著者
御厨 貴 野島 博之
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.28, pp.141-172, 1986

本稿は,東京都西端のー画を占める檜原(ひのはら)村の選挙の歴史を鳥瞰図的に考察したものである。期間は昭和34年から同58年までの24年間,計7回の選挙を扱っている。おそらく,本稿の最大の弱点は,五日市町に木造の小さな印刷所兼販売店を構える新五日市社の週刊「秋川新聞」に,執筆の主材料が限定されてしまっている点であろう。当然の帰結として,人に誇示できるような天賦の素質を授かった訳でははないのに,筆者は,主要な部分で、人間の知力の一構成要素に全幅の信頼を置かざるをえなかった。その構成要素とは想像力である。新聞と想像力ーこの困難な条件下においても,筆者は能う限りの奮戦をしてみようとは試みた。そこには,それなりの理由もある。新聞は,日本の学的世界の中で,常に副次的な資料として遇されがちではなかったろうか。想像力は,歴史的片々の前に,ほとんど絶望的な沈黙を強いられがちではなかったか。そのような不幸な者たちを率いて,筆者に一体何ができるのかを確かめてもみたかったのである。できばえは,案の上よくない。このような代物がよく調査され,構成もしっかりした論文の聞に挟まれるのかと思うと,恥ずかしさで身体が火照ってしまう。全体として素人のレポートの域をでず,学術論文らしい体裁を整えてもいないのであるから,本稿を通じて,読み手の側にイマジネーション・ウォーズを換起するような箇所が一つでもあれば,それでよしとしなくてはなるまい。以上,これは果して要約にはなっていないが,筆者の意とするところを少しでも汲みとって頂ければ幸いである。
著者
住友 陽文
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.46, pp.125-137, 1992-09

本稿は、1923年に大阪市社会部調査課によって作成された『余暇生活の研究』をもとにして、日露戦後から第1次大戦後における都市官僚の労働者観を把握することである。本論では、第1次大戦期に増加した労働者の余暇がいかなる内実をもっていたのかをまず明らかにし、そのことが当該期の労働問題といかに関わるのかを探ってみたい。続いて、労働者の余暇問題をめぐって、都市官僚が労働者をいかなる方向へ善導しようとしたのかという点を考究するとともに、いかなる方法によってその善導が達成されるのかという点にも論及するであろう。その際、日露戦後から顕著になる都市における公共教化施設の整備に着目して、その機能と労働者の善導の問題を究明してみたい。そこでは、地域名望家(=いわゆる「予選派」) による極地的利益に対抗する都市官僚の広域的・全階層的公共性を都市行政遂行の論理として位置づけられていることが確認されよう。最後に、都市専門官僚制の確立の問題に関わって、都市行政の断行と労働者統合との連関の位様を浮彫りにし、都市官僚がいかなる市民を基盤として自己の正当性を獲得しようとしたのかという点を見通してみたい。そしてそのような大都市における専門官僚が、資本とも国家とも異なる自律的な論理をもって労働者の「市民」化を構想していたという仮説を呈示した。
著者
浜 利彦 福岡 峻治
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.71, pp.33-52, 2000-03
被引用文献数
3

本稿は、東京都町田市の横浜線旧原町田駅周辺の中心市街地で、行われた市街地再開発事業等のケーススタデイを通じ、その再開発構想・計画及びその実施過程をあとづけ、これらを規定した諸条件を明らかにしようと試みたものである。特に、この事業を通じ実現された諸権利・諸利益の空間的再編成の意義を考察することにより、商業・業務及び公共スペースの空間的な構成の特徴点を明らかにする。また、事業権利者及び関係者の当該再開発事業に対する立場、果たした役割等を市長との関係を中心に再構成しこれを位置づけ、その分析・評価を試みる。これらにより、この再開発をめぐる政治過程を再構成しつつ、横浜線及び小田急線の両駅の統合、商業中核の形成及びタウンセンターの整備といった事業計画との関連において、市街地再開発の意義を考察し、町田市の繁栄の要因を解明したものである。In this paper, the authors describe the conception, planning and implementation of the urban redevelopment project, and specify the conditions that shaped these processes. The description involves case studies of this project and related ones in the central business district of Machida City. Machida, a thriving commercial district, is one of Tokyo's suburban cities(became a city in 1958), and has a population of about 360 thousand. This redevelopment project involved the moving of Haramachida Station (JR Yokohama Line) closer to Machida Station (Odakyu Line). The two stations were 650 meters apart, creating great inconvenience for people wishing to transfer from one line to the other. Shops around Haramachida Station strongly opposed the plan. This opposition developed into a major battle between local stores, politicians and big businesses wanting to establish department stores and other large commercial facilities. The authors place particular emphasis on clarifying the characteristics of the spatial arrangement of commercial and public spaces, by analyzing the meaning of spatial rearrangement of rights and interests created through the development projects. The authors also analyze and evaluate the positions and roles of titleholders and other interested parties by focusing on their relationship with the city mayor. To show clear reasons for the prosperity in Machida City, the authors attempt to describe the political process of the redevelopment, the meaning of urban redevelopment in relation to the redevelopment plans, the formation of ac ore commercial district, and the improvement of the town center.
著者
浅見 泰司 神谷 浩史 島津 利行
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.187-199, 1999-09

道路ネットワークを分類する実験結果から、道路ネットワークの知覚的認知度指標を構築した。特にグリッドパターン特性と放射パターン特性を記述できるG指標とR指標を提案した。分析の結果、道路ネットワークパターンを記述する上で本質的な要素として、道路の平均幅員と平均ノードオーダーが重要であることが示された。Perceptive similarity of road networks is expressed by distance measures based on the experiment to classify networks. Several indices are calculated to explain the distance measure, among which G-index and R-index are proposed to express the extent of grid pattern and radial pattern. The average width of roads and the average order of nodes are found to be essential factors to explain the difference in road network patterns.
著者
石田 頼房
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.42, pp.121-149, 1991-03-30

