小林じゃ (@bras_de_Squid)

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2 1 1 0 OA 高田郡誌

メモ)高田郡誌 ○大師講 陰暦十一月二十三日夕より各戸とも大師講と称し、小豆に蘿匐蕪菁等を入れて、団子汁を焚き食す、俗説に、弘法大師、雪夜に癩人に化し、旅館に宿し蘿匐蕪菁の汁を求め、自ら雪を履み野菜を竊み来りて之を食ひ、 https://t.co/C8Zt1FFd93
メモ)日本賦税史研究 小物成を中心とする広島藩財政の研究 然らば当然に、原義の水主役・加子役が存在しなければならないが、その明確な規定乃至制度なるものは見る事は出来ない。 https://t.co/CE647uPDAk
メモ)日本教育資料 2 旧広島藩 平民ノ子弟教育方法 藩立学校ヘ入学ヲ許サス然レ
広島県の公文書では明治24年ごろ大田川→太田川と変わったようだが、学校関係は確かに昭和に入ってからも大田川の記述がある。 https://t.co/vV4xT7KBpx
メモ)明治29年3月 帝国議会衆議院 河川法委員会会議録 「本案適用ノ区域ハ主務大臣ニ於テ公共ノ利害ニ関スル河川ト認メタルモノノミニ限ル而シテ本案通過ノ暁ニ於テモ其ノ全部ヲ一時ニ施行スルニ非ス」 https://t.co/qVD5mzJQqa
メモ)大日本名所図録. 広島県之部 安藝國安佐郡深川村 牛尾山 正明院 明光寺境内ノ景 「例年四月八日の縁日」とか部分的に読めるが大半は字が潰れて判読困難 https://t.co/OLhhhDDASj

1 0 0 0 OA 官報

メモ)官報 明治20年10月24日 廣島縣の柿 「澁柿ニ西條、紅、美濃、等ノ數種アリ」 https://t.co/c596PyS5cO

1 0 0 0 OA 嚴島圖會 10巻

メモ)厳島図会 六月十六日廣島本川口の圖 今夜は大明神地の御前より御還幸の供奉のためとて町々よりたてまつる所の舩京橋川本安川猿猴川平田屋川など便に随ひて餝るといへども殊にこの本川につどへるもの多くして潮に競ひ月にうかれて水門をこ… https://t.co/25VLp3RXm5
中国新聞の土砂災害に周期という記事。大蛇伝説の天文元年に土石流があったと結論付けた論文と同じ先生じゃね。その時は可部東の試料をもって八木緑井に16世紀に土石流とちょっと強引な印象の論文だった。今回も論文がネットに出るのを待とう。(… https://t.co/zGS1q6Yyke
メモ)俤 蝉の声しくれて細し瀧の糸よれは暑さもなちの俤 https://t.co/afDyZpiemd 柹(柿)か梯かで調べているのだけど、弟の略し方をみると紛らわしいね。むしろ柹の方が画数が多く見える。そういや第の略字みたいなのはPCで出せんのじゃね。
メモ)苔の石ふみ狂歌の部 内損か腎虚と我は    ねかふなり そは百年も   生延しうへ      十返舎一九 https://t.co/VbaFH08Eo3 向島長命寺とあるけれども、この歌碑は関東大震災で失われてしまったようだ。

1 0 0 0 OA 狂歌問答

メモ)柹 仏とはなんだらぼうし柹のたね 下駄も仏も同じ木のはし 蜷川 https://t.co/2orhilehwb
メモ)もぢり狂歌さあござれ 大きなも よいは よけれど ふといより かたいが よいと にぎる 白 瓜 https://t.co/04RgRTSrYF

1 0 0 0 OA 近世畸人伝

メモ)近世畸人伝. 続 芥川貞佐 https://t.co/tYjBoCL23T 畸人伝だから仕方ないが、知りたいことはあまり書いてなかった。

1 0 0 0 OA 古今夷曲集

メモ)古今夷曲集、筆柿   梢の柿人のとり喰ふを見て   元安 ほのぼのとあかみのついた筆柿をもつ人丸でかぶりこそすれ https://t.co/jDfbsXVqQ6

