著者
村上 直樹 Murakami Naoki
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = Jinbun Ronso: Bulletin of the Faculty of Humanities, Law and Economics (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.37-47, 2021-03-31

常識的には、人間は、物事を「頭の中」で理解していると考えられている。例えば、人間は、他人の言葉を、耳や目といった感覚器官を使って体の中に取り入れ、それを「頭の中」で理解していると考えられている。しかし、この描像は正しくない。他人の言葉は、「頭の中」で理解されているわけではない。そもそも他人の言葉そのものは、「頭の中」には入ってこない。では、他人の言葉は、どのようにして理解されているのだろうか。人間が、他人の言葉を理解するということはどのようなことなのだろうか。本稿の目的は、まずこの問いに答えることである。また、人間が理解しているのは、他人の言葉だけではない。人間は、言葉として表明されない他人の気持ちや意向、ひいては世界における様々な物、事象、現象をも理解している。そして、それらも人間の「頭の中」で理解されているわけではない。では、それらは、どのようにして理解されているのだろうか。こうした問いに答えることも本稿の目的である。
著者
村上 直樹 MURAKAMI Naoki
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.33, pp.99-120, 2016

ある制度論の論者は、「社会を記述するとは制度を記述することである。社会を説明することは、制度を説明することである」(志田・永田1991:69)と主張する。我々はこの主張に同意する。人々が社会と考えるものの中核にあるのは制度である。デュルケムも言うように、社会の学としての社会学は基本的に「諸制度およびその発生と機能にかんする科学」(Durkheim1895=1978:43)なのである。(ただし、デュルケムが考える制度と我々が対象としている制度は、必ずしも完全に重なり合うわけではない。)社会学は、制度を最重要の研究対象としなければならない。ただし、制度を説明することがそのまま社会を説明することになると言っても、制度イコール社会なのではない。例えば、財務省という一つの制度体、法廷での審理という一つの制度的相互行為、あるいは商法という一つのルール群が、そのまま一つの社会なのではない。社会は、制度よりも大きなまとまりである。では、この社会というまとまりは実質的にどのようなまとまりなのだろうか。本稿の主な目的は、多元的制度論の立場からこの問いに答えることと、社会の研究はどのような課題に答えなければならないのかを明らかにすることである。また、本稿は、グローバリゼーションと呼ばれている過程が世界社会や国際社会といった「大きな社会」を形成しているわけではないこと、並びにヨーロッパ統合が「社会の交差」という事態をもたらしていることも併せて指摘することになるだろう。