著者
御厨 貴 野島 博之
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.28, pp.141-172, 1986

本稿は,東京都西端のー画を占める檜原(ひのはら)村の選挙の歴史を鳥瞰図的に考察したものである。期間は昭和34年から同58年までの24年間,計7回の選挙を扱っている。おそらく,本稿の最大の弱点は,五日市町に木造の小さな印刷所兼販売店を構える新五日市社の週刊「秋川新聞」に,執筆の主材料が限定されてしまっている点であろう。当然の帰結として,人に誇示できるような天賦の素質を授かった訳でははないのに,筆者は,主要な部分で、人間の知力の一構成要素に全幅の信頼を置かざるをえなかった。その構成要素とは想像力である。新聞と想像力ーこの困難な条件下においても,筆者は能う限りの奮戦をしてみようとは試みた。そこには,それなりの理由もある。新聞は,日本の学的世界の中で,常に副次的な資料として遇されがちではなかったろうか。想像力は,歴史的片々の前に,ほとんど絶望的な沈黙を強いられがちではなかったか。そのような不幸な者たちを率いて,筆者に一体何ができるのかを確かめてもみたかったのである。できばえは,案の上よくない。このような代物がよく調査され,構成もしっかりした論文の聞に挟まれるのかと思うと,恥ずかしさで身体が火照ってしまう。全体として素人のレポートの域をでず,学術論文らしい体裁を整えてもいないのであるから,本稿を通じて,読み手の側にイマジネーション・ウォーズを換起するような箇所が一つでもあれば,それでよしとしなくてはなるまい。以上,これは果して要約にはなっていないが,筆者の意とするところを少しでも汲みとって頂ければ幸いである。
著者
住友 陽文
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.46, pp.125-137, 1992-09

本稿は、1923年に大阪市社会部調査課によって作成された『余暇生活の研究』をもとにして、日露戦後から第1次大戦後における都市官僚の労働者観を把握することである。本論では、第1次大戦期に増加した労働者の余暇がいかなる内実をもっていたのかをまず明らかにし、そのことが当該期の労働問題といかに関わるのかを探ってみたい。続いて、労働者の余暇問題をめぐって、都市官僚が労働者をいかなる方向へ善導しようとしたのかという点を考究するとともに、いかなる方法によってその善導が達成されるのかという点にも論及するであろう。その際、日露戦後から顕著になる都市における公共教化施設の整備に着目して、その機能と労働者の善導の問題を究明してみたい。そこでは、地域名望家(=いわゆる「予選派」) による極地的利益に対抗する都市官僚の広域的・全階層的公共性を都市行政遂行の論理として位置づけられていることが確認されよう。最後に、都市専門官僚制の確立の問題に関わって、都市行政の断行と労働者統合との連関の位様を浮彫りにし、都市官僚がいかなる市民を基盤として自己の正当性を獲得しようとしたのかという点を見通してみたい。そしてそのような大都市における専門官僚が、資本とも国家とも異なる自律的な論理をもって労働者の「市民」化を構想していたという仮説を呈示した。
著者
竹中 英紀 倉沢 進
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.36, pp.p5-23, 1989-03

本稿では,東京・練馬区光が丘パークタウンで実施した調査結果を素材として,大規模ニュータウンにおける<住宅階層>の問題について論じた。主なファインデイングスは次の通りである。第1に,所得の不平等を住宅の平等化として是正するはずの公的住宅政策は,階層的区分を誰の目にも見えるように「空間化」することによって,あらたな差別の形態を生み出している。第2に,このことによる居住者の相対的な均質化と相互隔離が,各住宅階層に固有な<生活様式>の下位類型分化を促進する作用をおよぼしている。そして第3に,地位や生活水準の格差のみならず,こうした生活様式の異質性が,ニュータウンにおける社会的葛藤・紛争を生起させる大きな要因となっている。
著者
浅見 泰司 神谷 浩史 島津 利行
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.187-199, 1999-09

