著者
武井 弘一 Takei Koichi
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
地理歴史人類学論集 (ISSN:21858535)
巻号頁・発行日
no.1, pp.33-42, 2010

近世の百姓といえば、田畠を耕しても領主に重い年頁を取り立てられ、自給自足で生きるためで精一杯だったと考えられている。しかし、近年、そのような百姓の暮らしの見直しが進んでいる。そこで、煙草に注目し、百姓の暮らしのなかで、どれくらい喫煙の風習が広まっていたのかを明らかにすることを課題とした。事例としたのは近世中期の金沢平野で、絵農書『農業図絵』を解読することで分析した。その結果、農村での喫煙は基本的に成人男性のみに許された特権で、煙草は噂好品として消費され、農作業の合間や仕事休みに心身のリラックスを求めて飲用されていた。近世中期の段階での成人男性の喫煙率は、最低に見積もって3割であったと考えられる。未公開:論文中の史料1~4は著作者の意向により削除
著者
武井 弘一 Takei Koichi
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 : 琉球大学法文学部人間科学科紀要 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.27, pp.181-204, 2012-03

享保の改革では、享保7年(1722)に、いわゆる新田高札を立てることで、商人資本をもとに新田開発が進められたと考えられている。その実態を確かめるべく、琵琶湖、青野原・蜷子野新田、猪名川・藻川という3か所の動向をとらえた。その結果、新田高札でもって有力商人の協力をうながしたというのは誤りであることが判明した。すなわち、享保7年に幕府は新田高札を立てて新田開発を奨励したが、商人資本の開発そのものは幕府が問題ないと判断した場合のみに許されたのである。ところが、開発を奨励しても、耕地化しやすい低地の開発はピークに達しつつあり、利水・治水などの水問題を解決できないことも相俟って、耕地はあまり増加しなかった。未公開:論文中の〔図〕酒井村絵図は著作者の意向により削除