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『廣島蒙求』より。 https://t.co/bEIJW4qH3v 「杏坪先生はむつかしき歌を詠む人にて」云々。 #備忘録
メモ)「眼を轉じて北に北にと瞻仰し、武田山に城趾あり。八木山。虻山。熊谷城。逶蛇十里連綿たり」(自慢白島年中行事) 逶蛇(いい?)は蛇のように曲がりくねったさまで古事記では豊玉姫が和邇になって子を産む時にも使われていて「もこよう」と訓読みされている。 https://t.co/f2Hnky7Mvo
メモ)「亦これ寸にも足らぬ小さき魚の、姿の沙魚(はぜ)に似たるもの、黒山なして泝る、方言之を祇園坊といふ、祇園祭りの気節の故なるか、」(自慢白島年中行事) これは白島あたりの川を上ってくる魚の祇園坊、何かよくわからない。祇園坊といったら普通柿よね。 https://t.co/0SHCxdLPjM
メモ) 「右白雪花とは豆腐の殻を煮たるなるべし、味ひの善きものなれば廣島人は之を嗜好する者甚だ多し、或は宮島名物の雪花漬かとも想はる。」(廣島蒙求) https://t.co/O2f3Qy0YBp
メモ続き)明治二年六月、版籍奉還時の岡田柳處の諧謔歌、 是からはすきな豆茶もくはれない こうもひどうにわれた焙烙(俸禄) https://t.co/FVTKVNr7JL
メモ)廣島地方に一の捕食あり、先づ米と大豆とを炒り、而して水と鹽とを混入して炊ぐもの、方言之を「豆茶」と呼ぶ(中略)又其炊ぐとき用ゐる所の器には一種の土鍋を以てせり、方言之を「焙烙(ほうろく)」と呼べり。 https://t.co/FVTKVNr7JL
@noriquo 小鷹狩元凱(こたかり・もとよし)の広島の風俗に関名する著作は、国会図書館デジタルコレクションで読めます。 https://t.co/PgLDHrbr5r
白みその団子汁はこのあたり独特のものらしい。「自慢白島年中行事」(小鷹狩元凱 著)には、「八月十五夜の観月と団子汁」とあり、江戸末期の広島ですでに十五夜には団子汁が定番だったようだ。 https://t.co/ixYa6bNps8
「廣島雑多集」旧暦時代の節分 「麻上下着せる年男は(中略)右手には炒豆を撮みて、家の間毎々々より倉庫物置等まで残る所なく、恵方に向かいては福は内と三唱し、鬼門に向かいては鬼は外と三叫して之を撒き散せば、家の男女は大騒ぎして争い摭う」 https://t.co/axb0k0GvY7
文化からよく見える呉婆々宇(ごさそう)山について、元凱十著のうちの「廣島蒙求」に記述があった。「山の名、一に互差層といひ、一に五八霜と云ふ」とあり少し後の芸藩通志の引用にも「ごはつさう」の別名があったことがわかる。 https://t.co/JeYKk3QNBU
ぶらたもりで仁保島やってるが、江戸時代は「仁保の島」と「の」が入っていた。明治になって「にほしま」と、のが取れたようだ。今は仁保島という人はほとんどおらんよね。 https://t.co/BQk6UmqgAP
同じ本に、「廣島地方に於て寝(ね)に就くを「可部に往く」という方言あり(中略)吉田に至る道に根の谷という地あるをもて、此方言を生ぜしならんと思えリ」。可部に行くは聞いたことがないが、根の谷が語源かもしれないというのが面白いね。 https://t.co/WLbkpFZP4l
「廣島雑多集」に、仁保島、地御前という地名は明治初年までは「仁保の島」「地の御前」と「の」が入っていて、それが廃藩後は他県の人の往来が増えて文字通り「の」を省略するようになったと嘆いている。著者は旧広島藩士の小鷹狩元凱。 https://t.co/BQk6UmqgAP
ハロウィンが急速に定着した理由についてあれこれRTされてて面白いが、ゲームのイベント説は有力かもしれんね。でもまあ、ついていけないと言ってるお仲間が多いのはうれしいことだ。この時期当地では亥の子の方がしっくりくるよね・・・ http://t.co/tfuHAgHr43

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編集者: 葡萄美酒夜光杯
2020-09-08 00:34:44 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: 葡萄美酒夜光杯
2020-08-18 08:52:58 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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