道路ネットワークを分類する実験結果から、道路ネットワークの知覚的認知度指標を構築した。特にグリッドパターン特性と放射パターン特性を記述できるG指標とR指標を提案した。分析の結果、道路ネットワークパターンを記述する上で本質的な要素として、道路の平均幅員と平均ノードオーダーが重要であることが示された。Perceptive similarity of road networks is expressed by distance measures based on the experiment to classify networks. Several indices are calculated to explain the distance measure, among which G-index and R-index are proposed to express the extent of grid pattern and radial pattern. The average width of roads and the average order of nodes are found to be essential factors to explain the difference in road network patterns.
著者
浜 利彦 福岡 峻治
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.71, pp.33-52, 2000-03
被引用文献数
3

本稿は、東京都町田市の横浜線旧原町田駅周辺の中心市街地で、行われた市街地再開発事業等のケーススタデイを通じ、その再開発構想・計画及びその実施過程をあとづけ、これらを規定した諸条件を明らかにしようと試みたものである。特に、この事業を通じ実現された諸権利・諸利益の空間的再編成の意義を考察することにより、商業・業務及び公共スペースの空間的な構成の特徴点を明らかにする。また、事業権利者及び関係者の当該再開発事業に対する立場、果たした役割等を市長との関係を中心に再構成しこれを位置づけ、その分析・評価を試みる。これらにより、この再開発をめぐる政治過程を再構成しつつ、横浜線及び小田急線の両駅の統合、商業中核の形成及びタウンセンターの整備といった事業計画との関連において、市街地再開発の意義を考察し、町田市の繁栄の要因を解明したものである。In this paper, the authors describe the conception, planning and implementation of the urban redevelopment project, and specify the conditions that shaped these processes. The description involves case studies of this project and related ones in the central business district of Machida City. Machida, a thriving commercial district, is one of Tokyo's suburban cities(became a city in 1958), and has a population of about 360 thousand. This redevelopment project involved the moving of Haramachida Station (JR Yokohama Line) closer to Machida Station (Odakyu Line). The two stations were 650 meters apart, creating great inconvenience for people wishing to transfer from one line to the other. Shops around Haramachida Station strongly opposed the plan. This opposition developed into a major battle between local stores, politicians and big businesses wanting to establish department stores and other large commercial facilities. The authors place particular emphasis on clarifying the characteristics of the spatial arrangement of commercial and public spaces, by analyzing the meaning of spatial rearrangement of rights and interests created through the development projects. The authors also analyze and evaluate the positions and roles of titleholders and other interested parties by focusing on their relationship with the city mayor. To show clear reasons for the prosperity in Machida City, the authors attempt to describe the political process of the redevelopment, the meaning of urban redevelopment in relation to the redevelopment plans, the formation of ac ore commercial district, and the improvement of the town center.
著者
西山 康雄
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.55, pp.5-14, 1995

この論文は、さまざまな社会を「経済の発展段階」から4つに類型化し、それぞれの社会類型ごとに都市計画の理念、手法がどのように違うのかを、日英近代都市計画の史実、片言隻語から引用し、明らかにしたものである。その際、とくにつぎの2点に注目した。① 貧しい時期から衰退期へいたる社会の変化、発展のなかで、とくに日英の都市計画は、それぞれの時期に、どのような内容、特徴をもっていたか。② 成熟期社会・日本の「最後の仕事」はなんだろうか。論文は、「都市計画は社会的技術であり、一国の社会の変化・発展に対応して、計画理念、手法も変わる」という都市計画観に立つ。そして、さまざまな国、社会の都市計画は、同じ経済の発展段階にあるとき、類似点をもつことに注目し、諸社会を「貧困期社会」「成長期社会」「成熟期社会」「衰退期社会」と類型化し、都市計画の理念、課題を整理した。また、英米が活力あふれる「成熟期社会」のあいだに、住宅、高速道路網の整備に国富を蓄積し、社会の安定をはかつてきた教訓にもとづき、日本もそろそろ「衰退期社会」への突入を現実的な課題としてとらえる必要があること、その最大の課題のひとつは、東京の居住地改善であることを問題提起した。Town planning is a kind of societal enginieering and has transformed its concepts and methods through the historical development of socio-economic conditions in a society. The purpose of this paper is to clarify the ideals and development methoeds of town planning in each society,which is categorized into four types by the stages of economic development: Poverty stricken society,Economically evolving society,Matured society and Declining society. Main topics mentioned below are discussed in the paper. 1) What were the contents and characteristics of town planning in Japan and United Kingdom from Poverty stricken society to Declining society? 2) What kind of final job in the town planning field should Japan accomplish before entering into the Declining society in the early 21st century?
著者
浜 利彦
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.74, pp.47-64, 2001-03
被引用文献数
3