1 0 0 0 OA 広文庫

メモ)広文庫. 第4冊 「石見國田村庄、小野と云ふ所に、人丸の社あり、社家の園に柹あり、氏姓柹本の根ざしといへり、筆柹なり、」 https://t.co/XZeoIUdz86
メモ)山紫水明 : 現代の美文 「さらに桟廊の海中に斗出すること七間、そのつくるところ燈籠を置かる、火焼前(ほたきさき)といへるはこれぞ」 https://t.co/C8QyDRlNrG
メモ)狂歌江都名所図会 本町 横文字は呑みこみにくし能書にうまみを見せてウルユスの見世 内損の人のためまた我家の補ひにもとウルユスの見世 ウルユスの外かんはんは似せでない証拠にたてし本町の角 https://t.co/pz0a4eTxav
メモ)1884年「嚴島宮路之枝折」 ○火焼前(ひたきさき) 俗に舌先といふ https://t.co/5fqnkZhSpU
メモ)明治29年「厳島名所案内記」 ○廊嘴(したさき)  俗に舌先又火焼前といふ https://t.co/sFuOMlFgnx
メモ)一休狂歌 よき人の中にまじはれ鐘だにもいがたのごとくならぬものかは とへばいふとはねばいはぬだるまどのこゝろのうちに何かあるべき ほとゝぎす四月八日のひとこゑはほぞんかけたりうぶゆかけたり きえやらで今にいきとしいけ… https://t.co/Nj1AiKEhar
明治33年「広島繁昌記」には、 「三篠の流れ城西に来りて二派となりその東なるもの即ち元安川にして」 とあり、本川と元安川が分かれるまでが三篠川であったと読める記述がある。 https://t.co/TFzm0KJXXn
別の著者の明治26年「広島県管内地理」には、長田川とだけある。 https://t.co/P86oxrgcY9
しかし同じ著者の明治23年「新撰広島県管内地理」では、単に三田川とあって、長田川も深川川も登場しない。これはいかなる事情だったのか。全く無縁の三篠川を持ってきた理由として、地元の綱引きがあってまとまらなかったというのは十分考えられ… https://t.co/yCgZGS7oNf
同じ「広島県管内地理」は今の三篠川について、 「長田川ハ、大土山ヨリ発シ、長田村ニ至リテ、始メテ舟檝ヲ通ス、下流ハ、志路川、及關川ヲ合シテ、高宮郡ニ入ル、即深川川ナリ」 長田川が深川川と名を変えるとあり、江戸時代一般的だった三田川… https://t.co/Ny1uiLJirD
メモ)明治15年「広島県管内地理」 「太田川ノ本流、城西ヲ過キテ、二派トナル、東ヲ元安川ト云ヒ、西を本川(一ニ猫屋川)ト云フ」 この民間の本は本川の別名は猫屋川として、また太田川となっている。 https://t.co/HfalXZJ7vL

1 0 0 0 OA 広島県治提要

メモ)明治11年「広島県治提要」広島県編 「大田川」「三笹川」とあるが、大田川のあといわゆる七つの川が列記されていてその中に三笹川があり、今の本川と思われる。やはり明治29年の河川台帳作成時に本川vs三篠川で敗れた三篠川が支流の名… https://t.co/X3Ysqf7FCu
メモ)狂歌ねさめの伽   宮島の水月庵といへるに石の地蔵尊半より金   になりたりと聞き当時藩札下落の折柄とて 札さへも金にならさる此国に石の地蔵のかねになるとは   廣島通り町の長きとて 東より西へと続く通り町あきの来る… https://t.co/fyKczJETzf
メモ)絵本御伽品鏡 御堂前鯛屋(みとうのまへたいや) 我宿(わがやと)は 御堂の まへの 菓子(くわし)所 油煙斎(ゆゑんさい) とも 人は いふなり https://t.co/5bMW7P7w2w

