著者
多ケ谷有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.117, pp.3-36,

『日本霊異記』にある「道場法師説話」の鬼退治と『ベーオウルフ』のグレンデル退治とは、類似する部分が多い。「道場法師説話」の鬼退治譚がもつモチーフは、小異を除きすべて『ベーオウルフ』にもある。島津久基著『羅生門の鬼』は、謡曲『羅生門』の原型として「道場法師説話」を引いているが、『ベーオウルフ』との直接の対比はなされていない。道場法師は柳田民俗学でいう「小さ子」の系統にあるとされ、『ベーオウルフ』にはそれに似た"Ash Lad"のモチーフがある。道場法師が退治した鬼は仏教を妨げる地主神との解釈があるが、ベーオウルフをキリスト教的英雄と見れば、グレンデルを土地伝来の地主神が零落した姿と見ることができる。「道場法師説話」はある側面では「綱伝説」より『ベーオウルフ』に似る。以上を踏まえて、『日本霊異記』の「道場法師説話」と古英詩『ベーオウルフ』とを比較検討する。
著者
多ケ谷有子 タガヤ ユウコ Tagaya Yuko
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.117, pp.3-36,

『日本霊異記』にある「道場法師説話」の鬼退治と『ベーオウルフ』のグレンデル退治とは、類似する部分が多い。「道場法師説話」の鬼退治譚がもつモチーフは、小異を除きすべて『ベーオウルフ』にもある。島津久基著『羅生門の鬼』は、謡曲『羅生門』の原型として「道場法師説話」を引いているが、『ベーオウルフ』との直接の対比はなされていない。道場法師は柳田民俗学でいう「小さ子」の系統にあるとされ、『ベーオウルフ』にはそれに似た"Ash Lad<のモチーフがある。道場法師が退治した鬼は仏教を妨げる地主神との解釈があるが、ベーオウルフをキリスト教的英雄と見れば、グレンデルを土地伝来の地主神が零落した姿と見ることができる。「道場法師説話」はある側面では「綱伝説」より『ベーオウルフ』に似る。以上を踏まえて、『日本霊異記』の「道場法師説話」と古英詩『ベーオウルフ』とを比較検討する。
著者
多ケ谷有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.124, pp.61-103,

英国の伝統に桂冠詩人の制度がある。公式の初代の桂冠詩人はドライデンであるが、彼以前チョーサーなど多くの王室関与の詩人がおり、その長い歴史と伝統の上に桂冠詩人は成り立っている。わが国において、公的かつ国民的皇室行事として歌会始がある。これも長い皇室の歌御会の歴史に連なる。しかも歌会始はわが国の古い歌垣、その発展の延長線上にある踏歌、漢詩文の朗詠、また和歌の詠み上げを伴う催事である歌合、勅撰集の撰集行為など、わが国の詩歌の伝統文化を言わば集成したものと言える。本稿では、現在の歌会始への道のりを、皇室での歌会の伝統のみならず、わが国の詩歌の伝統を踏まえた観点で検討する。
著者
多ケ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.125, pp.75-101, 2012

9世紀から12世紀にかけての約350年間、日本においては国家による公的な死刑は行われなかった。江戸時代の水戸藩の『大日本史』のようにこの死刑停止の事実を疑う立場もあるが、「官符」などの公文書による規定があること、『西宮記』に記録されるような「口傳」があること、具体的に階級にかかわらず「詔」して「死一等を減じ、之を遠流に処す」旨の史的記録が多くあること、国家による死刑が行われた記録がないことから、実際に死刑は回避されて軽減され、事実上停止されていたことは、史実と結論できる。この死刑停止から死刑が復活したのは保元の乱以降、後白河天皇の側近の信西の建議による(『保元物語』等)。『古事談』には、国法に反して殺生(鷹狩)を行った武士が、白河法皇に追放の刑を受ける説話がある。これは上記死刑停止の最中であり、原則として死罪に問われることがない状況であったことを踏まえて理解すべきである。例外はあり、背景や理由が理想主義的とは言えないにしても、稀有にして有りえないような死刑停止が、平安期の日本に史実としてあったという事実は注目すべきである。
著者
多ケ谷有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.120, no.1, pp.73-107,