本稿は、東京都武蔵野市の国鉄(現JR)中央線吉祥寺駅前で行われた駅周辺再開発事業等に関して、その中心的推進者であった後藤喜八郎氏が市長に就任した1963年前後の計画策定過程及び事業実施過程に関するケーススタディである。特に、難航した計画策定過程をあとづけることを通じて、市長を中心とした当該事業の関係者及び関係組織の特徴並びにその果たした役割を明らかにする。また、当該事業関係者・組織の特徴と役割が当該地区の諸権利、諸利益の空間的再編成にどのように影響を与えたかについて考察する。これらを通じて、当該再開発事業をめぐる政治過程が、実際に行われた事業に対してもつ政治的・社会的意味を解明しようと試みたものである。This paper presents a case study on the process of planning and implementing of urban redevelopment projects in the area surrounding Kichijoji Station, in the City of Musashino. Of a long history of these redevelopment projects, the author focuses on the year 1963 when Kihachirou Goto, a major leader of these projects, first became the mayor of Musashino. The author places particular emphasis on clarifying the characteristics of titleholders and other interested parties by describing and evaluating very difficult planning processes. The author then analyzes how these characteristics inf1uenced the spatial rearrangement of rights and interests in the redevelopment projects in an attempt to explain the meaning of the political process in these actual urban redevelopment projects. Through the political process, the mayor succeeded in creating small coalitions of Storeowners, politicians, and others, and promoted the projects by utilizing these coalitions. These partial coalitions resulted in many fragmented projects in different parts of the town. Department stores were built on the fringe whereas the core commercial district, where it was almost impossible to coordinate the interests of the many small storeowners, was preserved. The coexistence of a variety of stores, complementing and stimulating with each other, then contributed to the creation of very attractive and vigorous town of Kichijoji.
著者
羽貝 正美
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.58, pp.73-96, 1996

本稿は近代都市計画の先駆として19世紀以降の世界の諸都市に様々な影響を及ぼしたパリ都市改造に素材を求め、その歴史的意義を再考することを課題とする。はじめに、近年のフランスの都市研究の特質を検討し、その中に、パリ改造研究の新しい視点を探ってみたい。その上で、パリ改造推進の最も重要な法的手段であった公用収用権限、超過収用、地帯収用制度に焦点を合わせ、その導入の背景を考察する。具体的には、1840年代の都市状況とこれらの実施をめぐる議論を検討し、こうした制度が導入されるに至った多様な要因を整理したのち、1852年3月26日のパリの街路に関するデクレの意義を検討する。最後にこのデクレの斬新性と限界とに注目し、近代都市計画の先駆としてのパリ改造の歴史的意味、その二面性を再考する。
著者
松田 磐余
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.35, pp.87-101, 1988

流域の開発による流域の人工化の過程や,水害の変貌と治水対策の変化は非可逆的に行われていることを,柏尾川流域を例にとって実証した。その結果,柏尾川流域に見られた水害の歴史的変貌は6つの時代に区分でき,時代の経過にしたがって,その様相が変遷していることを示した。現在の状況や将来を考えると,浸水被害の軽減には水防施設の強化は勿論ではあるが,被害ポテンシャルの増大を抑止することも重要となっている。そこで,主に神奈川県の例を取り上げて,一般住民が利用できる浸水危険地域に関する現在の情報について紹介した。
著者
矢部 拓也
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.76, pp.97-113, 2001-12