2 0 0 0 OA 広島県史

メモ)恵美須神社 「像は方面無鬢、烏帽子狩衣を着け、叉手して立てる人物なり、之に依れば、当社の神、実は大江広元なるに似たり。」 https://t.co/sEnrj7Usv0
メモ)享保十四年交趾国より大阪に象が来た時の貞柳の歌 又や見んかたのを通る大象のはなに水散夏の明ほの おしあふは象無頼なる見物となれもしるにや鼻であしらふ 優曇華とおもふ斗に大象のはな待得たることしうれしや 大象もまんちう… https://t.co/TlegnrQPgW
メモ)広島繁盛記 恵美須神社 胡町にあり事代主神を祭る、当社の起りを尋ぬるに毛利元就吉田の庄にありし時同地に其の祖大江広元を祭りし像あり、広島に移城するに及びて何故にか取残されけるを里人見て蛭子神とのみ信じけるが(中略)左れば祭… https://t.co/K6uPEH1guL
メモ)貞柳翁狂歌全集類題    籠中鶯 籠鳥の雲をこひぬるためしとて月日ほしとそ鶯のなく https://t.co/JkHjqXcMJ9 これ別の鳥なんじゃ?

1 0 0 0 OA 嚴島圖會 10巻

メモ)厳島図会 巻四 大頭大明神社 毎年の九月廿八日に四鳥の別といふことあり当社の祠官鳥居の傍に食を供し神楽を奏ずれば神鴉一双とび来り神供をあぐるなりそもそもこの神鴉といふは弥山の条に記すごとく往古より一双年々相續せり https://t.co/NCdQ3gQdBL

1 0 0 0 OA 嚴島圖會 10巻

養父崎 林木生茂り厳石峙立(ぐわんせきそばたち)て浪あらし七浦の外なり 養父崎神社 祭神霊烏(ごがらす) 島巡りの時此處にて鳥喰(とぐひ)の式あり https://t.co/NypCUrPQRW

1 0 0 0 OA 嚴島圖會 10巻

メモ)厳島図会巻三 養父崎神社 「祠官ふなばたにたち出粢を海上にうかへ鳥向楽を奏すればたちまちに霊烏一雙嶺よりとひ来り祠官の舩に移り波にうかへる粢を雄烏まづおりてあぐ次に雌烏また下りてあぐ其時前後の舩舷叩き歓の声を発してどよめくこ… https://t.co/X5LcfUtTK2
しかし、夷曲集も全く同じではないな。   臨終に棊打なりければ 棊なりせば劫(こふ)を立てても生くべきに死ぬる道には手もなかりけり 算砂 https://t.co/dDldk4UTU4
メモ)狂歌詠方初心式の本因坊算砂の辞世 夷曲集  碁なりせばかうをも立て生べきに死る道には手もなかりけり 碁の本に出てくる辞世と少し違っている。「碁なりせば劫など打ちて生くべきに死ぬるばかりは手もなかりけり」これは何が出典なん… https://t.co/ScJrdSjgJR

1 0 0 0 OA 陰徳太平記

メモ)可部川 「北ニ新山阿生ノ大山有テ、鍾山龍盤石頭虎踞ノ形象アリ、可部川北ヨリ來テ西東を周廻シ、不測ノ淵ニ望ミタレバ」 https://t.co/Gk6ruFPrIu 可部川は通常、根谷川の古名ということになっているが、ここは広… https://t.co/PvOHkwhY8Y

2 0 0 0 OA 広島県史

メモ)「広島県史 第2編」大野村大頭神社の鳥喰祭の記述。「芸藩通志に此社二月の初に鳥喰祭といふを行ふ、之より厳島々廻を始む、九月廿八日厳島祠官来会し舞楽を奏し社傍の石に鳥喰飯を供す、厳島弥山の神鳥来りて之を啄み、親子別れ去る、之を… https://t.co/AGmRl199Kk

7 0 0 0 OA 元凱十著

メモ)「眼を轉じて北に北にと瞻仰し、武田山に城趾あり。八木山。虻山。熊谷城。逶蛇十里連綿たり」(自慢白島年中行事) 逶蛇(いい?)は蛇のように曲がりくねったさまで古事記では豊玉姫が和邇になって子を産む時にも使われていて「もこよう」… https://t.co/svTCEsXa7S

1 0 0 0 OA 現代日用宝鑑

メモ)「味噌うどん(炸醬麵ジャージャンメン) 卵子うどんを柔かになるまで茹で水でざっと晒したものを」現代日用宝鑑(1915) S那そばの用例は1920年代からが多く、その前はうどんであった可能性あるんかな。 https://t.co/iStjVOCKwE

