著者
村上 武則 SCHELLER Andreas
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

研究成果の第1として、2003年9月29日、ドイツのバヅーラ教授を大阪大学に迎え、「公益企業による生存配慮」と題して、講演会を開催することができた。そこで、教授は、民営化の時代においても、公行政による最低限度の保障の責任として生存配慮概念を維持されようとされる。さらに欧州連合においても、加盟国は、一般的経済的利益の給付は、市場関連的給付として、許容されうると主張されるのが注目されうる。そして、公益企業による生存配慮は、社会的法治国の本質的メルクマールであると結ばれている。研究成果の第2として、日本の近距離旅客輸送の法律問題に関し、ドイツのシュパイア大学で行われた国際シンポジウムにおいて報告したこと、およびその内容を、シュパイア大学法学論叢に公表できた(2004年)ことである。その中では、とくに日本では、ドイツやヨーロッパと異なり、東京圏や大阪圏および中部圏においては、きわめて人口密度が高く、その意味で近距離旅客輸送は、住民の生活と極めて密接な関連を有していることを指摘するとともに、我が国においては明治期以来、近距離旅客輸送は、民間企業によって担われていたこと、しかし同時に行政主体によっても近距離旅客輸送が担われていたことを指摘した。研究成果の第3として、欧州連合、イギリス、ドイツ等における近距離旅客輸送の民営化に関する理論と実態を考察できた。とりわけ、フェーリング(Professor Dr.Fehling)「公的な近距離旅客輸送を例にした生存配慮の改革の考察」(Die Verwaltung 34.Bd,2001)を参考に、様々なモデルについて考察できたことである。このように、近年は世界的に、行政の規制緩和と並んで、民営化が大胆に推進されることになった。国鉄も民営化され、近距離旅客輸送は、いっそうの民営化が迫られている。しかし、どうだろうか。2005年4月25日午前9時20分に発生したJR福知山線の尼崎での大事故は、民営化の落とし穴の如実な例である。人命を預かる近距離旅客輸送として、安全性は効率性以上に尊重されなければならない価値である。この度の事件において、安全性軽視の実態が明白になったが、一日も早く、その原因が解明され、利用者の安全性の保障がなされなければならない。このため、生存配慮としての公益企業、たとえば近距離旅客輸送において、国家は、最低限の保障を担うべきであろう。