本研究の目的は、拡大パーソナルネットワーク分析を目的として、これまで2度行ってきた年賀状事例調査の方法論的検討を行うことである。本研究と同様の拡大パーソナルネットワークを研究対象としているボワセベンの研究と比較することで、年賀状事例調査の特徴を整理した。その結果、年賀状事例調査は、基本的には対象者と直接の紐帯をもつ人々との関係(2者間の相互作用上の関係)に関しては、多くの要因に関して分析可能であるが、ネットワークの構造を現す諸変数に関してはわずかに「規模」と間接的に「クラスター」を測定できるに留まっていることが明らかになった。また、ボワセベンのパーソナルネットワークのモデルでは、ネットワークは「親しさ」という一元的な規準によって同心円的に配置されるが、年賀状調査の結果では、「親族」「友人」「同窓生」「同僚」「サークル仲間」・・・・といった、社会的文脈ごとにパーソナルネットワークがまず区分され、その上で各カテゴリーごと独自の分類規準が存在している様相が明らかになった。そしてこれらの社会的文脈は、対象者のライフヒストリーとも関連している。そのため、年賀状事例調査では、パーソナルネットワーク形成過程とライフヒストリーとの関連を明らかにすることができるという利点をもっている。最後に、このような年賀状事例調査の利点が生かせる対象である武蔵野市のコミュニティ活動のリーダー2名のパーソナルネットワークの事例分析を行った。コミュニティ活動に参加する過程を、ライフヒストリーと既存のパーソナルネットワークの再編過程から描き、パーソナルネットワークの形成発展過程の一事例を示した。The purpose of this paper is to reconsider the method of a case study of personal network using New Year's Cards (Nengajo). The case study of this kind was conducted twice for the analysis of the loose-network (week ties). I have compared the method of our study with Boissevain's network study for the clarification of the advantage of the method used in our study. The case study using New Year's Cards has an advantage in analyzing interrelationship between ego and others. However,it also has a disadvantage in analyzing the structure of the network (e.g. the density of network). This study describes the inner-structure of individuals' personal network. At first individuals' personal network is classified into some categories based on social contexts,for example,kin,friends,colleagues,club activity's members and so on. Second,each category is subdivided. There are many criteria for such subdivisions of personal networks,for example,intimacy,frequency of meeting,and so on. These factors are closely related to individuals' life-course. Therefore,it is possible that we describe the processes of how individuals' personal networks come to form and how their life-course is related in such processes. Furthermore,two case studies are examined,using New Year's Cards as a methodological tool. They clearly show the methodological advantages described above. The two informants in this study are the members of a community organization in the Musashino-city. I have described the process of their participation in community activities from a viewpoint of the relationship between their life-course and reorganization of their personal network.
著者
石田 頼房
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.42, pp.121-149, 1991-03-30

エベネザー・ハワードが1898年にその著書『明日』(後に『明日の田園都市』)で発表した田園都市論は,単なる理想都市論ではなく,極めて実現性の高い計画論であった。しかし,発表当初はハワードの理論も「空想的」とみなされていた。それを空想ではないと感じさせたのが,ボーンヴィルやポート・サンライトなどの既に実現しつつあった工業村だった。もともと,ハワードの田園都市論は19世紀を通じてイギリスでみられた工業村などの試みや,土地公有化論を基礎に考えられたものである。さらに,ボーンヴィルのカドベリーやポート・サンライトのレヴァーなどの,工業村の創始者である工業主はレッチワース田園都市を建設した第一田園都市株式会社の有力出資者でもあった。いわば,田園都市論も田園都市も工業村をぬきにしては語れないのである。しかし日本では,工業村については断片的な紹介しかされていない。この報告では,19世紀イギリスの工業村の内でも最も著名なソルテア,ポート・サンライト,ボーンヴィルの三事例を取り上げ,その計画と建設の歴史,その後の変化,現状について述べる。
著者
吉井 博明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.47, pp.121-133, 1992-12

最近、特にロマプリエータ地震以降、日本においては災害時のボランティア活動をどう活性化すべきかが大きな関心を呼んでいる。本稿では、この点での社会的論議が活発になされているイタリアを取り上げ、防災体制の現状のレビュー、防災ボランティアの位置づけ、防災ボランティアの概況、代表的ボランティア団体の活動実態について検討した。特に興味深い点は、ボランティアを防災体制の一部として明確に位置づけ、保険や経済的補償の制度化をはかる一方で、役割や指揮系統の明確化、訓練の義務づけがなされつつある点である。このような論議は、日本における防災ボランティアの推進を検討する上で大いに役立つと考えられる。
著者
Vogel Ronald K.
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.201-218, 1999-09