7 0 0 0 OA 元凱十著

メモ)「亦これ寸にも足らぬ小さき魚の、姿の沙魚(はぜ)に似たるもの、黒山なして泝る、方言之を祇園坊といふ、祇園祭りの気節の故なるか、」(自慢白島年中行事) これは白島あたりの川を上ってくる魚の祇園坊、何かよくわからない。祇園坊とい… https://t.co/x0NGj3KSn8

7 0 0 0 OA 元凱十著

メモ) 「右白雪花とは豆腐の殻を煮たるなるべし、味ひの善きものなれば廣島人は之を嗜好する者甚だ多し、或は宮島名物の雪花漬かとも想はる。」(廣島蒙求) https://t.co/O2f3Qy0YBp
「おこりはな」は彼岸花の別名だと思うけど、次項の説明に「花三月比に咲」と読める。そう思うと花の絵もどうなんじゃろ。 https://t.co/wbM6jydvF2

7 0 0 0 OA 元凱十著

メモ続き)明治二年六月、版籍奉還時の岡田柳處の諧謔歌、 是からはすきな豆茶もくはれない こうもひどうにわれた焙烙(俸禄) https://t.co/FVTKVNr7JL

7 0 0 0 OA 元凱十著

メモ)廣島地方に一の捕食あり、先づ米と大豆とを炒り、而して水と鹽とを混入して炊ぐもの、方言之を「豆茶」と呼ぶ(中略)又其炊ぐとき用ゐる所の器には一種の土鍋を以てせり、方言之を「焙烙(ほうろく)」と呼べり。 https://t.co/FVTKVNr7JL

1 0 0 0 OA 迢空歌選

国会図書館にもあった。全集では「朝鮮人足」という題がここでは「外國人足」となっている。  ふる國も  こゝも 住みよし。 妻も 子も、  人のそしりに 安けき 見れば https://t.co/nwdTSutCzz
土石流の地層は放射性炭素年代測定法により1450~1520年頃という山口大の調査は去年中国新聞の記事になったのを数日前ブログで紹介したのだけど、今日国会図書館みてたらあっさり見つかった。書いたあとで見つけるとは間抜けなことだ。(リ… https://t.co/3m001njzoU

1 0 0 0 OA 一葉全集

一葉「十三夜」より)お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も帰ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人(それ)は東へ、此人(これ)は南へ、大路の柳月のかげに靡いて https://t.co/rwMQ7NXdXt

1 0 0 0 OA 一葉全集

一葉「十三夜」より)今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子(いしいし)をこしらへてお月様にお供へ申せし(中略)十五夜にあげなんだから片月見になつても悪し(中略)今夜来て呉れるとは夢のやうな、ほんに心が届いたのであらう https://t.co/K349sVIWCc

7 0 0 0 OA 元凱十著

白みその団子汁はこのあたり独特のものらしい。「自慢白島年中行事」(小鷹狩元凱 著)には、「八月十五夜の観月と団子汁」とあり、江戸末期の広島ですでに十五夜には団子汁が定番だったようだ。 https://t.co/ixYa6bNps8

2 0 0 0 OA 十大詔勅謹解

教育勅語は明治憲法で神聖な存在であった天皇が「爾臣民」に望まれる徳目を記したもので、その柱は忠と孝「朕カ忠良ノ臣民」という言葉もある。戦前の軍国主義思想のよりどころの一つだ。大人が個人でこれを信奉するのは仕方ないが教材は論外と思う。 https://t.co/4AFe0TOqFP

2 0 0 0 OA 短歌歳時記

メモ)地蔵会について調べていたら吉井勇の歌が目にとまった。京都時代毎日のように前を通り過ぎていた今出川通りから山中越えに入るところの地蔵さんだろうか。 白川の町のはづれの地蔵盆 比叡(ひえ)の山かぜ吹けばさびしき https://t.co/BLa63pZSOC