エベネザー・ハワードが1898年にその著書『明日』(後に『明日の田園都市』)で発表した田園都市論は,単なる理想都市論ではなく,極めて実現性の高い計画論であった。しかし,発表当初はハワードの理論も「空想的」とみなされていた。それを空想ではないと感じさせたのが,ボーンヴィルやポート・サンライトなどの既に実現しつつあった工業村だった。もともと,ハワードの田園都市論は19世紀を通じてイギリスでみられた工業村などの試みや,土地公有化論を基礎に考えられたものである。さらに,ボーンヴィルのカドベリーやポート・サンライトのレヴァーなどの,工業村の創始者である工業主はレッチワース田園都市を建設した第一田園都市株式会社の有力出資者でもあった。いわば,田園都市論も田園都市も工業村をぬきにしては語れないのである。しかし日本では,工業村については断片的な紹介しかされていない。この報告では,19世紀イギリスの工業村の内でも最も著名なソルテア,ポート・サンライト,ボーンヴィルの三事例を取り上げ,その計画と建設の歴史,その後の変化,現状について述べる。
著者
吉井 博明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.47, pp.121-133, 1992-12

最近、特にロマプリエータ地震以降、日本においては災害時のボランティア活動をどう活性化すべきかが大きな関心を呼んでいる。本稿では、この点での社会的論議が活発になされているイタリアを取り上げ、防災体制の現状のレビュー、防災ボランティアの位置づけ、防災ボランティアの概況、代表的ボランティア団体の活動実態について検討した。特に興味深い点は、ボランティアを防災体制の一部として明確に位置づけ、保険や経済的補償の制度化をはかる一方で、役割や指揮系統の明確化、訓練の義務づけがなされつつある点である。このような論議は、日本における防災ボランティアの推進を検討する上で大いに役立つと考えられる。
著者
Vogel Ronald K.
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.201-218, 1999-09

世界各地で大都市政府が弱体化したり解散に追い込まれている一方で、、東京都は統一自治体の典型例としての地位を保っている。だがその東京都も岐路に立たされている。たとえば都の行政単位である特別区は自治の拡大を要求しているが、国の政府は中央の権力を維持しつつも行財政は地方に移管しようと検討している。国土の均衡ある発展と一極集中防止対策の効果がさほど上がらない一方で、大都市圏の拡大は進んでいる。そして21世紀を目前にして、東京都は不況とそれに伴う財政難という問題に直面している。政府・自治体間関係の変化という東京の問題は、アメリカの大都市地域が直面する問題でもある。確かに東京都は、単一国家でありアメリカとは文化も大きく異なる日本において行政を展開しているが、中央集権化と分権化という2つの圧力のせめぎあいという点では、アメリカの大都市地域も同じような状況にあるのである。東京の都市部の拡大は、都市の境界線の拡張を伴うものではなかった。現在の東京都は、都市の政府としてはもはや大きすぎる。しかし都政では、依然として特別区に対する行政サーピスの提供に目が向けられている。23区の重視は一方で、多摩地域の各市町村の軽視につながりかねない。これら市町村は自治体に義務づけられたサービス(東京都が23区内で提供しているもの)を提供しなければならないが、23区とは異なり、都区財政調整制度の対象からははずれている。財政逼迫のおり、都からの補助金は多摩地域の大多数の市町村にとって十分とはいえない。同時に、大きすぎる東京都は、近隣3県を含む(首都圏8県に及ぶという説もある)真の意味での大都市圏を統治するには小さすぎるとも言える。戦後50年間続いてきた大都市行政制度を改革しようと、区、都、自治省、内閣、国会では10年近くも調査や話し合いが続けられてきた。1998年、都区制度改革の最終報告書が関係機関等の了承を得て、関連法案が国会で可決された。改革では、現在は都が実施している清掃や都市計画などの事業が、2000年までに区に移管される。だが改革が完全に実施されるかどうか、次のように疑問視する向きもある。1)区の受入れ体制が十分かどうか。2)権限委議が財政改革を伴うものかどうか。現在都が徴収して特別区に交付している金額を大幅に引き上げる必要がある。しかし財政問題の検討は事業移管後へと先送りされており、しかも交付額を決めるのは都である。3)事業全ての移管が可能かどうか。区によっては自区内で清掃工場が確保できない、あるいは移管は民営化の促進と組合の弱体化につながるとして、清掃組合の反発も予想される。都区制度改革に対する批判は、次の4点である。1)より上位の政府、特に都への財政依存が続くため、特別区が完全な自治体として生まれ変わるかどうか大いに疑問である。特別区への期待が高まる一方で、財源不足からサーピスの縮小という懸念もある。2)東京都の行政区分は、もはや実際の都市圏に適合したものではない。東京都の管轄地域の人口は、首都圏一都三県の3分の1にすぎない。改革を通じて、都は市(区)へのサーピス提供という重荷から解放され、広域行政に専念できるようになり、従って地域の決定権が強まるという期待もある。しかし都県の範囲を超えた地域全体について、どのような効果的な計画や決定を打ち出せるかについての検討や研究は先送りされている。3)改革は、特別区間、都、国との間で歳入をどう分配し、どの政策を優先させるかについての対立激化という、予想し得ない結果となりかねない。アメリカでも政府聞の対立は大いに非難されているが、対立はアメリカの政治文化や、連邦政府や合衆国憲法などの制度と相容れないものではない。しかし、単一制度で、政治においても合意が重視される日本ではそうではない。4)改革によっても、都の中における多摩地域の自治体と特別区との差は解消しない。チャールズ・ピーアド、ウィリアム・ロブソンなどの学者は長年、1つの広域的な大都市政府のもとに都市と郊外部の双方を置くべきだと主張してきた。最近ではこれが、巨大で、非効率で、期待に応えられない官僚制度につながると懸念されている。確かに公共選択学派は、集権化の問題に焦点をあてるのに成功した。だが、公共選択市場学説に基づく分権化は、自治の拡充ではなく放棄につながる。一方、ピーター・セルフは、地域政府(集権化)は必要だが、市民の意識を向上させる中核都市(分権化)をなくす必要はないとする、より実際的な大都市行政を提唱した。さらに分権推進派のマリー・ブックチンは、自治体連合こそが地域間協力を行う手段だとしつつ、さらに徹底的な分権を唱えている。特別区の強化は分権化を加速させるだろうが、財政改革をともなわないとこの努力も無駄になってしまう。この分野におけるピーアドやロプソンなどの古典的著書は、依然として都市のあり方や大都市行政を理解する上で役立つものだ。そして問題ごとの処方筆の中にはまだあてはまるものもある(ロブソンが提唱した区の規模、財政改革の必要性、特別区・市町村制度の廃止)。だが、都市圏行政のための統一大都市政府という枠組みは、21世紀を目前にした今日の都市社会にそぐわないもととなっている。今日、大都市政府が失敗するのは、政治的な存立(または拡大)基盤を持ち得ないためである。さらに大都市政府の領域は空間的に広がりすぎ、対象人口も多くなりすぎ、効率的な行政は望めなくなっている。今後は、政府・自治体の縦横のつながりを強化するような新たな別の方法を模索し、市民へのアカウンタピリティを向上させるような仕組みを強化すべきだろう。その意味においては、セルフとブックチンの考え方の方が、来世紀の東京、そして世界各地の大都市の行政制度を構築する上で参考となると思われる。本研究は、1997~98 年のフルブライト研究奨学金を得て、客員研究員として東京都立大学都市研究所に在籍した際に実施された。指導・助力を頂いた同研究所の福岡峻治、柴田徳衛の両先生と、資料翻訳や通訳の面で協力を得た佐藤綾子氏に感謝したい。本研究の第1稿は、1998年9月3日~6日にボストンで開催されたアメリカ政治学会の会合で発表された。At a time when metropolitan governments have been weakened or dismant1ed, Tokyo Metropolitan Government (TMG) exemplifies the model of integrated metropolitan government. Yet. TMG is at a cross-roads. The 23 special wards (ku), administrative units of TMG, are demanding greater local autonomy. The central government seeks to devolve administrative and fiscal policy while retaining central authority. Efforts to bring about balanced growth and limit over concentration are meeting with limited success while the metropolis continues to expand outwards. As the millenium approaches, Tokyo finds itself constrained by the economic slump and associated fiscal strain. This paper reports on a case study of changing intergovernmental relations in Tokyo.
著者
中林 一樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p113-132, 1983-10

