9 0 0 0 OA 映画年鑑

著者
日本映画協会 編
出版者
日本映画協会
巻号頁・発行日
vol.昭和17, 1943

言及状況

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これは以前インターネット公開だったのに、いまは国会図書館限定公開になっている。/映画年鑑. 昭和17 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/d5pWgPZuMT
京浜第二劇場は平沼町1ノ69で平沼駅(平沼橋駅ではない)の駅前らしいがどこだか突き止められていない。 https://t.co/lxVENaWG0T
五反田は東宝五反田映画劇場の支配人が五島慶太だからここだ https://t.co/jGOR5tUVEb
映画年鑑 昭和17年版によれば板橋映画劇場も昭和興業とされている。板橋は東横沿線ではないから板橋も買収だったというのは納得できる。 https://t.co/DThgoPIcdE
Wikipediaの記述の出典を見ると、日本映画協会発行の『映画年鑑 昭和17年版』 https://t.co/cB7Dh9JDTA (コマ番号272)の日比谷日活館の住所が「芝區田村町一ノ四」であることだけのようで...
戦争の始まった1942年の資料によれば、北海道の映画館は75館とある。10年前と比べて46館減っている。札幌市内の9館はこの10年間は変わらないが、1961年には50館になっている…大阪296京都71神戸83名古屋130には及ばぬが。 http://t.co/ytPuQ9rXed
1942渋谷 : 渋谷花月(上通4-9)、渋谷日活館(同3-5)、東横映劇(同3-23-1)、東横ニュース(同2-17)、渋谷松竹(神宮通1-1)、銀星座(同地下)、渋谷キネマ(円山町17)、聚楽座(同18)、道玄坂映劇(栄通1-5) http://t.co/NJ64eq4wWh
第二次世界大戦が始まったころの渋谷周辺の映画館は、上通り(宮益坂-道玄坂)の渋谷花月劇場、渋谷日活館、東横映画劇場、東横ニュース劇場、神宮通りの渋谷松竹と同地下の銀星座、円山町の渋谷キネマと聚楽座、栄通りの道玄坂映画劇場であった。 http://t.co/NJ64eq4wWh
1942年千葉県における千葉興行(臼井荘一)の覇権にも眼を見張る。千葉市の千葉演芸館、千葉新興館、現存する千葉劇場、船橋市の宮下館と船橋新興館、市川市の市川松竹館、銚子市の調子演芸館。臼井は当時千葉市議、戦後衆院議員、総理府総務長官。 http://t.co/L0oFADsXLl
1942年川崎市内の美須系以外の映画館は7館。堀之内の川崎遊楽館、南幸町の進興館、大島町の田島常設館、川崎国際の前身と思われる京浜映画劇場、松竹直営の川崎館と中原松竹映画劇場、都内にもかなりの数の映画館をもつ小林喜三郎の川崎帝国館。 http://t.co/y4ut8dpQNM
1942年川崎市内の映画館がすでに14館もあることを知る。そのうち半数の7館をすでに美須興行部(現在のチネチッタ)が経営している。川崎ニュース劇場、川崎映画劇場、川崎昭和館、銀星座、川崎東宝第一劇場、高津映画劇場、浜川崎ニュース劇場。 http://t.co/y4ut8dpQNM
『映画年鑑』昭17( http://t.co/T4wlcrtED2 )の275コマに意外なものを発見して頭を抱えている。従来、成子坂には1つしか映画館がなく、それが不二館(1920-30年代)⇒成子映画劇場(1950年代)と変遷したと思っていたが、隣接した2か所に映画館があった。
@kmrtwit 戦前の「新宿劇場」は歌舞伎町ではなく、角筈1-1にあったようです。映画年鑑 昭17(http://t.co/Anw6ieekqn)の275コマにあります。武蔵野館ほか6館も同じ住所ですが。参考地図 http://t.co/hC8quCOsTh
【国会図書館がウェブ公開する書籍2】 『日本映画年鑑 大正十三・四年度』(1925年) http://t.co/9wuT4TitBn 『映画年鑑 昭和十七年』 http://t.co/GE1miagv04 『映画年鑑 昭和十八年』 http://t.co/NPbBSYqtpo

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編集者: Tamrono157
2015-08-18 00:50:48 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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