14世紀の頭韻詩、Sir Gawain and the Green Knight 解釈の一つの鍵は、1月1日の新年、新年の贈り物、新年のゲームをキー・ワードとする物語構造の仕組みである。本論ではこの物語構造の仕組みと仕掛けに関する考察を通して、貴族的遊びと貴族的精神の重層的意味が読み取れることを明らかにし、一つの読みを提示したい。SGGKの物語の構造を捉えたとき、まず、大きな枠組みとしては、全体がゲームであり、その大枠のゲームの中に、マトリョーシュカのように、いわば入れ子式にゲームが仕組まれている。この物語の構造は『詩編』などに見られるように、キアズマ、コンチェントリックといった詩形を取り入れているが、その詩形には物語の中心テーマが投影されている。したがって、物語全体をゲームととらえ、物語解釈のうえで重要な鍵となるキー・ワードを踏まえ、物語構造から見た一つの読みを試みる。
著者
多ケ谷有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.123, pp.105-139,

イングランド最古の叙事詩Beowulfと渡辺綱伝説のモチーフの類似については、島津久基の『羅生門の鬼』で詳細に論じられて以来、衆目を集め、両者の比較検討も行われるところとなった。本稿は、Beowulfと日本の古典文学における類似するモチーフの比較というテーマの一環として、『古事記』における「国譲り譚」と『出雲国風土記』の「安木郷猪麻呂説話」を取りあげ、類似するモチーフの比較検討を行った。前者については、新来の神/英雄が在来の神/怪物と素手で闘い、相手の手/腕を害し、その結果在来の神/怪物は湖に逃走し、新来の神/英雄に追われて完敗し、国譲りが完成する/斃される、という類似がみられる。後者については、娘/息子を害された父/母が復讐し、斃した相手から片脛/片腕を奪い返し、相手の死骸を曝す、という類似が見られる。本稿では、この類似についての考察を行い、加えて、話型の比較考察をすることの意味を見出し、今後の研究につなげる展望を模索した。
著者
多ケ谷 有子 タガヤ ユウコ Yuko Tagaya
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.7-32,

バラッド`Sir Patrick Spens'は、王の命令で大時化(しけ)の時期に出航し、難破した事件をうたった作品である。この中で、「古い月を抱いた新しい月」を見たから海は荒れると、このような月の出方が凶兆であるとして言及される。「古い月を抱いた新しい月」とは、科学的には「地球照」と呼ばれる現象で、本来、海の時化とは無関係である。ただ、「地球照」の現象の理由がわからず、その現れる時期と海が大時化になるときとが重なっていたために、`Sir Patrick Spens'では凶兆とされたのである。日本でも、出るはずのない時期に出る「満月」が観測されて、不吉な徴(しるし)としてとらえられていた。これは「地球照」が極端に現れた場合と考えられる。しかし、宮沢賢治は、同じ「地球照」に良いもの、尊いものを見て、それを作品にあらわしている。本稿では、バラッドと宮沢賢治の作品の比較を通して、「地球照」の現象の果たしている意味について考察したい。
著者
多ケ谷有子 タガヤ ユウコ Tagaya Yuko
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.123, pp.105-139, 2011-12

イングランド最古の叙事詩Beowulfと渡辺綱伝説のモチーフの類似については、島津久基の『羅生門の鬼』で詳細に論じられて以来、衆目を集め、両者の比較検討も行われるところとなった。本稿は、Beowulfと日本の古典文学における類似するモチーフの比較というテーマの一環として、『古事記』における「国譲り譚」と『出雲国風土記』の「安木郷猪麻呂説話」を取りあげ、類似するモチーフの比較検討を行った。前者については、新来の神/英雄が在来の神/怪物と素手で闘い、相手の手/腕を害し、その結果在来の神/怪物は湖に逃走し、新来の神/英雄に追われて完敗し、国譲りが完成する/斃される、という類似がみられる。後者については、娘/息子を害された父/母が復讐し、斃した相手から片脛/片腕を奪い返し、相手の死骸を曝す、という類似が見られる。本稿では、この類似についての考察を行い、加えて、話型の比較考察をすることの意味を見出し、今後の研究につなげる展望を模索した。