本論は,戦後経済成長期以降に欧米大都市で論じられてきた,インナーシティ問題について,首都圏の内部市街地である東京区部での現状分析を試みたものである。本論では,インナーシティ問題的状況を把握するためのデータの収集をおこない,今後の分析の資料とするとともに,収集したデータの若干の分析をおこなった。その結果,東京においてインナーシティ問題が顕在的であるのは,都心部ではなく,旧来の住工商混在地域である都心周辺高密市街地であることが確認しえた。This is a colleetion of data about soeio-eeonomie and living conditions of inner-area of Tokyo metropolis and some related comments. After a period of high economic growth,urban economics decline,so-called inner-city problems,was discussed in industrial cities and industrial areas of metropolis,especially in Europe and North Ameriea. In Japan,since the "Oil-Shock" in 1974,there have been some discussions on inner-city problems,but there were no conclusion,whether inner-city problems have occuerd in Japan or not. In this paper,32 kinds of data concerning inner-city problems in the 23 wards of Tokyo were selected and collected. As a result of the analysis of that data,it appears that areas where inner-city problems occured are not of the inner-core of Tokyo -Chiyoda and Minato wards-,but the areas of high-density and complicated land-use areas around the inner-core -Arakawa,Sumida and Taitoh wards. The common characteristics of these areas are the decrease of population both during the day and night,an increase in ratio of 65-year-old persons and older,a decrease in employees in manufacturing industries and some retail trades,a decrease in growth ratio of the annual amount of selling and trading of industrial goods,a high density of population and buildings,a high ratio of small dwellings under the minimum standard and small lots under 50m^2,and a high ratio of lower-income-households. These poblematic areas are the traditional inner-area mixed with dwellings,small factories and shops.
著者
野沢 慎司
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.56, pp.73-92, 1995

これまで都市家族の研究のなかで比較的等閑視されてきた、家族とコミュニティの相互関連をめぐる問題(家族・コミュニティ問題)へのアプローチとして、とくに夫婦間の援助関係と世帯外援助ネットワークとの関連に焦点を据えた分析を試みる。北米都市での調査知見に基づく仮説は、パーソナル・ネットワークとしてのコミュニティが居住地域や連帯性から解放されることによって、夫婦関係を分離的にするような世帯外ネットワークからの影響(競合説)が消失し、世帯内のニーズに従って(ニーズ説)、夫婦間の援助関係を前提として世帯外のネットワークから援助が動員される(両立説)状況が生み出されたと主張している。現代日本の都市家族にもこのモデルが妥当するのかどうかが検討される。東京都調布市に居住する比較的若年の既婚女性を対象とした調査票調査のデータ分析から、基本的にはニーズ説、両立説が支持される結果が得られたが、部分的には競合説を支持する結果やニーズ説に包摂しきれない結果が得られた。とくに育児期の妻の近隣ネットワークと夫からの家事援助との間には、競合的な状況が現れやすい。この点は、最近の他の調査知見と照らし合わせてみると、ネットワークの一部が世帯外から夫婦関係を規定する力を失っていないことを示唆している。こうした知見は、多角的なネットワーク測度を使った家族・コミュニティ研究によって、比較社会学的な文脈から、さらに検討される必要がある。
著者
若林 芳樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.71, pp.147-164, 2000-03
被引用文献数
1