1 0 0 0 OA 落噺生鯖船

落噺生鯖船の続き「あとさきなし」とめどなくしゃべる与太郎の話「物がひつくりかへるといふも蘭学のおこなはれるゆゑかもしれねへ、おらあ今まで天がまはるまはるとおもつてゐたら地のまはるのださうだ」文政年間には地動説が広く知られていたようだ https://t.co/j9VURpJUxy

1 0 0 0 OA 落噺生鯖船

津波の記述に「いさば」という船が出てきて調べたら、玉虹楼一泉「落噺生鯖船」(おとしばなしいさばぶね)柳亭種彦の序に「鯖の生ぐさりといひて、鯖ほど腐やすきものはなし、それを生して他国へおくるというこゝろにて、早船を生鯖船といふ」とある https://t.co/fw2Hno1N1O

2 0 0 0 OA 風雲漫録

徳富猪一郎「風雲漫録」(明治28年) 「廣島人は大坂人の気の抜たるが如し。大阪人を肉汁にして、その出壳(だしがら)を廣島人と見ば、大差なからん歟。」 https://t.co/k5jHSWnFET https://t.co/k5jHSWnFET

2 0 0 0 OA 車声帆影

田能村秋皐「車声帆影」(明治39年) 「広島人士は、没趣味なり、とは、他地方人士の動(やや)もすれば語る所。広島人士自身の口よりさえも、之を聞く少からず」 原爆で文化が断絶したからと思っていたが、明治からこういう傾向はあったようだ。 https://t.co/4SmzHu8ZAQ

2 0 0 0 OA 熱海温泉考

「熱海温泉考」(明治7年)の脚気(かっけ)の解説には「不潔ノ空気ヲ呼吸」したのが原因で、「東京横浜ノ如キ人煙稠密ノ地」に多く流行と書いてある。これが明治初期の認識だろうけど、その頃から東京は「不潔の空気」だったという事か・・・ https://t.co/QDPt6E8Kua
今ざっと見た感じでは、初卯に住吉様、という例文が多いようだ。 国民新用文(明治41年)「初詣に誘ふ状」 「今日は初卯で風も吹かず先(ま)ア好い天気ですどうです是れから住吉様に参らうじやありませんかそれとも御止めか此者へ御返事下さい」 https://t.co/4rwEdvBZv6
安佐郡報郡勢一班. 第17号(明治44年分)に緑井の毘沙門天堂について「初寅の日は信者の登山徹夜するもの頗る多く為めに軌道は終夜特別列車を仕立交通せしむ其盛なるを知るへし」とある。そのあとに「深川村院内薬師」の記述もある。 https://t.co/ucSScIH1Wd

2 0 0 0 OA 熱海温泉考

今読んでる「熱海温泉考」、序文に「余ガ杜撰ノ罪ヲ咎ムルヿ勿クンバ幸甚」とあり、「ヿ」がわからん。文脈だと事かなと「こと」で変換したら出て来て一件落着。しかし漢典では「抱歉,汉典暂未收录“ヿ”。」と出たから日本独自の略字だろうか。 https://t.co/nyW3HUZhnt
万葉集に「みふゆつぎ」という用例があるが、春を導く言葉で「み」は接頭語と考えられている。 追和太宰之時梅花新歌六首 民布由都藝芳流波吉多礼登烏梅能芳 奈君尓之安良祢婆遠流人毛奈之 (五首略) 右天平十二年十一月九日大伴宿祢家持作 https://t.co/b0kyvSKlLP
三冬(みふゆ)の用例としては夫木和歌抄(1310成立)に一首ある。新撰六帖からの引用で師走という題、「三冬の後の冬」で師走を指している。 六帖 題しはす 信実朝臣 かそふるも三冬の後の冬なればいとゝさむさのきはめ行哉 https://t.co/m6598zNujF

2 0 0 0 OA 暦日往来

暦日往来の序文、かなり読めてきた。末の松山の前は「三冬尽」という季語から、「三冬(みふゆ)つく」として、その前の「ゆ」は前の続きで「や」としてみた。「あら玉の春立そめしや三冬つく末の松山こゆる敷浪のいやしくしくにかはることなく」 https://t.co/KWvGQcy3Is

