著者
Vogel Ronald K.
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.201-218, 1999-09

世界各地で大都市政府が弱体化したり解散に追い込まれている一方で、、東京都は統一自治体の典型例としての地位を保っている。だがその東京都も岐路に立たされている。たとえば都の行政単位である特別区は自治の拡大を要求しているが、国の政府は中央の権力を維持しつつも行財政は地方に移管しようと検討している。国土の均衡ある発展と一極集中防止対策の効果がさほど上がらない一方で、大都市圏の拡大は進んでいる。そして21世紀を目前にして、東京都は不況とそれに伴う財政難という問題に直面している。政府・自治体間関係の変化という東京の問題は、アメリカの大都市地域が直面する問題でもある。確かに東京都は、単一国家でありアメリカとは文化も大きく異なる日本において行政を展開しているが、中央集権化と分権化という2つの圧力のせめぎあいという点では、アメリカの大都市地域も同じような状況にあるのである。東京の都市部の拡大は、都市の境界線の拡張を伴うものではなかった。現在の東京都は、都市の政府としてはもはや大きすぎる。しかし都政では、依然として特別区に対する行政サーピスの提供に目が向けられている。23区の重視は一方で、多摩地域の各市町村の軽視につながりかねない。これら市町村は自治体に義務づけられたサービス(東京都が23区内で提供しているもの)を提供しなければならないが、23区とは異なり、都区財政調整制度の対象からははずれている。財政逼迫のおり、都からの補助金は多摩地域の大多数の市町村にとって十分とはいえない。同時に、大きすぎる東京都は、近隣3県を含む(首都圏8県に及ぶという説もある)真の意味での大都市圏を統治するには小さすぎるとも言える。戦後50年間続いてきた大都市行政制度を改革しようと、区、都、自治省、内閣、国会では10年近くも調査や話し合いが続けられてきた。1998年、都区制度改革の最終報告書が関係機関等の了承を得て、関連法案が国会で可決された。改革では、現在は都が実施している清掃や都市計画などの事業が、2000年までに区に移管される。だが改革が完全に実施されるかどうか、次のように疑問視する向きもある。1)区の受入れ体制が十分かどうか。2)権限委議が財政改革を伴うものかどうか。現在都が徴収して特別区に交付している金額を大幅に引き上げる必要がある。しかし財政問題の検討は事業移管後へと先送りされており、しかも交付額を決めるのは都である。3)事業全ての移管が可能かどうか。区によっては自区内で清掃工場が確保できない、あるいは移管は民営化の促進と組合の弱体化につながるとして、清掃組合の反発も予想される。都区制度改革に対する批判は、次の4点である。1)より上位の政府、特に都への財政依存が続くため、特別区が完全な自治体として生まれ変わるかどうか大いに疑問である。特別区への期待が高まる一方で、財源不足からサーピスの縮小という懸念もある。2)東京都の行政区分は、もはや実際の都市圏に適合したものではない。東京都の管轄地域の人口は、首都圏一都三県の3分の1にすぎない。改革を通じて、都は市(区)へのサーピス提供という重荷から解放され、広域行政に専念できるようになり、従って地域の決定権が強まるという期待もある。しかし都県の範囲を超えた地域全体について、どのような効果的な計画や決定を打ち出せるかについての検討や研究は先送りされている。3)改革は、特別区間、都、国との間で歳入をどう分配し、どの政策を優先させるかについての対立激化という、予想し得ない結果となりかねない。アメリカでも政府聞の対立は大いに非難されているが、対立はアメリカの政治文化や、連邦政府や合衆国憲法などの制度と相容れないものではない。しかし、単一制度で、政治においても合意が重視される日本ではそうではない。4)改革によっても、都の中における多摩地域の自治体と特別区との差は解消しない。チャールズ・ピーアド、ウィリアム・ロブソンなどの学者は長年、1つの広域的な大都市政府のもとに都市と郊外部の双方を置くべきだと主張してきた。最近ではこれが、巨大で、非効率で、期待に応えられない官僚制度につながると懸念されている。確かに公共選択学派は、集権化の問題に焦点をあてるのに成功した。だが、公共選択市場学説に基づく分権化は、自治の拡充ではなく放棄につながる。一方、ピーター・セルフは、地域政府(集権化)は必要だが、市民の意識を向上させる中核都市(分権化)をなくす必要はないとする、より実際的な大都市行政を提唱した。さらに分権推進派のマリー・ブックチンは、自治体連合こそが地域間協力を行う手段だとしつつ、さらに徹底的な分権を唱えている。特別区の強化は分権化を加速させるだろうが、財政改革をともなわないとこの努力も無駄になってしまう。この分野におけるピーアドやロプソンなどの古典的著書は、依然として都市のあり方や大都市行政を理解する上で役立つものだ。そして問題ごとの処方筆の中にはまだあてはまるものもある(ロブソンが提唱した区の規模、財政改革の必要性、特別区・市町村制度の廃止)。だが、都市圏行政のための統一大都市政府という枠組みは、21世紀を目前にした今日の都市社会にそぐわないもととなっている。今日、大都市政府が失敗するのは、政治的な存立(または拡大)基盤を持ち得ないためである。さらに大都市政府の領域は空間的に広がりすぎ、対象人口も多くなりすぎ、効率的な行政は望めなくなっている。今後は、政府・自治体の縦横のつながりを強化するような新たな別の方法を模索し、市民へのアカウンタピリティを向上させるような仕組みを強化すべきだろう。その意味においては、セルフとブックチンの考え方の方が、来世紀の東京、そして世界各地の大都市の行政制度を構築する上で参考となると思われる。本研究は、1997~98 年のフルブライト研究奨学金を得て、客員研究員として東京都立大学都市研究所に在籍した際に実施された。指導・助力を頂いた同研究所の福岡峻治、柴田徳衛の両先生と、資料翻訳や通訳の面で協力を得た佐藤綾子氏に感謝したい。本研究の第1稿は、1998年9月3日~6日にボストンで開催されたアメリカ政治学会の会合で発表された。At a time when metropolitan governments have been weakened or dismant1ed, Tokyo Metropolitan Government (TMG) exemplifies the model of integrated metropolitan government. Yet. TMG is at a cross-roads. The 23 special wards (ku), administrative units of TMG, are demanding greater local autonomy. The central government seeks to devolve administrative and fiscal policy while retaining central authority. Efforts to bring about balanced growth and limit over concentration are meeting with limited success while the metropolis continues to expand outwards. As the millenium approaches, Tokyo finds itself constrained by the economic slump and associated fiscal strain. This paper reports on a case study of changing intergovernmental relations in Tokyo.