犯罪都市として悪名高かったニューヨーク市で近年、急速に治安が向上しているという事実は、日本のマスコミでもたびたび報じられているところであるが、その背景の一つをなしている防犯対策にGISが貢献していることはあまり知られていない。本稿は、ニューヨーク市における近年の犯罪発生動向と犯罪防止策を概観し、警察活動へのGISの応用例を紹介したものである。まず、ニューヨーク市内での犯罪発生率の推移を統計分析すると、ジュリアーニ市長が就任した1994年以降に急減しており、これは同市長が推進した防犯対策の効果とみられる。その対策の一つの柱をなすCOMPSTATと呼ばれる犯罪統計解析では、GISが活用されている。こうした警察活動へのGISの応用は、ニューヨーク市のみならず北米の多くの都市で試みられており、そのためのパッケージ・ソフトも多数開発されている。そのうち本稿では、GISを用いて犯罪多発地区を検出して可視化するための手法をいくつか紹介した。それらはGISと空間分析手法とを組み合わせた汎用性の高いもので、犯罪のみならず種々の都市問題の解決を支援するツールとなる可能性がある。Whereas New York City had long-standing and international reputation for crime, its crime rate has shown a dramatic decline since 1994. Among several factors supposedly influenced on this (e.g.,economic conditions,demographic shifts), the most essential one appears to be the crime control strategy adopted by the New York City Police Department (NYPD) on the initiative of Mayor Giuliani. The new strategy of NYPD has been known as COMPSTAT (computerized crime statistics) in which GIS plays a key role. The aim of this paper is to outline the recent trend of crime and policing in New York City focusing on the applicability of GIS to crime prevention. According to the FBI's Uniform Crime Reports, the number of crimes in New York City reduced more than 40% from 1993 to 1997. As a result, New York City's total crime per 100,000 people ranked last among the ten largest U.S. cities in 1997. Change in the distribution of crime occurrence within the city shows that the number of crimes has declined in the whole area of New York City. Because of the correspondence between the period of this dramatic decline of crime incidence and the NYPD's practice of crime control, the crime reduction in this period can be mainly attributed to the strategy of the police department. In the practice of COMPSTAT, GIS has been used as a tool for mapping and analyzing crime patterns. Such an application of GIS to policing is not limited to NYPD but various packages for crime mapping have been developed and used in North American cities. The author introduced several methods for detecting the hot spot of crime occurrence used in this kind of packages (e.g., STAC). Since these methods are entirely based on the integration of GIS and spatial analysis, they are also applicable to a variety of urban problems.
著者
詫摩 武俊
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.3, pp.25-32, 1978-03

地方出身の青年が就労を目的として一定期間,大都市に居住しその後,再び郷里に帰る現象のことをUターン現象という。わが国の経済情勢の変化にともない,この現象が4,5年前より目立つてきたのは周知のことである。かつては地方の高校を卒業した青年の多くが大都市に集中したが,現在では郷里に止って,郷里の発展につくしたいと望む者が増えてきた。本論は,沖縄県の高校生が東京や大阪のような大都市の生活をどのようにみているかに関する質問紙法による調査の結果である。調査は沖縄県下の5つの高等学校の3年生,男子599名,女子614名,計1,213名について1976年秋に行われた。将来の進路に関して,この中の573名は本土に行って働くことを希望し(これをA群とする),510名は地元にとどまりたいと望んだ(これをB群とする)。のこりの130名はわからないと答えた。A群とB群のあいだにつぎのような差が認められた。1. A群の親の中にはB群の親よりも親自身が若いときに都会の生活を経験しているものが多い。またA群には本人が都市に行くことを親もまた望んでいることが多い。親の意向や経験が本人の意志決定に反映していると考えられる。2. 第1子は地元にとどまりたいと望むことが多い。3. A群は都市の生活を楽しく便利なものと考えているのに対しB群は都市は犯罪や公害が多く,健康に有害で恐ろしいところというイメージをもっている。4. 自分の性格を依存的で子どもっぽいと考えているものはB群に多い。学校の成績の自己評価に関しては両群のあいだに差がなかった。5. 本土で働えことを希望していてもそのまま本土の都市に定住したいというものはごくわずかで3年以内に再び沖縄に帰ることを予定しているものが多い。以上のように現在の沖縄の高校生はUターンすることを前提として都市に出ようとするものが多い。家族との連帯感や郷土に対する愛情がきわめて強いと感じられた。The problem of young people returning to their home towns after several year working in urban districts because of their maladjustment to social conditions is called "phenomenon of the U-turn". In recent years there has been an incase in such. Years before,young people of rural areas used to come to big cities such as Osaka or Tokyo after graduation from high sclool to work and live the rest of their lives. These days,however,it is said that the number of people who would like to stay and contribute to their hometown development has increased. This study attempts to reveal how senir high school students of Okinawa actually regard large cities. Among the twelfth grade students of 5 different senior high schools in Okinawa,1213 students (M=599,F=614) were administered a questionaire,concerning the above problem. In regards to the question as to where they would like to work after graduation,573 students showed the desire to come to the main land of Japan. This group is called group A. Then 510 students,called group B,revealed their desire to stay in Okinawa. The others stated no particular preferences to where they might work. Some significant differences between group A and groud B are as follows: 1. More of the parents of group A than those of group B experienced city life and therefore desired their children to work and live in large cities. 2. In group B,there were more of the first born children than those of group A. 3. The students of group A regard the city life as pleasant,enjoyable and convinient. In group B,the students regard the city life as difficult and unhealthy due to pollution and crime. 4. More student of group B than those of group A,see their personality as dependent and childish. It should be added,besides those differences,that even in group A there are few who are planning to stay in large cities for the rest of their lives,and most of them are planning to return to Okinawa in 3 years. It may be said that almost all of the students in this research had a strong kinship and tie to their home towns and families.
著者
Shibata Tokue
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.125-142, 1998

