著者
李 泰鎮 邊 英浩 小宮 秀陵 KOMIYA Hidetaka
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.175-202, 2014

本稿は李泰鎭(イ・テジン ソウル大学名誉教授)が「韓日両国知識人共同声明記念第3 次学術会議」(2014 年1 月27 日)で行った報告を論文としたものである。直前に安倍首相が靖国神社を参拝し、韓国と中国、米国などからの批判をよびおこしていたが、靖国参拝の思想的背景の解明が必要とされていた。思想的源流はまず征韓論にあることは周知の通りであるが、被害当事国である韓国では、征韓論に対する研究は意外なほど少なく、本論文はその研究上の空白を埋めるものである。本論文では、韓国併合にいたる過程は、通説的な理解である近代的な帝国主義による膨張ではなく、吉田松陰が唱えた封建的な膨張主義である征韓論が実現していく過程であり、実際にも松陰の門下生たちがその後韓国併合をなしとげていったことが明かにされている。また併合過程で言論機関の統制を担ったのが徳富蘇峰であったが、徳富も吉田松陰の信奉者であり、徳富が吉田松陰のイメージをつくりあげていくうえで大きな役割を果たしたことも明かにされている。本論文が、現在悪化している日韓関係を巨視的にみていくにおいてもつ意義は決して小さくはない。 日本語への翻訳は小宮秀陵(こみや ひでたか 啓明大学校招聘助教授)が草案を作成し、邊英浩(ピョン ヨンホ 都留文科大学教授)が点検した。なお以前の本研究紀要では、邊英浩を辺英浩、BYEON Yeong-ho をPYON Yongho と表記した論説があることを付記しておく。
著者
井上 厚史 権 純哲 中 純夫 邊 英浩 邢 東風 李 暁東 木村 純二 吉田 真樹
出版者
島根県立大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

東アジアにおける朝鮮儒教の位相を解明すべく、従来の性理学から実学へという通説を再検討する一方で、朝鮮王朝建国時にまで遡り、儒教的建国理念、鄭道伝と『朝鮮経国典』、『朱子家礼』の導入、徐敬徳の理気論、16世紀朝鮮儒学者の人心道心説、李退溪と朝鮮心学、李栗谷と儒教の土着化、李匡臣の理気論、韓元震の王陽明批判、李星湖の『孟子』解釈、丁若鏞の政治論、沈大允の歴史館、李炳憲と高橋亨、朴殷植の開化思想など、朝鮮儒教を特徴づける重要なテーマの抽出に尽力し、その結果として、新たな朝鮮儒学史を記述する研究成果を積み重ねることができたと考えている。
著者
邊 英浩 BYEON Yeong-ho
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
no.74, pp.159-169, 2011-10-20

朝鮮王朝は朱子学によって建国され、その思惟様式と対外観は16世紀に登場した李退溪(名は滉、字は景浩、退溪は号1501~70年)、李栗谷(名は珥、字は叔獻、栗谷は号 1536~84年)によって代表される。しかし朝鮮王朝が末期に近代に遭遇したとき、その基本的な思惟様式と対外観は大きく変容していた。それは、夷狄の中華への上昇可能性の肯定、儒教文明化以外の文明化への視野の拡大、この2 点である。こうした思惟様式と対外観の変容が起きつつあったときに、朝鮮王朝は近代を迎えることとなった。そのため高宗政権は、自ら近代化を進めながら、これらの近代的な夷狄との外交交渉、同盟関係を適宜構築していく政策を推進し、一定の成果をあげていくことができたのである。これらは国際関係を単に力関係から見るという次元では理解できないものであった。
著者
李 泰鎮 邊 英浩
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.151-174, 2011

