- 著者
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金 容煥
邊 英浩
邊 英浩
柳生 真
YAGYU Makoto
KIM Yonghwan
- 出版者
- 都留文科大学
- 雑誌
- 都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
- 巻号頁・発行日
- vol.84, pp.171-184, 2016
本稿は金容煥(忠北大学校師範大学倫理教育科教授)が「第99回京都フォーラム」(2010年9月25-27日)での報告を論文としたものである。幸福論は近年経済的な豊かさと幸福度が一致しないために世界的な学問関心事となり、日本でもやや遅れてであるが幸福論が盛んとなりつつある。だが幸福を個人的なものとしてとらえたものが多くあり、社会への問題意識を欠落させ個人救済的な方向に流れていく傾向がみられる。しかし幸福を社会性を帯びたものとしてとらえ、共同社会の幸福、すなわち共福としてとらえる試みもでてきている。韓国においては、1987年の民主化の流れの中で「正義の実現が強調されてきたが、社会内の対立を乗りこえる可能性を持つ「幸福」ムン・ジェインが注目されるようになった。2012年の大統領選挙では、文在寅(統合民主党)が正義を、パク・クネ朴槿恵(セヌリ党)が幸福を打ち出し、接線を展開した。本論はこうした韓国社会の状況を踏まえ、幸福を単に西洋思想の翻訳にとどまらずに、韓国社会にある仏教、大倧テジョンギョ教などの伝統思想のなかにある概念を再検討することにより、皮膚感覚のある思想資源として現代に再生させる可能性を論じたもので、注目される。なお日本の読者はなじみがないため、本文に先立ち、大倧教について簡略な説明を付すこととする。韓国において固有信イルヨン仰、開国始祖と考えられているのは、『三国遺事』(13世紀末僧侶の一然編纂)などに記タングンファンインファンウン録が伝えられる古朝鮮の檀君神話である。それによれば桓因の庶子、桓雄が天から人間タングン・ワンゴム世界に降りてきて、熊と婚姻関係を結び檀君王倹を生んだが、檀君は中国の伝説的聖人のぎょう堯が即位して50年後に、平壌城に都を開き朝鮮と号したとされている。檀君朝鮮の開国年代は箕子朝鮮のそれよりさらに約千年も歴史を遡り、中国の伝説的聖人の堯とほとんど同時代に存在したとされ、朝鮮は中国の天子より冊封を受けた国ではなく、独自の天から降臨した天孫の開いた国とされているのである。李氏朝鮮王朝が滅亡に瀕したとき、檀君を民族の国祖神として信奉する各種の檀君系教団が登場してくるが、その中で大倧教は最も有力な団体であった。現在の韓国・朝鮮人が共通に認識している民族アイデンティティとして、(1)5 千年の悠久なる歴史意識、(2)白頭山の神聖視、(3)10月3 日の「開天節」の創設(1949年10月1 日、国慶節に関する法律で制定)、(4)檀君紀元の制定(1948年9 月25日、年号に関する法律で制定)、(5)満州=朝鮮の故土史観の定立(倍達民族史観)などは、この大倧教の活動を通じて普及していったものである。本文内〔〕は断りのない限り訳者注を示す。日本語への翻訳は柳生真(YAGYU Makoto延安大学講師)が草案を作成し、邊英浩(BYEON Yeongho 都留文科大学教授)が点検した。なお以前の本研究紀要では、邊英浩を辺英浩、BYEON Yeongho をPYON Yonghoと表記したものがあることを付記しておく。