世界各地で大都市政府が弱体化したり解散に追い込まれている一方で、、東京都は統一自治体の典型例としての地位を保っている。だがその東京都も岐路に立たされている。たとえば都の行政単位である特別区は自治の拡大を要求しているが、国の政府は中央の権力を維持しつつも行財政は地方に移管しようと検討している。国土の均衡ある発展と一極集中防止対策の効果がさほど上がらない一方で、大都市圏の拡大は進んでいる。そして21世紀を目前にして、東京都は不況とそれに伴う財政難という問題に直面している。政府・自治体間関係の変化という東京の問題は、アメリカの大都市地域が直面する問題でもある。確かに東京都は、単一国家でありアメリカとは文化も大きく異なる日本において行政を展開しているが、中央集権化と分権化という2つの圧力のせめぎあいという点では、アメリカの大都市地域も同じような状況にあるのである。東京の都市部の拡大は、都市の境界線の拡張を伴うものではなかった。現在の東京都は、都市の政府としてはもはや大きすぎる。しかし都政では、依然として特別区に対する行政サーピスの提供に目が向けられている。23区の重視は一方で、多摩地域の各市町村の軽視につながりかねない。これら市町村は自治体に義務づけられたサービス(東京都が23区内で提供しているもの)を提供しなければならないが、23区とは異なり、都区財政調整制度の対象からははずれている。財政逼迫のおり、都からの補助金は多摩地域の大多数の市町村にとって十分とはいえない。同時に、大きすぎる東京都は、近隣3県を含む(首都圏8県に及ぶという説もある)真の意味での大都市圏を統治するには小さすぎるとも言える。戦後50年間続いてきた大都市行政制度を改革しようと、区、都、自治省、内閣、国会では10年近くも調査や話し合いが続けられてきた。1998年、都区制度改革の最終報告書が関係機関等の了承を得て、関連法案が国会で可決された。改革では、現在は都が実施している清掃や都市計画などの事業が、2000年までに区に移管される。だが改革が完全に実施されるかどうか、次のように疑問視する向きもある。1)区の受入れ体制が十分かどうか。2)権限委議が財政改革を伴うものかどうか。現在都が徴収して特別区に交付している金額を大幅に引き上げる必要がある。しかし財政問題の検討は事業移管後へと先送りされており、しかも交付額を決めるのは都である。3)事業全ての移管が可能かどうか。区によっては自区内で清掃工場が確保できない、あるいは移管は民営化の促進と組合の弱体化につながるとして、清掃組合の反発も予想される。都区制度改革に対する批判は、次の4点である。1)より上位の政府、特に都への財政依存が続くため、特別区が完全な自治体として生まれ変わるかどうか大いに疑問である。特別区への期待が高まる一方で、財源不足からサーピスの縮小という懸念もある。2)東京都の行政区分は、もはや実際の都市圏に適合したものではない。東京都の管轄地域の人口は、首都圏一都三県の3分の1にすぎない。改革を通じて、都は市(区)へのサーピス提供という重荷から解放され、広域行政に専念できるようになり、従って地域の決定権が強まるという期待もある。しかし都県の範囲を超えた地域全体について、どのような効果的な計画や決定を打ち出せるかについての検討や研究は先送りされている。3)改革は、特別区間、都、国との間で歳入をどう分配し、どの政策を優先させるかについての対立激化という、予想し得ない結果となりかねない。アメリカでも政府聞の対立は大いに非難されているが、対立はアメリカの政治文化や、連邦政府や合衆国憲法などの制度と相容れないものではない。しかし、単一制度で、政治においても合意が重視される日本ではそうではない。4)改革によっても、都の中における多摩地域の自治体と特別区との差は解消しない。チャールズ・ピーアド、ウィリアム・ロブソンなどの学者は長年、1つの広域的な大都市政府のもとに都市と郊外部の双方を置くべきだと主張してきた。最近ではこれが、巨大で、非効率で、期待に応えられない官僚制度につながると懸念されている。確かに公共選択学派は、集権化の問題に焦点をあてるのに成功した。だが、公共選択市場学説に基づく分権化は、自治の拡充ではなく放棄につながる。一方、ピーター・セルフは、地域政府(集権化)は必要だが、市民の意識を向上させる中核都市(分権化)をなくす必要はないとする、より実際的な大都市行政を提唱した。さらに分権推進派のマリー・ブックチンは、自治体連合こそが地域間協力を行う手段だとしつつ、さらに徹底的な分権を唱えている。特別区の強化は分権化を加速させるだろうが、財政改革をともなわないとこの努力も無駄になってしまう。この分野におけるピーアドやロプソンなどの古典的著書は、依然として都市のあり方や大都市行政を理解する上で役立つものだ。そして問題ごとの処方筆の中にはまだあてはまるものもある(ロブソンが提唱した区の規模、財政改革の必要性、特別区・市町村制度の廃止)。だが、都市圏行政のための統一大都市政府という枠組みは、21世紀を目前にした今日の都市社会にそぐわないもととなっている。今日、大都市政府が失敗するのは、政治的な存立(または拡大)基盤を持ち得ないためである。さらに大都市政府の領域は空間的に広がりすぎ、対象人口も多くなりすぎ、効率的な行政は望めなくなっている。今後は、政府・自治体の縦横のつながりを強化するような新たな別の方法を模索し、市民へのアカウンタピリティを向上させるような仕組みを強化すべきだろう。その意味においては、セルフとブックチンの考え方の方が、来世紀の東京、そして世界各地の大都市の行政制度を構築する上で参考となると思われる。本研究は、1997~98 年のフルブライト研究奨学金を得て、客員研究員として東京都立大学都市研究所に在籍した際に実施された。指導・助力を頂いた同研究所の福岡峻治、柴田徳衛の両先生と、資料翻訳や通訳の面で協力を得た佐藤綾子氏に感謝したい。本研究の第1稿は、1998年9月3日~6日にボストンで開催されたアメリカ政治学会の会合で発表された。At a time when metropolitan governments have been weakened or dismant1ed, Tokyo Metropolitan Government (TMG) exemplifies the model of integrated metropolitan government. Yet. TMG is at a cross-roads. The 23 special wards (ku), administrative units of TMG, are demanding greater local autonomy. The central government seeks to devolve administrative and fiscal policy while retaining central authority. Efforts to bring about balanced growth and limit over concentration are meeting with limited success while the metropolis continues to expand outwards. As the millenium approaches, Tokyo finds itself constrained by the economic slump and associated fiscal strain. This paper reports on a case study of changing intergovernmental relations in Tokyo.
著者
中林 一樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p113-132, 1983-10