本稿の草稿は、第6 回韓日歴史家会議『歴史家はいま、何をいかに語るべきか?』(2006年10月27~29日 東京)のために作成され、その際に日本語訳が鳥海豊・邊英浩によって一旦作成された。その後、訳者は本翻訳用に著者の李泰鎮氏(ソウル大学名誉教授)に韓国語論文の修正加筆をお願いし、2010年9 月に完成原稿を受領し、それを底本として、上記日本語訳を参照しつつ改めて翻訳を行った。なおこの論文の韓国語版は、今現在発表されていない。著者の李泰鎮氏は、近年高宗時代史の一次史料の検討を通じて精力的に論考を発表してきた。その中で、日本が植民地支配を正当化するためにこの時代が悪政であり、日本が善政をもたらしたとする歴史観が作り出され、韓国の近現代史認識が大きく歪曲されてしまったことを明らかにしてきた。この論文では、(1)日本帝国主義による意図的な歪曲を概観し、(2)それを主導した徳富蘇峰の分析に相当量が割かれている。さらに、(3)この歴史認識は解放後もそのまま放置されてきたが、それは解放後の韓国で大統領となった李承晩の歴史認識に大きな原因があったことを解明している。(4)最後に北朝鮮の歴史学界と韓国の学界との関連にも言及している。今までの自身の研究成果を踏まえ、韓国近現代史像を総体的に再検討しようとするスケールの大きな問題提起論文であるため、ここに訳出した。なお訳文中の( )[ ]などの補足は特に断らない限り、原著者によるものである。訳者が補った箇所は〈 〉としたが、その旨を注釈部分などは訳者註などとした箇所もある。引用文献は原則として日本語訳したが、一部原文を並記した。日本語文献との混同を避けるため、韓国での出版物は【韓国語】、北朝鮮のものは【朝鮮語】と記した。
著者
金 容煥 邊 英浩 邊 英浩 柳生 真 YAGYU Makoto KIM Yonghwan
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.171-184, 2016

本稿は金容煥(忠北大学校師範大学倫理教育科教授)が「第99回京都フォーラム」(2010年9月25-27日)での報告を論文としたものである。幸福論は近年経済的な豊かさと幸福度が一致しないために世界的な学問関心事となり、日本でもやや遅れてであるが幸福論が盛んとなりつつある。だが幸福を個人的なものとしてとらえたものが多くあり、社会への問題意識を欠落させ個人救済的な方向に流れていく傾向がみられる。しかし幸福を社会性を帯びたものとしてとらえ、共同社会の幸福、すなわち共福としてとらえる試みもでてきている。韓国においては、1987年の民主化の流れの中で「正義の実現が強調されてきたが、社会内の対立を乗りこえる可能性を持つ「幸福」ムン・ジェインが注目されるようになった。2012年の大統領選挙では、文在寅(統合民主党)が正義を、パク・クネ朴槿恵(セヌリ党)が幸福を打ち出し、接線を展開した。本論はこうした韓国社会の状況を踏まえ、幸福を単に西洋思想の翻訳にとどまらずに、韓国社会にある仏教、大倧テジョンギョ教などの伝統思想のなかにある概念を再検討することにより、皮膚感覚のある思想資源として現代に再生させる可能性を論じたもので、注目される。なお日本の読者はなじみがないため、本文に先立ち、大倧教について簡略な説明を付すこととする。韓国において固有信イルヨン仰、開国始祖と考えられているのは、『三国遺事』(13世紀末僧侶の一然編纂)などに記タングンファンインファンウン録が伝えられる古朝鮮の檀君神話である。それによれば桓因の庶子、桓雄が天から人間タングン・ワンゴム世界に降りてきて、熊と婚姻関係を結び檀君王倹を生んだが、檀君は中国の伝説的聖人のぎょう堯が即位して50年後に、平壌城に都を開き朝鮮と号したとされている。檀君朝鮮の開国年代は箕子朝鮮のそれよりさらに約千年も歴史を遡り、中国の伝説的聖人の堯とほとんど同時代に存在したとされ、朝鮮は中国の天子より冊封を受けた国ではなく、独自の天から降臨した天孫の開いた国とされているのである。李氏朝鮮王朝が滅亡に瀕したとき、檀君を民族の国祖神として信奉する各種の檀君系教団が登場してくるが、その中で大倧教は最も有力な団体であった。現在の韓国・朝鮮人が共通に認識している民族アイデンティティとして、(1)5 千年の悠久なる歴史意識、(2)白頭山の神聖視、(3)10月3 日の「開天節」の創設(1949年10月1 日、国慶節に関する法律で制定)、(4)檀君紀元の制定(1948年9 月25日、年号に関する法律で制定)、(5)満州=朝鮮の故土史観の定立(倍達民族史観)などは、この大倧教の活動を通じて普及していったものである。本文内〔〕は断りのない限り訳者注を示す。日本語への翻訳は柳生真(YAGYU Makoto延安大学講師)が草案を作成し、邊英浩(BYEON Yeongho 都留文科大学教授)が点検した。なお以前の本研究紀要では、邊英浩を辺英浩、BYEON Yeongho をPYON Yonghoと表記したものがあることを付記しておく。
著者
邊 英浩
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.159-169, 2011

