- 著者
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倉 真一
Shinichi KURA
- 雑誌
- 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
- 巻号頁・発行日
- vol.10, no.1, pp.67-87, 2003-03-20
本稿は1990年代の日本における入国(移民)管理政策を,「非行性」の産出という観点から概観したものである。最初に1990年代の入国管理政策を画した1989年と99年の二度の入管法改正をめぐって,前者においては非正規外国人の存在が争点であったこと。しかし非正規外国人という存在が入国管理政策によって作り出されているために,非正規外国人の排除という政策意図は失敗したことを確認した。後者においては非正規外国人による外国人犯罪が焦点となり,入国管理政策を正当化する論拠としての「治安対策」が浮上してきたことを確認した。ついで上記の正当化とそれを支える外国人犯罪の否定的イメージそのものが,実は非正規外国人に対する排除の「意図せざる結果」として形成されたことが明らかになった。「違法性」を纏った「法律違反者」である非正規外国人を,その違法性を理由に排除していく末に産み出されていくのが,「非行性」とその所持者としての「非行者」-すなわち「外国人犯罪者」のイメージなのである。要するにフーコーが「監獄の失敗」にみたように,入国管理制度は自分の存在する根拠(=非行性)を,自らの効果として産出するという自己準拠的な構造を有すといえるだろう。 1989年改正入管法の失敗にもかかわらず,あるいは失敗ゆえに99年改正入管法と現在の入国管理制度は存続の根拠(正当性)を「治安対策」として,自らの産み出した「非正規外国人」と「外国人犯罪者」のうえに求めることができるのである。