本論は,戦後経済成長期以降に欧米大都市で論じられてきた,インナーシティ問題について,首都圏の内部市街地である東京区部での現状分析を試みたものである。本論では,インナーシティ問題的状況を把握するためのデータの収集をおこない,今後の分析の資料とするとともに,収集したデータの若干の分析をおこなった。その結果,東京においてインナーシティ問題が顕在的であるのは,都心部ではなく,旧来の住工商混在地域である都心周辺高密市街地であることが確認しえた。This is a colleetion of data about soeio-eeonomie and living conditions of inner-area of Tokyo metropolis and some related comments. After a period of high economic growth,urban economics decline,so-called inner-city problems,was discussed in industrial cities and industrial areas of metropolis,especially in Europe and North Ameriea. In Japan,since the "Oil-Shock" in 1974,there have been some discussions on inner-city problems,but there were no conclusion,whether inner-city problems have occuerd in Japan or not. In this paper,32 kinds of data concerning inner-city problems in the 23 wards of Tokyo were selected and collected. As a result of the analysis of that data,it appears that areas where inner-city problems occured are not of the inner-core of Tokyo -Chiyoda and Minato wards-,but the areas of high-density and complicated land-use areas around the inner-core -Arakawa,Sumida and Taitoh wards. The common characteristics of these areas are the decrease of population both during the day and night,an increase in ratio of 65-year-old persons and older,a decrease in employees in manufacturing industries and some retail trades,a decrease in growth ratio of the annual amount of selling and trading of industrial goods,a high density of population and buildings,a high ratio of small dwellings under the minimum standard and small lots under 50m^2,and a high ratio of lower-income-households. These poblematic areas are the traditional inner-area mixed with dwellings,small factories and shops.
著者
新井 邦夫 丸井 信雄
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.14, pp.13-20, 1981