朝鮮王朝は朱子学によって建国され、その思惟様式と対外観は16世紀に登場した李退溪(名は滉、字は景浩、退溪は号1501~70年)、李栗谷(名は珥、字は叔獻、栗谷は号 1536~84年)によって代表される。しかし朝鮮王朝が末期に近代に遭遇したとき、その基本的な思惟様式と対外観は大きく変容していた。それは、夷狄の中華への上昇可能性の肯定、儒教文明化以外の文明化への視野の拡大、この2 点である。こうした思惟様式と対外観の変容が起きつつあったときに、朝鮮王朝は近代を迎えることとなった。そのため高宗政権は、自ら近代化を進めながら、これらの近代的な夷狄との外交交渉、同盟関係を適宜構築していく政策を推進し、一定の成果をあげていくことができたのである。これらは国際関係を単に力関係から見るという次元では理解できないものであった。
著者
邊 英浩 BYEON Yeong-ho
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
no.76, pp.87-96, 2012-10-20

1860年に水雲・崔済愚(1824~1864年水雲は号)によって創始された東学は韓国固有の生命思想、神観念を基軸としつつ、儒教を中心とし、老子思想、仏教思想、キリスト教的な要素をも取り込みつつ集大成したものである。崔済愚は漢文とハングルとでその思想を書き残したが、韓国固有の人格神ハヌルニムを漢文史料では、天、上帝などと記した。しかしそれは中国思想における天、上帝などではなく、ハヌルニムを漢文で記すときに生じる現象であるため、あくまでも韓国固有の神観念であるハヌルニム信仰を内容としている。東学は人間の心はハヌルニムの心であるとし、人間と神との距離を圧縮的に接近させ、当時存在した身分差別を否定的に見る内容を持っていた。そのため東学は以後中下層の農民層を中心として急速に信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。 崔済愚は朝鮮王朝により1864年に処刑されたが、東学は第2 代教祖の海月・崔時亨(1827~1898年海月は号)に伝授され、経典と教団の整備に尽力し、東学は一層民衆生活の中に浸透し大勢力に成長していった。そのため東学は中下層の農民層を中心とした信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。その弾圧に反発したのが1894年に勃発した東学農民戦争である。当初東学農民軍は朝鮮王朝に抵抗し南部地域を中心とした独立王国的な勢力となっていったが、そこに日本軍が介入することにより壊滅的な打撃を被った。 東学農民革命以後、風前の燈火のようになった教団を継承したのは、第3 代教組の義菴・孫秉(1861~1922年義菴は号)であった。孫秉は日本からの弾圧を逃れるために、1905年東学の名称を天道教と改称し、教団を近代的な宗教組織体系に整備した。だが、孫秉は日本からの独立運動を放棄したわけではなく、1919年の3・1 独立運動を主導し、獄中死することになる。 東学は韓国固有の神観念の集大成的なものとして韓国ではしばしばその画期的な意味が触れられてきた。しかし、日本では東学は相当誤解され、天道教という名称さえ知られていない状態である。日本における東学・天道教への一般的な受け止め方は、恨みと民衆反乱、あやしげな民衆呪術といった反応に要約できる。思想内容に関心が薄い歴史学者、文化人類学者たちにより研究されてきたためであろう。 著者の金容暉氏(高麗大学校研究教授、ハヌル連帯事務総長)は、2011年10月に日本の一般市民向けに「東学・天道教の霊性と生命平和思想」という講演原稿を作成された(肩書きは講演当時のもの)。訳者は、日本ではあまり知られていない東学のエッセンスとでもいうべき生命思想、神観念を簡潔に整理したこの原稿を日本語で紹介する意義が小さくないと考え、ここに訳出した次第である。なお翻訳にあたり朴源出氏(天道教布徳師2011年当時)による翻訳原稿草案があり、邊英浩がそれを活用しつつ訳文を完成させた。そのため、翻訳の責任はすべて邊英浩にある。
著者
張 東宇 邊 英浩 鄭 宰相 JUNG Jae-sang
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.45-68, 2013

