著者
渡辺 洋 WATANABE Hiroshi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
歴史と文化
巻号頁・発行日
pp.191-204, 1981-02-20

行動主義の文学といえば、日本では昭和九年から十年にかけての一時期、衆目を集めながら短命に終った一種の文学運動として理解されている。実際、「行動主義文学」は華々しい論争を展開したわりに実体に乏しく、とりわけ実作化の面で見るべき作品が少なかったことは事実である。しかし、短期間であったとはいえ当時の文学界に投じた波紋は大きく、その主張、理論、活動を無視することもできない。元来「行動主義」は「大戦後佛蘭西の思想、文学の主流をなしていた懐疑・不安・否定の傾向に反発して抬頭したものである」という。戦争という悲劇がヨーロッパ全土を非人間的世界の集合体に一変させ、社会に対する、否、人間存在に対する不安を人々の心に植えつけたことはたしかである。そしてこの暗い影は文学の世界にも当然波及していった。名目だけの戦勝国フランスではその傾向が一層顕著であった。フランスは戦後、経済の面で驚異的な繁栄を謡歌したが、それは束の間の出来事にすぎず、文学の世界はぬぐいきれぬ不安と絶望の雲に厚く覆われていた。こうした社会環境を背景に生まれたのが「行動主義文学」であるといわれている。さらに厳密にいえば、一九二七年ラモン・フェルナンデスによって提唱された「行動的ヒューマニズム」(Humanisme de l'action)に端を発したもので、必らずしも体系的にまとまった文学理論、あるいは運動ではなかった。換言するなら、当時フランスで発表された文学作品に共通して認められた思想、様式、文体などの総称であり、従来のダダイズムや超現実主義の絶望的、懐疑的傾向を否定し、意識的に不安や絶望の克服を目標に掲げた積極的なひとつの姿勢であるといえる。つまり、人間の価値の権威と実存を回復しようとする人間性把趣に関する新しい試みであった。フェルナンデスは、「個的人間をその全体性と独自の現実の上に見るためにはただ行動的角度においてのみ可能である」と主張した。これは時期的にいって絶好の提言であった。実際、フランス文学史上に、今日なおその名をとどめている多くの著名な作家たちによってこの主張は支持されたのである。これをいわゆる「行動主義」として日本に紹介したのが、長年フランスに滞在し昭和六年、帰国した小松清であった。ちょうど文学者の「能動精神」が盛んに叫ばれ出した時でもあり、「行動主義」は日本の文学界に少なからぬ反響を巻き起した。しかし、それほどまでに騒がれ論議されながら、なぜ日本において「行動主義」が短命で終り、実作化に成功しなかったのか。この小論では行動主義の文学といわれている実際の作品を通してその点について考察し、同時にフランスと日本の「行動主義」の文学を比較検討してみたい。