2 0 0 0 OA 暦日往来

暦日往来の仮名の序文が難解で苦戦。末の松山に続く漢字は一文字は浪だろう、その前は敷だろうか、そしたら「しきなみ」は「しくしくに」を導く序詞、「敷浪のいやしくしくに」いやしくの後のお化けみたいな字は繰り返しの「〱」+「に」だった・・・ https://t.co/KWvGQcy3Is

1 0 0 0 OA 広島県地誌

明治32年「広島県小誌」には阿生山に「あぶやま」とルビがある。三田川は今の三篠川を指すと思われる。太田川本流の別名だった三篠川がいつ支流の名前になったかもはっきりせんのよね。 https://t.co/XVofFQpObN

2 0 0 0 OA 暦日往来

「暦日往来」で「百花に?(おく)れ菊の花咲て」の「おくれ」の漢字が読めなかったが、殿に「しんがり」の意味があることから、異体字の

2 0 0 0 OA 暦日往来

「暦日往来」ぼちぼち読んで来たけれど、この頁のラストの野菜の名前が全く読めない。二文字とも草かんむり、崩し字のサイトのその頁ざっと見たら蕪と葑、共にかぶらと読める字が似てる。しかしこんな熟語はなく、上級者の手直しを待つしかないかな。 https://t.co/woPFu0l3qP

1 0 0 0 OA 広島県小誌

広島県小誌(大正元年) 「●栗本軒貞国(墓廣島市天神町教念寺)苫屋彌三兵衛と稱し、狂歌を善くす、天保四年二月二十三日歿す、年八十七」 先の廣島縣内諸家名家墓所一覽を写しただけの内容だが、通称名が読めてなかったから助かった。 https://t.co/rBLs2tg3M0

5 0 0 0 OA 日本一周

田山花袋編「日本一周.中編」に日露戦争時の広島の街について書いた部分がある。ウィキによると花袋は従軍記者として広島から戦地に赴いたようだ。昨日ツイートした貞国の墓所の天神町は「大阪の千日前、京都の新京極と言ったやうなところ」とある。 https://t.co/PIW20FCdC0

2 0 0 0 OA 暦日往来

「暦日往来」の一節、太陽暦に改暦になって「月の半(なかば)に晦(やみ)もあり、三十日も月の影苦(かげさえ)て」とあり、「苦」という字を「月がさえる」という意味で使っている。これは白楽天の詩「月苦風凄砧杵悲」という用例が知られている。 https://t.co/cafkrclwFl

7 0 0 0 OA 元凱十著

「廣島雑多集」旧暦時代の節分 「麻上下着せる年男は(中略)右手には炒豆を撮みて、家の間毎々々より倉庫物置等まで残る所なく、恵方に向かいては福は内と三唱し、鬼門に向かいては鬼は外と三叫して之を撒き散せば、家の男女は大騒ぎして争い摭う」 https://t.co/axb0k0GvY7

2 0 0 0 OA 徒然の友

人が来た時寝ていて、「貞国と名は廣島にはたばりて七つ半(ながら)でねてをられけり」と詠みかけられた返し「はづかしやいなかもめんのをりわるふ目をばそなたにあけて貰ふた」半月でこの話しか見つからなかったから、今日はちょっと進展ありよね。 https://t.co/sOerqqNgZT

2 0 0 0 OA 広島県史

広島県史 第2編(大正10年)によると教念寺は天神町とある。天神町の町域は今はすべて中島町ということなので、お寺は原爆のあと少し南に移動したのだろうか。 https://t.co/2tMCJcVx4U
こないだ教えてもらった掛け軸の狂歌の作者、栗本軒貞国はネット検索だと生没年未詳となっているが、廣島縣内諸家名家墓所一覽には天保四(1833)年没87歳、墓は広島市天?町の教念寺とある。羽衣町に同盟の寺があるけど昔の町名調べてみよう。 https://t.co/r4dCZa8u8U
広島の阿武山は普通「あぶさん」と読み、高槻のは「あぶやま」と読むようだ。しかし、こちらの阿武山も「あぶやま」とルビが振ってある書物もあっていつ頃定着したかは難しい。リンクは大正2年の観光案内みたいな本に「あぶさん」とルビがある。 https://t.co/ZpmQZmpz7g
昨日の「しりのくる」を探して十返舎一九「尾攑御要慎」を読んでみたけどそういう用例はなかった。お尻ばっかり出てくる気持ちわりい話だったのに・・・。この書名、表紙に「しりだすきごようじん」とルビがあるが、尻まくりと読んだ引用もある。 https://t.co/RSC8Bly3n7

