライ集落での焼き畑作業においては,伝統的焼き畑民であるクニャー・ダヤクの集落のような労働組織の分化は見られない。しかし,自家労働で行なわれているのは火入れ作業のみであり,伐採・播種・収穫の各作業は主に“Peldau”と呼ばれている労働組織により実施されている。これは数世帯間での等価労働交換と違い,集落全員による共同労働のことである。 ナハス・セパヌン集落の人々の現金所得源は75% が籐(ラタン), 23% が沈香, 2% が砂金の販売である。支出内訳は43% がロングボートのモーター用燃料の購入, 28% が米の購入となっている。さらにアラブ系商人からモーターを購入したのが大きく響いて,恒常的な債務奴隷となり,森林産物の採集を余儀なくされている。 ロング・メライ集落では現金所得のうち31% が沈香, 26% が籐の販売収入である。支出の42% が米を除く食費, 31 %がロングボートのモーター用燃料費にあてられている。住民達は商人に対しである程度の負債を負っているが,調査不可能であったナハス・セパヌン集落での負債額よりずっと少額であることは確かである。 アラブ系商人はナハス・セパヌンでの森林産物の交易を独占しており,それより下流域の集落においてはプロウ人の商人と競合している。彼ら商人は何人もの仲買人を支配下において,ブロウ県全域から籐,燕の巣,沈香を集荷している。これらの森林産物はスラバヤやジャカルタ経由で輸出される。 以上,急速に市場経済の末端に組み込まれて,負債を抱えながら森林産物の採集を続け,一方で焼き畑耕作の導入によって定住性を高めつつも,自らの居住環境(森林)を劣化させる可能性の高いクレイ・プナンの人々の実態を鑑みるに,彼らの生活の安定化と森林の保全とを両立させるための対策が必要と考える。