戦後、特に「もはや戦後でない」と経済白書が宣言した1956(昭和31)年辺から、バブル経済崩壊の平成初年までの40年間近く、日本経済は世界が羨む高度成長を遂げて来た。その鍵は何であったか。裏からいえば、多くの発展途上国が豊かな天然資源に恵まれながらも、経済成長が速くはかれない陸路は何であろうか。アフリカや中南米諸国を訪れると、港湾施設や道路といった公共施設(産業基盤)がうまく整備されない点が目立つ。この背景として、税収入や長期低利に運用できる公的資金の不足が注目される。その点、日本は先の1956年頃よりエネルギー源を、石炭や水力発電から石油に転換し、ガソリンにより走る自動車生産に本腰を入れ始めた。自動車生産こそ広汎な関連産業を底あげするものである。そしてより多い自動車のより速い走行を促すため、公共投資を通し道路整備に全力を傾けた。この道路と自動車の相互増殖の道を、制度と財源の両面で開いたものが、1958年に公布された「道路整備緊急措置法」である。この法律により、道路の整備が経済基盤強化の戦略要点と扱われ、そのための閣議決定による道路整備五箇年計画が樹立され、自動車関係税収入が自動的に道路の公共投資の資金に向けられることとなった。財政投融資の資金もこれに加わってきた。こうした各種の政治的措置のおかげで、日本の自動車産業は世界最高水準にまで到達して来たが、いまその余りの発展による自動車の洪水により、交通渋滞による経済損失、大気汚染や騒音の自動車公害や、年間百万件に近づく自動車事故と多くの死者、郊外発展による都市中心部の経済的衰退などのマイナス要因が、極めて大きくなり、社会的に見過ごせなくなっている。新しい政策を考える段階である。Japan had enjoyed a comparatively high rate of economic growth throughout the postwar period since 1945. When the economic growth started, Japan drastically changed its energy source from hydroelectric power generated by many dams built along rapid stream rivers to thermal power generated by oil imported from abroad. At the same time the major means of transportation started to shift from train (rail) to automobile (road). infrastructure necessary for the economic development was called the "industrial base" and a large portion of the public investment was spent on strengthening it. One of the priority industrial bases was road (expressways and highways) and its construction has been much emphasized since the mid-1950s. A huge amount of automobile-related taxes, including gasoline tax, diesel oil Tax, liquid petroleum gas tax, was collected annually and was earmarked for road construction. Thanks to this road improvement system and policy, Japan's automobile industry made a remarkable improvement. More cars on the road meant more auto-related tax revenue that can be used for further road construction. In this way, road and automobile were regarded as the symbol of Japan's economic progress. In recent years, however, some people have been criticizing such semiautomatic reciprocal relationship between road and automobile. The economic development has resulted in the expansion of depopulated provincial areas. More roads in these areas, not making much contribution to the country's economic development, may mean a waste of public investment. On the other hand, the economic development has brought about heavy concentration of people and industrial activities to Tokyo and other metropolitan regions. Streets in large cities are heavily congested, causing air pollution (and hence many asthma patients), noise and vibration, and traffic accidents. Traffic congestion also results in an enormous amount of economic loss. The time has come to reconsider public investment in Japan.
著者
石田 頼房
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.74, pp.23-45, 2001-03

この論文は、2000年8月22-26日にフィンランドのラハチ(Lahti)で開催された、第9回ヨーロッパ日本研究学会国際会議の都市・環境分科会においてLocalInitiatives andDecentralization of Planning Power in Japanという題で行なったキーノートスピーチの日本語版であるが、掲載に当たって結論部分の充実を中心に加筆・修正を行なった。日本都市計画は国の事業として、極めて中央集権的な制度として発展してきたことは、良く知られている。このような中央集権的な制度は、1919年都市計画法によって完成し、1968年都市計画法で機関委任事務としてではあるが、都道府県知事と市町村に「分権化」されるまで、戦前・戦後を通じて維持された。さらに、1968年都市計画法以後も、国の関与を通じて実質的に中央集権的性格は強く残っており、1999年の地方分権一括法及び都市計画法の2000年改正によっても完全な形での地方分権は、にわかには期待で、きないといえよう。しかし、この論文では、このような日本都市計画の中央集権的発展を歴史的に跡づけるというよりは、そのような歴史の中にあっても、ほとんど常に、中央集権に反対する動きや、必要に迫られた地方独自の都市計画への取り組みが存在し、それが国の都市計画政策に、制度的にも技術的にも影響を与えてきたという、いわば下から上への流れに注目して検討する。この論文でLocalInitiativesといっているのはその意味である。都市計画の地方分権は、都市計画制度の上で分権が規定されれば実現するのではなく、都市計画を取り囲む政治的、経済・社会的背景、さらに都市計画に関わる総ての人々の意識・行動様式まで含めた、最近、planningculture (計画文化・計画的風土)という概念で扱われるような都市計画に関わる総体的な状況が、地方分権にふさわしく転換することによってはじめて可能になる。それは、突然に可能になるのではなく、この論文で取り扱うような地方のイニシアティブが、今後とも積み上げられることで可能になるであろう。This paper originally read at the9th Conference of European Association of Japan Studies in Lahti, Finland on August24,2000, as a keynote speech of the Urban and Environmental Section. As preparing Japanese version, the author improved the text a little and added to the last concluding section an argument which refers to a future perspective of Japanese urban planning, especially to its changing planning culture. Japanese planning is characterized by centralized planning to a degree inappropriate for a democratic society. Attempts have been made to reform this situation, but solutions are Still pending. Very recently, after enforcement of the Package Act for Decentralization of Powers in1999, the decentralization of planning powers has become an urgent task for Japanese planning. It is extremely important that the decentralization of planning powers occur in the future not in regard to national guidelines but fol1owinglocalinitiatives. This article outlines the history of Japanese modern urban planning, examining in particular local attempts at planning and the continuous tendency toward centralization. It discusses the actual situation of urban planning in Japan and concludes with the future of Japanese planning in the age of decentralized planning powers and citizens' participation. The tendency of local initiatives to be absorbed into a centralized planning system has come into existence almost simultaneously with Japanese modern urban planning. Inl888, the Ordinance for Urban Improvement Projects in Tokyo was enforced. This ordinance was national legislation although it was concerned only with one city, Tokyo. The improvement projects were developed and decided upon by the central government as national projects. They were executed and financed, however, by the Prefecture of Tokyo. This arrangement caused conflict between the central government and the Prefecture of Tokyo even though the latter was in fact not a local institution but a branch of the Ministry of Home Affairs. At the beginning of the 20th century, other Japanese metropolises as well as many local cities were faced with population growth, industrialization and urban expansion and had to find solutions without any assistance by the central government. Many innovative local initiatives were made which ultimately led to the establishment of modern Japanese urban planning based on centralized planning powers in form of the Legislation of the Town Planning Act and Urban Building Act of l919. In January 1918, Seki Hajime, the then deputy mayor of the city of Osaka, proposed a bill entitled the Osaka Urban Improvement Act. This splendid draft reflected Seki's wide knowledge of European urban planning and the localities of Osaka. This and other initiatives, however, contributed to the creation of a centralized planning system and failed as local initiatives. In the 1930s, the need for planning in small towns and rural areas neighboring metropolitan regions was increased by the evacuation policies for munitions industries. In 1933, the Ministry of Home Affairs enforced the revised Town Planning Act, which in its new form was supposed to apply to a1lcities. It was meant to strengthen the planning boards of Local Town Planning Councils by shifting planners and planning secretaries away from the Reconstruction Bureau, which had been set up after the Great Kanto Earthquake. The result, however, was a further reinforcement of the centralization of planning powers. Local initiatives were developed only in Nagoya. A group of young planners on the local planning board and in the municipal administration formed a group and published a magazine discussing planning techniques and developing new concepts. After the so-called "Fifteen Years War", from l931 to 1945, Japanese planning was faced with reconstruction of more than hundred cities and the central government decided to give priority to damaged local cities over the reconstruction of metropolitan regions. The reconstruction projects were executed along strict guidelines of the central government_ They were later blamed for having deprived cities of their local particularities through the implementation of uniform land readjustment projects. In l949, the Shoup mission made recommendations on taxation and reallocation of administrative affairs, and recommended that planning powers should be reallocated to municipalities. A revision of the Town Planning Act in line with the Shoup Recommendations was prepared in l952. It made provisions for the decentralization of planning powers and for citizens' participation. The reluctant attitude of the Ministry of Construction, however, brought down this revision. Besides provisions for decentralization of planning powers and citizens' participation, the draft of the Town Planning Act of 1952 had provisions for new planning tools, such as area demarcation and detailed zoning. Almost allot these pending provisions were realized belatedly in the New Town Planning Act of 1968 and in the Building Standard Act of l970. The backgrounds for the 1968 revision of the Town Planning Act were new tendencies surrounding town planning administration such as citizens' campaigns against urban development projects as well as emerging reformist local autonomies and their new urban planning policies. This trend continued until around l980. It resulted in the implementation of a district planning system and in increased citizen participation. However, in1982, when Yasuhiro Nakasone, president of the LDP, took the helm of central government, Japanese urban planning policy was suddenly steered into deregulation of planning control and resulted in so-called bubble economy and its break down, Legislation of a revision of the Town Planning Act in 1992 symbolized an attempt to escape from the political situation of urban planning of that period. Parties, which were out of power, proposed - for the first time in Japanese planning history a consistent counterproposal to a billet the Town Planning Act introduced by the central government. The counterproposal was elaborated by reformist lawyers, planners and citizen groups, that argued against deregulation and centralization. It was rejected in the Diet, arguing that the revision by the central government it self provided opportunities for citizens and municipalities to participate in planning. With this argument as a turning point, local initiatives by citizens and municipalities have increased and intensified. The reformation of the planning system and the planning administration with respect to the2lst century is now under debate. It should aim at establishing a new concept, appropriate for the age of decentralized planning powers and citizen' participation, based on local initiatives and long-term perspective. In conclusion, the author examined and criticized the 1999 and 2000 revisions of Town Planning Act which the central government promulgated as a necessity for the decentralization of planning powers, and proposed ideas for the system and techniques of planning in the 21st century.
著者
新井 邦夫 丸井 信雄
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.5, pp.133-144, 1978