関東大地震時の状況や,現在の複雑な都市機構に過密人口を有する東京の状況から,来るべき大地震には,群集事故が多発するであろうと予想する。今日までに発生した群集事故の概観から,極めて高密度な群集塊の生因と,将棋倒しの力学的機構を明らかにする必要が生じ,それらのモデルを提案した。提案された第1のモデルは,群集が流出入する空間の面積,出入口の幅,および流出入量で群集密度の時間変化を表現している。第2の将棋倒しモデルによる計算に従えば,群集列における人間の間隔が60cmあれば,将棋倒しは生起しない。後ろから人が倒れ込んできた侍,先頭の人が支えられる人数は,せいぜい平地で7人,階段では4人であることがわかった。
著者
小林 和夫
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.175-192, 2000-03

インドネシアの住民組織RT・RWは1966年にジャカルタで初めて法制化され、次いで1983年にはインドネシア全土でも両組織が一律に設置される法制が発令されている。本稿では、これらの住民組織の淵源とされる日本占領期の隣組・字常会のあり様について当時発行されていた新聞・雑誌記事を主たる資料として考察することを目的としている。近年、フィリピンのパランガイをはじめとするアジア諸国の住民組織の研究報告がされてきているが、その中でもインドネシアのRT・RWについては全体的な理解が最も進んで、いない。本稿では、これらを踏まえ、RT・RWの淵源とされる隣組・字常会について検討し、日本占領期のジャワと日本の隣組制度との類似性、隣組制度の包括的機能、隣組制度導入の背景及びジャワ社会への影響、独立後にもジャワにおける隣組組織が存続していた事実などが明らかにされる。
著者
柴田 徳衛
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.219-230, 1999-09

国分寺市は人口10万余、日本に640ある都市の最も標準規模のものである。今から1250年ほどの昔、聖武天皇の詔により全国最大最壮麗の国分寺が七重の塔とともにここに建立され、東日本開発の拠点とされた。さて今は、多摩の一大中心として西武2線の出発駅と武蔵野線西国分寺駅とを持つとともに、JR特別快速や通勤特別快速により国分寺駅から新宿駅へ20分、都心へ30分の便宜さを持ち、豊かな緑とともに中上流の市民が多く住む。市税収入にも恵まれ、財政力指数も従来1.0を大きく超え、富裕団体視されてきた。ところが98年7月頃、突然マスコミに当市が「倒産の危機に瀕する自治体」の代表として登場してきた。90年代に入りバブル経済が破綻し、地方財政も緊縮を迫られたのに、当市は土木費を中心の大幅歳出を公債の大増発で続け、その借金の「つけ」(公債の元利償還)が大きく回ってきたからである。しかし今ここで歳出の効率化、財政緊縮の数年を頑張れば、市政に希望は大きい。上記恵まれた条件に加え、例えば21世紀の技術革新をリードする大きな研究頭脳を市内に3つも持っている。鉄道総合技術研究所(リニア・モーターカーを開発)、日立製作所中央研究所(電子工学の最先端)、小林理学研究所(音響学の中心)といった、どれも世界の最高水準を誇るものである。地方自治法第250条で、市債の発行は、事実上「当分の間」国の許可を得ねばならない。だが日本だけでなく、世界の金融情勢をみると、この「当分の間」はとっくに過ぎているようだ。世界の金融機関は、今皆少しでも安心で有利なところへ金を貸したがって鵜の目鷹の目でいる。ごく近いうちに、日本の優良な市財政には、世界の金融機関が日本の市債を争って引き受けたがる時代となろう。規制緩和・地方分権の声とともに、「株式会社国分寺市役所」的な形が濃くなり、株主(市民)が喜ぶ市政が発展すれば、市の人気(株価)も内外に高まることとなる。そうなれば、金融機関が争って良い条件の資金を貸してくれ、市民の喜ぶ事業がそれだけさらに沢山出来ることとなる。外からの人気も高まり、それだけ良い(高額所得の)市民も集まり、地価も上昇し、市民税や固定資産税の収入も増え、ますます良い仕事が出来、市政はさらに発展する。反対に市民が市政に関心を寄せず、市議会、市職員そして市政も怠けていれば、競争に負け、国分寺市は衰えてしまう。国分寺駅北口や西国分寺駅東口の再開発がゆっくりと、しかし着実に進み、市内商店街の活性化が進めば、当市は八王子、立川や吉祥寺に負けない多摩の一大経済中心になれる。市民そして市政当局が、国分寺がいかに恵まれた条件・可能性を持つかを自覚し、市職員の独創的働きでそれを実現させ、市民の聞から「市税を2倍に増額し、市政を大発展させ、市役所のサービスを3倍4倍よくさせろ。市職員の給与を2割3割と引き上げ、市民のために2倍3倍働きたがるようにさせろ」といった声が高まれば、市のこれからの限り無い発展が期待される。またそうした道を今から考え進めねばなるまい。21世紀、日本の市も競争の時代に入ろうとしている。市議会議員も議場での居眠りや利権漁りの暇はとてもなくなる。世界はすさまじい勢いで進んでいる。
著者
大町 達夫
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.47, pp.p77-89, 1992-12