7 0 0 0 OA 元凱十著

文化からよく見える呉婆々宇(ごさそう)山について、元凱十著のうちの「廣島蒙求」に記述があった。「山の名、一に互差層といひ、一に五八霜と云ふ」とあり少し後の芸藩通志の引用にも「ごはつさう」の別名があったことがわかる。 https://t.co/JeYKk3QNBU
他のを読んでみようと「歴世女装考」みてたら、「女としてべにおしろいをつけざるは忌(いま)わしき事ぞかし」とすぐに出てきた。これも江戸時代の常識かもしれないが、京山はこういう言い回しが得意・・・いや三つだけ読んでゆうたらいけんか。 https://t.co/7pdQsBSHLc
今日読んだ諸国温泉遊覧記の挿絵の歌には、 手も足も達者に出湯(でゆ)の戻りには 土産もらふて杖は置(おき)ざり とある。湯治で手足も元気になったという意味なのだろうが、絵を見ると土産って女を担いでるよね・・・ https://t.co/39KQLkr5ix

7 0 0 0 OA 元凱十著

ぶらたもりで仁保島やってるが、江戸時代は「仁保の島」と「の」が入っていた。明治になって「にほしま」と、のが取れたようだ。今は仁保島という人はほとんどおらんよね。 https://t.co/BQk6UmqgAP

3 0 0 0 OA 閑耳目

この用例とは関係ないが、天麩羅の男女性という一文があった。 「テンプラには性(ゼンダア)がある。甲家(こちら)の招牌(かんばん)には、天夫羅とあり、乙家(あちら)には天婦羅」 https://t.co/NeG16IuToe

3 0 0 0 OA 我楽苦他随録

用例その2 天麩羅官吏 「天麩羅は中味と皮とは異なるが当然也、是よりして銅の外皮を渡金して以て全部純金の如く装う渡金あり、外方は真に金にして光輝あれども内部は然らず、所謂天麩羅金は之れ也」 https://t.co/uJ8OcTVk2f

1 0 0 0 OA 拳骨百話

用例その1 テンプラ哲学 「宿屋の女中を座右に置いて高慢話がテンプラダ」 https://t.co/x1Iy3p9vnT
メモ)和名抄諸国郡郷考 : 15巻. 巻之十一 山陽道上、巻之十二 山陽道下 安芸郡 佐伯郡 https://t.co/U316k68Wvs

2 0 0 0 OA 世界奇聞

メモ)世界奇聞(明治40年「英学界」編輯局 編) FOURTH MONTH DUNCE https://t.co/NQIo1dlfiP
メモ) 「廣島にては此亥の子の日を以て必ず火燵を開きけり、縦令ひ節が遅れ暖気にて、用はなきにもせよ、之を他日に送りなば、火事(ひごと)ありとの迷信より起りたりしものゝ如し、故に「コタツノアケゾメ」と申す言葉もありたる様に覚えけり」 https://t.co/5eVQuYuaZr

3 0 0 0 OA 葬送習俗語彙

折口じゃなく柳田だった。しかし、起源が輝元の広島築城以前という根拠はよくわからない。 「伊予の今治では、「廣島へ煙草を買いに行った」とか、又は大阪へ何とかしに行ったとかいふのが、死亡を意味する隠語であった」 https://t.co/hPlv4MXn5l

7 0 0 0 OA 元凱十著

同じ本に、「廣島地方に於て寝(ね)に就くを「可部に往く」という方言あり(中略)吉田に至る道に根の谷という地あるをもて、此方言を生ぜしならんと思えリ」。可部に行くは聞いたことがないが、根の谷が語源かもしれないというのが面白いね。 https://t.co/WLbkpFZP4l