都内にある地下空間のなかで最も浸水の危険性の高い江東地区の地下鉄(都営1号線,営団東西線,都営10号線)の,大地震後の浸水危険度について考察した。これらの地下鉄では高潮や洪水に備え,駅出入口の止水板もしくは防水扉,トンネル内の強制換気法,トンネル内の防水扉等さまざまの防水対策がこうじられている。大地震後,堤防の欠壊による地表への浸水や,駅出入口や構築の亀裂からのトンネル内への浸水が発生することを想定し,対象となる駅の地表や,トンネル内の標高とその標高以下の空間体積との関係を図化した。これらの図は駅出入口付近や駅ホームが水没するために必要な総水量を与えるものであるが,発災後の対策に際し極めて有用であると思われる。水没のための必要水量を指標として各駅の浸水危険度を検討した。都営1号線では押上駅の地表部,浅草駅ホーム,東西線では南砂町駅と東陽町駅の地表部,および木場駅ホーム,都営10号線では西大島駅と大島駅の地表部,浜町駅,菊川駅,西大島駅の各ホームが他に比べ早く水没するとの結論を得た。さらにこれらの結論をもとに都営1号線では本所吾妻橋駅,東西線では門前仲町駅,都営10号線では住吉駅を乗客避難の集結地とすべきであり,これらにおける避難誘導法の現実的確立を急ぐべきであることを指摘した。The danger of subway tunnels to be submerged following a heavy earthqake is being considered. The investigated subways are the Metropolitan No.1,No.10 Lines and the Tozai Line which run beneath the area known as the Koto District. In these subways various contermeasures against high tides and/or floods such as the installations of water tight doors at station entrances,water-tight gates in the tunnels and artificial ventilation systems have taken shape,since the area is located on low land that varies from +2 to -3 meter above mean sea level. In respect to the ground surface around each entrance of all stations and each tunnel the relationships between level and space volume below the level were shown graphically. From these graphs it is easy to compute the total water volume needed to flood the ground area bounded by embankments or each platform of stations in question. And the graphs may be useful for emergency measures after the occurrence of water intrusion to the area or into the tunnels. The danger of flooding for each station is investigated using the water volume described above. The ground surfaces around the stations of Oshiage,Minamisunamachi,Toyocho,Nishioshima and Oshima and the station platforms of Asakusa,Kiba,Hamacho,Kikukawa and Nishioshima may be more perilous than the others. The stations of Honjoazumabashi,Monzennakacho and Sumiyoshi may basicall serve as a place of refuge for passengers after the occurrence of a heavy earthquake.
著者
吉井 博明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.68, pp.165-174, 1999-03
被引用文献数
2

