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言及状況
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Yahoo!知恵袋 (1 users, 9 posts)
入口の話として…
日本政府&大本営が、その時々にどんな状況判断をしてどんな決定をし、(本音と別の)どんな対外宣伝をしたか、は、当時の政府&大本営が記録した内部文書でわかります。というか、読まなきゃわかりません。
読めば「大東亜戦争はアジアを植民地支配(or欧米支配、白人支配)から解放する為の戦争」ってな、政府の宣伝文句すらガン無視したヨタ話はアホくさ過ぎで、建前・宣伝文句としてすら「植民地 ...
いきなりですが…
『平和への努力』(近衛文麿・日本電報通信社・昭和21年4月)のP96から引用します。(全文は国立国会図書館デジタルコレクションの↓で見られます)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042005/52
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同日(引用者による注:昭和16年10月14日)午後、武藤軍務局長が書記官長の処に来て、「どうも総理の肚が決らないのは海軍の肚が決 ...
「拒否権があったかなかったか」と言ったら、そりゃ「あった」って事にしかなりません。後述の様に、昭和天皇が御前会議決定を無効化した実例があるぐらいですから…
勿論「本人にその気があったか」&「仮に拒否権を行使したとしても、最終的に戦争の回避につながったか」はまた別の話ですが…
大日本帝国憲法第55条の
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。凡テ法律勅令其ノ他 國務ニ關ル詔勅ハ國務大 ...
東條英機が個人として「良い人」とか「悪い人」のどっちかは、歴史の議論の対象じゃないです。
東條英機には戦争指導者としての能力が全然なかったし、おまけに、(日本の為ではなく)陸軍の『面子』の為に強硬に対米妥協に反対し、(それだけが原因では勿論ないけれど)決定的局面で日本を戦争に追い込んだ、って言うのは否定のしようもない事実です。
東條英機の戦争指導者としての能力欠如については、防衛大学校 ...
南部仏印進駐前の米国の石油禁輸の事前警告を甘く見てしまった向きである大本営陸軍部(通称)戦争指導班の機密戦争日誌より…。()内はアジ歴レファレンスコード。
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(C12120318700)
昭和16年7月24日分
連絡会議開催せらる
外相南仏進駐に対する米国の動向に就き資金凍結、石油禁輸等強硬態度取るべきを発言す。
野村大使よりの電「ヒステリック」なるに一驚せるならんか ...
『陸軍も海軍も組織としてはどっちも酷くて』という点に付いては、完全に同意します。
ただ、海軍善玉論(裏返せば陸軍悪玉論)について、『海軍三羽鳥(米内光政・山本五十六・井上成美)の三人組を海軍のスタンダードみたいに語るから生じた誤解』ってな主旨の事を半藤一利あたりは言っている様ですが、それは自分の様な小説家の影響力を勝手に過大評価したもので、海軍善玉・陸軍悪玉、と言った「イメージ」が戦後暫くの ...
細かい点はさておき、全体の主旨は仰る通り、と思います。
第三次近衛内閣で、東条英機(陸相)は、閣議などの公式の場では無茶苦茶強硬な発言をしていた一方で、『海軍が公式に“米国と戦争したくない”と言うなら、妥協も已む無し』と考えていた、と言うのはわりと良く知られています。(後で根拠となる史料は挙げます)
が、海軍は『長期的な戦局は不明』迄は言っていたものの、さすがに『米国とは戦争したくない ...
結論から言えば、当時の政府&軍の指導者層総体、特に陸軍にとっては、中国からの撤兵は(自衛云々ではなく)『メンツ上』(少なくとも自分の側からは)到底受け容れられなかった、という事です。
結構長くなりそうですが、史料をご紹介しつつご説明します。
1941年10月11日に近衛首相の私邸で開かれた(近衛首相、豊田外相、及川海相、東条陸相、鈴木企画院総裁の五人の大臣による)五相会議でのやりとりを ...
ご質問は(一回目の)「帝国国策遂行要領」を決定した御前会議の前日(1941年9月5日)に昭和天皇と杉山元陸軍参謀総長の間に交わされた会話の事を仰っているのだ、と理解します。
が、その時に杉山元は「対米戦が3カ月で完了する」とか「アメリカを3カ月で始末する」とか言った意味の発言はしていないのではないですかね。正確に言えば、そういう意味で杉山が語ったとする史料は(私の知る限りでは)なく、そういう ...
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