7 0 0 0 OA 元凱十著

「廣島雑多集」に、仁保島、地御前という地名は明治初年までは「仁保の島」「地の御前」と「の」が入っていて、それが廃藩後は他県の人の往来が増えて文字通り「の」を省略するようになったと嘆いている。著者は旧広島藩士の小鷹狩元凱。 https://t.co/BQk6UmqgAP
メモ)「裸一貫生活法 : 生活戦話」(大正15年) ワンタン屋支那そば屋 東京では露店の立つ場所に、支那そば、ワンタン屋の台の出てゐない所は殆んどない。 https://t.co/vhZiVYsXrz
メモ)大正年間の「支那麺」のふりがなとして「しなそば」の他に「チャーメン」としたものがあった。ただしこれは麺だけをさす言葉のようだ。 https://t.co/8SsznthFoq

39 0 0 0 OA 食行脚

ラーメンの語源には諸説あるようだが、「食行脚. 東京の巻」(大正14年)の中に「柳麺(たけのこいりそば)」に「らあめん」とルビが振ってあった。札幌で中国人の料理人がラーと返事をしたからラーメンという説にひかれるのだけど、分が悪いかな https://t.co/jQ93Cuvl7s
メモ)広島県下郡廃置法律案(政府提出)委員会会議録(明治31年) 「広島県安芸国沼田郡及高宮郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ沼高郡ヲ置クトアリ此ノ沼高郡ヲ改メテ安佐郡ト称センコトヲ望ム」 https://t.co/PLOzAnT1II

1 0 0 0 OA 広島県小誌

メモ) 名物(飲食物)  「広島県小誌」 大正元年、中国六県聯合畜産馬匹共進会広島県協賛会 編 安佐郡 可部の鮎、鮎行、うるか、祇園坊柿、西條柿、新庄の松茸。 比婆郡 高野山の山葵、蕎麦、東城の饅頭、庄原の牛乳、酪乾。 https://t.co/1dhiwRVUz7

1 0 0 0 OA 広島県小誌

前に読んだ文献に安佐郡の仏教中学というのが出てきて、どこにあったんじゃろと疑問に思っていたが、安佐郡三篠町楠木にあって本願寺の学校・・・ということは何人かのフォロワーさんも通ってる学校じゃね。今の楠木町が安佐郡というのが盲点だった。 https://t.co/MK5ka9EbQs

1 0 0 0 OA 国歌評釈

今宵は十三夜の名月。月はすでに結構高いところにあるね。加茂真淵の歌を一首。 九月十三夜縣居にて にほどりのかつしかわせの新しぼりくみつゝをれば月傾きぬ https://t.co/CEYx3dBe3B

1 0 0 0 OA [絵本]

かちかち山仇討 むかしむかしあるかたいなかにぢゞとばゞがすみけるがあるひぢいがたぬきをとりてきたり たぬきじるをしてたべんとかとのきにつるしおきてぢいはようたしにいでゆきたるあとにて おばゞはむぎを https://t.co/tn8OMoYc5M

1 0 0 0 OA [絵本]

いまはむかしゑんほう天なのころ本がう二丁目にやをや久へゑといへるものありそのむすめおしちと申けるはみめかたちうるはしくきんべんにてひゃうばんのむすめなりそのころ江戸たい火にてきうべゑのたくもやけけるゆゑふしんちうだんなでらなる https://t.co/AcPBFzWHhu

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RT @makomelo: 「福島県の一般市民が着用したマスクから採取した 不溶性セシウム粒子」 これが今年のご発表でした。 あと、除染時の作業員のマスクに付着していた不溶性セシウム粒子についての調査発表。 https://t.co/7g1vyNyI4X
立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1075「日韓GSOMIAをめぐる動向」(PDF:611KB)を掲載しました https://t.co/gxjFJf7wfH
RT @Itoh_Kiminori: 東京海洋大・島田氏によると、北極海海氷減少は複数の要因が絡まって起きる。 ・北極海からの海氷放出量の増大:「海氷が出て行く」 ・大気による加熱:「海氷が融ける」 ・海洋温暖化:「海氷が融ける」,「海氷ができにくくなる」 https://t.…
立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1074「既存住宅流通の現状と課題」(PDF:425KB)を掲載しました。 https://t.co/jPPUmZk76c

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