近年、短期的地震予知の難しさが広く認識されるようになり、その代わりに30年間にわたる地震発生確率を示す手法の開発が進んだ。その成果を試算という形でいくつかの地震に適用した結果が、1998年5月に公表された。この長期確率評価情報は、地震対策の優先度や地域毎の耐震基準の設定、立地規制や保険料率の設定等に有効であるといわれるが、確率のわかりにくさや30年間という長期にわたる発生確率であることなどから、短期的予知に「慣れている」日本では受け入れられにくいのではないか、といった指摘もなされた。本論文では、この長期確率評価情報が公表された東海地震と神縄・国府津―松田断層の地震の2つをとりあげ、これらの地震で大きな被害を被る可能性が高い静岡市と小田原市の一般市民を対象にしたアンケート調査の結果に基づき、長期確率評価の認知と受け止め方、確率評価情報と定性的予知情報との対応関係、火災や交通事故等の他のリスクとの相対比較、火災発生リスクとの比較に基づく地震対策への資金配分の説得力等について明らかにした。Recently, short-term prediction of earthquake are widely recognized to be very difficult in spite of its optimistic perspective in the early stage. Instead of it, long-term forecast with probability of occurrece within 30 years are paid much concern by many seismologists. In May, 1998, headquaters for Earthquake Research Promotion in Prime Minister's Office issued trial calculation of the probabilities to several future big earthquakes induding two earthquakes, Tokai Earthquke and Kan-nawa Kouzu-Matsuda Fault Earthquake. This forecast expects to be effective for determining priority of earthqukae preparedness, setting aseismatic standard, land use regulation, rating of earthquake insurance, and so on. But many defects such as difficulty to understand probability and too long time span are also pointed out by many researchers at the same time, which cause low acceptance of probabilisitic forecast in Japan. In this paper, two future earthquakes, Tokai Earthquke and Kan-nawa Kouzu-MatsudaFault Earthquake, are picked up. And the results of questionnaire survey to residents of Sizuoka City and Odawara City are analized. The qustionnaire includes psycological reactions to probabilisitic Forecast, qualitative understanding of probabilisitic forecast, relative risk evaluation between earthquake and the other risks such as tire, traffic accident, and so on. The results show that residents accept probabilisitic forecast very positively and that they are willing to use the forecast to promote earthquke preparedness in the region. And they agree to compare earthquake risk with tire risk and to put financial priority based on these probabilities of occurrence.
著者
杉浦 芳夫 石崎 研二 加藤 近之
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.49, pp.p47-66, 1993-09
被引用文献数
1

本稿は、東京区部とその周辺に位置する親水性の8公園(井の頭恩賜公園、水元公園、有栖川宮記念公園、葛西臨海公園、上野恩賜公園、日比谷公園、浮間公園、和田堀公園)を対象とし、都市公園の選好構造を解明しようとした。175人の大学生・院生に対し、1公園につき1セット4枚の写真からなる合計8セットの写真を呈示し、8公園の選好順位データをえた。この175人 x 8公園の選好順位行列に対しMDPREF(選好データを分析するためのベクトル・モデル型ノンメトリックMDS)を適用し、2次元のジョイント空間を求めた。葛西臨海公園と上野恩賜公園が正の大きな値をとり、有栖川宮記念公園と和田堀公園が負の大きな値をとるジョイント空間の第1軸は、「調和がとれた自然環境」を表わす選好次元、同じく日比谷公園と上野恩賜公園が正の大きな値をとり、水元公園が負の大きな値をとるジョイント空間の第2軸は、「開放性」を表わす選好次元と解釈された。選好の個人差は、この二つの軸に対する各人の重みづけの違いによって生じているのである。This paper is concerned with a preference analysis of eight city parks with waterside landscape in and around Tokyo City (Fig.2). Eight sets of photographs,each of which consists of four landscape scenes for one park(see Appendix 2),were presented to 175 undergraduate and graduate students as the sample. Then they were asked to see the photographs to rank the parks in term of their preference. A preference ranking data-matrix thus obtained serves as the input for MDPREF (Chang and Carroll, 1968),a non-metric MDS algorithm applied to preference data,to represent the preference structure in a two一dimensional joint space. Interpreting the recovered joint space (Fig.3),based on external information or individual respondents' reasons for their evaluations,leads to a conclusion that the two dimensions of "harmonious natural environment" and "openness" underlie the respondents' preference judgements of city parks: for the former dimension,Arisugawanomiya Memorial Park and Wadabori Park are highly evaluated and Kasai Seaside Park and Ueno Park low evaluated; for the latter dimension,Mizumoto Park is highly evaluated and Hibiya Park and Ueno Park low evaluated. Inokashira Park and Ukima Park,in a sense,appear to lack distinguishing features since they are ambiguously evaluated for the both dimensions. These results suggest that the parks covered with green and/or those full of an open atmosphere are preferred while the parks impressing respondents artificially are less preferred.
著者
藤田 光宏 秋山 哲男 山崎 秀夫
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.69, pp.171-185, 1999-09

自家用車を用いて家族や知人により送迎される自然発生的な未組織の交通サービスを「自動車同乗」と定義する。公共交通が不使な人口低密度地域に居住する高齢者のモピリテイ確保は、この「自動車同乗」に強く依存し、また相手の都合により外出行動が決定されるという、極めて不安定な状況におかれている。わが国では英国のようにボランテイア等による「自動車同乗」の制度が全くなく、今後どの様な政策的な方向を求めるべきかはこれからである。本研究では、この「自動車同乗」の基礎的研究として、高齢者とその家族を対象としたアンケート調査により「自動車問乗」の実態把握とその構造を把握することを目的とした。その結果、①「自動車同乗」の8割が家族間で行われていること、またその多くが子供に依存していることが分かった。②「自動車同乗」の成立する条件をドライパーである供給側と利用側の関係から分類すると便乗型、当然型、調整型に分けることができ、家族のつながりが強い場合は当然型や調整型で自分の目的地に合わせてもらう空間が一致しない傾向が著しいこと。しかし、知人の場合は相手の目的地に合わせた空間が一致する便乗型が強いことが分かった。以上から、自動車同乗については家族依存型が強く相手に会わせるという時間的・空間的制約の中での外出行動のため、極めて不安定な供給形態であり必ずしも十分ではなく、今後新しい送迎サービスなどの、補完的仕組みも合わせて必要であることが改めて重要であると認識された。Co-ride Personal Car is defined as the unorganized transportation service offered spontaneously by family or acquaintance. Securing the mobility of the elderly, who live in the sparse populated area with poor transit service, depend entirely upon this Co-ride Personal Car. It is means that they have been in the unstable conditions where their going-out action is controlled by driver's reasons. We have not Co-ride Personal Car system by volunteers in Japan, as seen in the England. Now we ought to decide our future political direction. The purpose of this study is to grasp the actual condition and its structure of Co-ride Personal Car, by the questionnaire done for the elderly using and their family. The result is as follows. 1) Eighty percents of Co-ride Personal Car is done by family, especially their children in many cases. 2) From the point of relationship between the driver and the user, the condition of driver and user can be classified into three types: depending upon driver' s trip, depending upon user's trip and negotiate between driver and user's trip. In case that family ties are strong, the destination of their family tends to be different from the one of the elderly, as seen in depending upon user's trip and negotiate between driver and user's trip. But in the case of acquaintance, the destination tends to be consistent with the elderly, as seen in depending upon driver's trip. From the above it was made clear that Co-ride Personal Car is quite unstable from supply mobility for the elderly, because it is restricted by both time and space, strongly depending upon family. In addition to Co-ride Personal Car, supplementary system such as new transport service will be needed in the future
著者
石田 頼房
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.58, pp.123-144, 1996