本研究は、東京の学校地震防災体制について、その現状を調査し改善の手がかりを見つけようとしたものである。現状分析には、1988年から1990年にかけて実施した3つのアンケート調査を用いた。これらは先ず、被害経験、災害危険度、防災活動度などに違いのある1都10県の298校から得た防災体制に関する回答、次は東京都23区のうち17区役所から得た防災指導に関する回答、最後は東京都23区内の全小中学校のうち686校から得た最近の地震被害に関する回答である。これらの調査によれば、東京の学校防災体制は全国平均よりも高いレベルにある。特に公立小・中学校では区からの指導もあって防災訓練に力点を置き、毎月1回以上実施している学校も少なくない。一方、危険防止対策は全国平均よりも低いレベルで、実際、震度4程度の地震でも大田区や世田谷区では10%以上の学校で被害が発生している。また、避難地に指定されている学校は約40%もあり、避難住民の安全確保を学校に期待している自治体職員は多い。しかし、避難地に指定されている学校と指定されていない学校とで、防災体制の現状に違いは見られない。要するに、東京の学校では、学内の危険防止対策にもっと積極的に取り組む必要がある。
著者
古沢 照幸 加藤 義明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.37, pp.p121-133, 1989-09

石垣,白河,稚内,東京の4地域の小学生,中学生,高校生,大人(小,中,高の親)を対象とし,56の東京へのイメージ項目,東京への知識度,東京の情報をどれだけ欲しいかという情報獲得度や性別,年齢などの基本的属性について質問した。56の項目の因子分析(factor analysis) の結果,東京砂漠, Enjoy東京,先進都市,きたない,便利,ビジネス都市の因子構造を確認した。確認された結果は次の通りである。地区別ではネガティヴイメージ(東京砂漠,きたない)で地方サンプルが高く,ポジティヴイメージ(Enjoy東京,便利)で東京サンプルのイメージ得点が高かった。ポジティヴイメージである先進都市ではこの通りではなかった。知識度については知識度低群でポジティヴイメージが低く,ネガティヴイメージが逆に高い。地区別の結果にこの知識度の影響も考えられる。地方サンプルでの東京へ"行ったことがない","行ったことがある","住んだことがある"という経験要因では経験あり群の方が各イメージ得点が高くなる傾向にあった(ネガティヴ.ポジティヴ共)。きたないイメージでは地方サンプルと東京サンプルとの得点差を開く要因となっている。また東京砂漠イメージでは"住んだことがある"より"行ったことがある"方が高い得点を示した。地方サンプルでは情報獲得の各イメージへの影響が知識度より大きかったが,東京サンプルではこの傾向は見られなかった。発達的には地方サンプルで発達段階が上がるにつれほとんど(6イメージのうち5)のイメージ得点は高くなる傾向にあるが,東京サンプルではこのような傾向は一部のイメージにあるだけであった。発達の影響が特に大きいのは東京砂漠イメージで対人関係に関するイメージであることが発達的に徐々にこのイメージを作り上げていくのではないかと考えられる。