著者
多ケ谷 有子 タガヤ ユウコ Yuko Tagaya
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.7-32,

バラッド`Sir Patrick Spens'は、王の命令で大時化(しけ)の時期に出航し、難破した事件をうたった作品である。この中で、「古い月を抱いた新しい月」を見たから海は荒れると、このような月の出方が凶兆であるとして言及される。「古い月を抱いた新しい月」とは、科学的には「地球照」と呼ばれる現象で、本来、海の時化とは無関係である。ただ、「地球照」の現象の理由がわからず、その現れる時期と海が大時化になるときとが重なっていたために、`Sir Patrick Spens'では凶兆とされたのである。日本でも、出るはずのない時期に出る「満月」が観測されて、不吉な徴(しるし)としてとらえられていた。これは「地球照」が極端に現れた場合と考えられる。しかし、宮沢賢治は、同じ「地球照」に良いもの、尊いものを見て、それを作品にあらわしている。本稿では、バラッドと宮沢賢治の作品の比較を通して、「地球照」の現象の果たしている意味について考察したい。