これは、1995年3月18日に行なわれた著者の東京都立大学大学院都市科学研究科における最終講義の記録である。当日の講義は、あらかじめ講演内容と経歴・著作目録を記したパンフレットを配布し、そのパンフレットに載せた原稿どおりに講演したので、それを、ほとんどそのまま再録した。再録するにあたって、注と英文梗概をつけ加えた。この講義の題目にある2019年は、いうまでもなく日本に初めて都市計画法が制定された1919年からちょうど百年という年である。そして現在からおよそ四半世紀という年でもある。都市計画の長期展望として、その時期までに可能な望ましい目標像を掲げ、いかにすればそこに到達できるかを、段階計画を含めて考えてみようというのがこの講演の試みであった。「2019年への都市計画史」という表題の意味するところは、上記の試みが成功するならば、それはとりもなおさず、2019年という日本都市計画にとって記念すべき年に書かれるであろうところの都市計画史を現時点で述べることに他ならないという認識に基づいている。日本及びそれをとりまく世界の、経済状況・政治情勢がきわめて不安定で、明らかに転換期であり、人々の意識にも変化が見えているだけに、これはやや無謀な試みであるが、最近の都市計画界に長期展望が不足しており、そのことが現実の課題への対処も視野の狭いものにしていると考えられるので、あえてこのような議論をしてみた。また逆に、転換期であるだけに、このような将来予測をあえてして、そこに到るプロセスを考えるというのも一つの方法であると考えたのである。また、これは、『総合都市研究』50号(1994)に発表した「都市農村計画における計画の概念と計画論的研究」とつながりのある問題提起を目指したものでもあった。しかし、これはやはり困難な課題であって、結局、2019年への都市計画史の内容は、2019年への段階的展望を、簡略化された「年代図表」の形で示したにとどまったが、それでも一定の意義はあるものと考える。
著者
熊谷 良雄 糸井川 栄一 金 賢珠 福田 裕恵 雨谷 和弘
出版者
東京都立大学
雑誌
総合都市研究. 特別号 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.123-143, 1996-12
被引用文献数
2

平成7年1月17日未明に発生した「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」は、未曾有の構造物被害をもたらし、長期間にわたって発生した火災ともあいまって、5,500人以上の直接的な死亡者を発生させた。また、地震発生直後からの応急対応が体系的に実施されなかったこと等によって、900人以上にも及ぶいわゆる震災関連死をもたらす「阪神・淡路大震災」に発展していった(平成8年12月26日現在、死者数:6,425名,行方不明者数:2名)。22ヵ月を経過した平成8年11月時点で兵庫県下では、11万3千棟の公費解体数の約70%にあたる建築確認申請が受理され、遅々としたペースではあるが被災建物の再建が進みつつある。しかし、建物個々の耐災性に関する調査や提言はなされているものの、地区そのものが本来抱えている脆弱性、たとえば、地形・地質と被災度等の分析は、それほど多くはない。今後の被災地域の復興や被災地域外での防災対策立案にあたって、個々の被害項目を対象とした被害発生分析: Damage Assessmentは必須のものである。阪神・淡路大震災によってもたらされた膨大な人的被害についても、死因に関する分析や個々人の死に至った過程に関する分析はなされているものの、自然的・社会的な地区特性等との関連については被害量の膨大さに圧倒され、いまだに被災地域全体を横断的にとらえた検討はなされていない。そこで、本研究でははじめに、建設省建築研究所のGIS: 地理情報システムを用いて個々の建物被災度と死亡者発生の関連を分析する。それを踏まえて、地区特性と死亡者発生率との関連を、神戸市の沿岸6区の町通単位で分析する。本研究が、震動によって直接的に犠牲となった5,500人以上の方々を慰霊できれば望外の幸せであり、また、二度とこのような犠牲が出ない都市・地域を形成することに役立てば、と願っている。More than six thousands lives were lost in the Great Hanshin-Awaji Earthquake. Around 90% of the causes of deaths were related to housing damages such as completely collapsed and burnt down. In this study,firstly,we try to clarify the relations of each victim to damage,use and structure of building which was living the victim before the quake. The geographical information system in the Building Research Institute was utilised for this analysis. Secondery,as part of the damage assessment of the Great Hanshin-Awaji Earthquake,the fatality rate in each district (Chou and Touri) in Kobe City was analysed through building damage rate caused by the quake and demographic and socio-economical backgrounds in each district. Several conclusions are as follows: 1) The fatality rate of female was 20-30% as high as male. 2) 90% of building where fatalities used to live before the quake are low-rise buildings. 3) In low-rise detached and apartment houses,80% of fatalities were killed in completely and half collapsed buildings. 4) When the rate of completely collapsed buildings increase 10%,number of death per total number of building will increase 0.05-0.06 person/bldgs. 5) The fatality rate in each district depends not only on the building damage rate but also on the ground failure of residential land. 6) Concentration of small residential houses contribute to decreasing of the fatality rate.