これまでの朝鮮思想史の叙述において、17世紀は「礼学の時代」と性格づけられてきヒョン・サンユンた。この説を最初に言い出したのは、おそらく玄相允の『朝鮮儒学史』(1949)であろう。玄相允の『朝鮮儒学史』は、植民地時代以降のものとしては、最初の朝鮮儒学通史であるが、そこでは朝鮮儒学の流れを「至治主義儒学→性理学→礼学→経済学(実学)」と述べている。この捉え方は、後の研究に大きな影響を与え、朝鮮時代の儒学は「16世紀=理学、17世紀=礼学、18世紀=実学」のように展開したもの、という「理解・知識」として定着テゲユルゴクする。つまり、16世紀における退渓学派と栗谷学派の性理学に対する見解の差が、17世紀において礼学に対する見解の差を生み出し、栗谷学派に属する西人は『朱子家礼』を中心とする礼論を、退渓学派に属する南人は古礼中心の礼論を展開した、という見方が朝鮮思想史ないし礼学史の叙述においてほぼ通説となっているのである。例えば、韓国精神文化研究院で刊行された『韓国民族文化大百科事典』(全28冊)の「礼訟」の項目をみると、「栗谷学派である西人=家礼中心=守朱子学派」対「退渓学派である南人=古礼中心=脱朱子学派」という図式で説明がなされている。『韓国民族文化大百科事典』は研究者をはじめ一般人もよく利用する事典であるため、この図式的な理解は一般的な認識として根強く広まっている。17世紀の思想史・礼学史に対するこのような理解は、18世紀の朝鮮思想史の理解にもつながり、18世紀を「実学の時代」と規定し、「南人」系列の学者に焦点を当てながら、実学を「脱朱子学的」学問として位置づける言説と密接に結び付いている。このような状況の中で、17世紀の朝鮮思想史・礼学史に対する従来の研究に問題を提起し、新しい見方を提示する研究者たちが近年現れている。本稿の著者である張東宇氏(韓国、延世大学校国学研究院研究教授)もその一人である。氏は、朝鮮時代の代表的な思想タサンチョン・ヤギョン家の一人である茶山、丁若 の礼学の研究で博士論文(『茶山礼学の研究―『儀礼』「喪服」篇と『喪礼四箋』「喪期別」の比較を中心に』延世大学校、1997年)を著して以来、長年朝鮮礼学の研究に取り組んできた韓国の学者であるが、特に近年は朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述の研究を精力的に行っている。本稿で氏は、朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述に対する書誌学的な調査・分析を通じて、朝鮮における礼学の展開は、『朱子家礼』の研究が始まった16世紀後半から18世紀にいたるまで、「古礼による『朱子家礼』の補完」という共通の問題意識をもとに、学派の相違を超えて「蓄積的に進展された単一な流れ」であると結論づける。また「礼学の時代」といえるのは、17世紀であるというより、むしろ18世紀であるという見解を示す。これまでの朝鮮礼学の研究は、主に17世紀の服制論争(礼訟)史料を中心に行われてきたわけであるが、著者は朝鮮礼学史における家礼関連資料の持つ重要性を提示し、朝鮮礼学史の叙述は礼訟にとどまらず、もっと広い見地から捉えるべきであることを示唆しているのである。朝鮮礼学史への新しい視点を提供し、従来の朝鮮思想史の理解に反省をうながしている点で、著者の問題提起と結論は非常に大きな意味を持つものと思われる。また本稿で整理された膨大な量の『朱子家礼』関連著述リストは、朝鮮礼学史の研究のみならず、今後、中国・日本・ベトナムなど、東アジア各地における家礼文化の比較研究の基礎資料として活用できるものと期待される。翻訳は鄭宰相(京都大学講師)が草案を作成し、邊英浩(都留文科大学教授)が点検し責任を負うこととした。なお本稿は筆者が、科学研究費補助金(基盤研究(A))研究「東アジアにおける朝鮮儒教の位相に関する研究」(研究代表者:井上厚史島根県立大教授)の一環として弘前大学で行なわれた国際ワークショップ(2012年8月29~30日)において報告したものを加筆、修正したものである。It has been said that the two opposite stances exist in Choson scholars' studies on FamilyRituals of Master Zhu (Zhuzi Jiali 朱子家禮). Unlike the previous understanding of theirreconcilable difference between Yulgok 栗谷school and T'oegye 退溪school, this articleunveils their common consent that they endeavored to complete Zhuzi's Family Rituals inaccord with the ancient ritual principles. On the ground of such agreement, Ritual Studies ofthe two schools had interacted with each other, mainly in respect of three aspects : practiceof rituals (haengnye 行禮), interpretations or exegeses on those practices, and provisional/^ extraordinary rituals without clear manuals in the canonical scriptures (byollye 變禮).^ Through exploring extant 198 works of Choson Ritual Studies in the 15th to 19th centuries,this article shows the patterns of their evolution and interrelationship.