亀井麻美 (@kameiasami)

投稿一覧(最新100件)

上村正之「動乱期におけるコサック・イメージ ――M.ザゴスキン『ユーリー・ミロスラフスキー,あるいは1612年のロシア人』を例に――」北海道大学文学研究科、研究論集 2016; 16: 33-52. https://t.co/ak3DzOVK88

1 0 0 0 OA 新文学の想念

文学について考察しています。 https://t.co/E7VQa5T39e

1 0 0 0 OA 一九全集

「鬼外福助噺」より「ふぐ汁」 https://t.co/a1maSC3JhQ 「鬼外福助噺」は「落咄臍くり金」の嗣足改題本です。 板本を比較すれば判るとおり、「福助噺」は途中から「臍くり金」の板木を流用していますね。

1 0 0 0 OA 福助噺

【上方落語《ふぐ鍋》(河豚鍋)の原典】 十返舎一九「落咄臍くり金」(享和2年/1802年)より「ふぐ汁」 https://t.co/EA350WUBH5 同「鬼外福助噺」(文化2年/1805年)より「ふぐ汁」 https://t.co/f2sZnVOQuq 〖活字版〗 続帝国文庫第21編『一九全集』(博文館、明治33年6月)所収、

2 0 0 0 OA 朝日年鑑

は能の伝統を損ふやり方であると非難され「キセルの伝」とまで評され(中略)「キセルの伝」は或は今後の悪例となりはせぬかと識者の間に遺憾とされた〉 朝日新聞社編『朝日年鑑 昭和13年』(昭和12年10月) https://t.co/Lxie7xH0nV

2 0 0 0 OA 東西沐浴史話

@naonao200170 又引きですが、藤浪剛一『東西沐浴史話』(人文書院、昭和6年5月)に https://t.co/X0M3cuz3wZ 〈【近世風俗志】にも「右女左男とすれども、或は右男左女湯もあり、又は間口広からず奥行の長き物は、表に男湯のみにて女湯無之、之も多く稀れに女湯のみにて男湯なきも有之也」とある〉 とありますね。
昭和前期(戦前)の型板硝子: https://t.co/G9vKeB37sX 建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧. 昭和16年版』(建築土木資料集覧刊行会、昭和16年8月) サヾナミ、ダイヤ、石目、斜子、露玉、銀格子、梨地、モロツコ、……
なつたさうだ」 イタズラ先生「何でも蚊でも不得要領の徳田秋聲」(『名士文士貴婦人すっぱぬき』サムライ書房、大正6年4月) https://t.co/JjpX8iRpbU 著者名や出版社から推して、どこまで本当の話かは疑問ですが、いかにも秋聲っぽい話ではありますね。
島崎藤村「長谷川二葉亭氏を悼む」(『浅草だより 感想集』春陽堂、大正13年9月)より。 https://t.co/yFWRWB8Of0 二葉亭の原文は、 「鳩が幾羽ともなく群をなして勢込んで穀倉の方から飛んで来たが、フト柱を建てたやうに舞い昇ツて、さてパツと一斉に野面に散ツた――ア、秋だ! 誰だか禿山の向ふを

8 0 0 0 OA 蘆花の芸術

【徳田秋聲と徳田秋江】 「『自然と人生』について、徳田秋聲が大正三年六月の『中央公論』の『徳富蘆花論』の寄稿家の一人として、かう書いてゐる。『丁度十年間私は此の書を座右に離さない。決して誇張ではない。」 前田河広一郎『蘆花の芸術』(興風館、昭和18年11月)。 https://t.co/l0CmJBhGBM

16 0 0 0 OA 壒嚢鈔

日本古典全集『壒嚢鈔』(日本古典全集刊行会、昭和11年3月): https://t.co/s870ukex05 ちなみに「壒嚢鈔」でよく知られているのは天文元年成立の「塵添」の方ですかね(「塵添壒嚢鈔」)。
〖例2〗 川口高裕「続・黄泉無著の「参府記」の訳註研究」(禅研究所紀要 2013;41:75-102) https://t.co/N3KGtgFU3L の76頁所載、黄泉無著(こうせん・むじゃく)の江戸滞在年表、文政12年(1829)3月6日の項に、 「御影堂七兵衛へ献上物の束巻二通を注文した。代金は五十匁位であった」

7 0 0 0 OA 三輪叢書

御札献上記:(外題)「文化十一亥載九月御札献上記」に、 https://t.co/mgwjapwrXv 「江戸着候ハヽ本石町壹丁目河岸御影堂七兵衛方え及案内、手代之内壹人呼寄、例格之通献上物用意之儀可申付候事」 https://t.co/mV3GD1wP50 九月十四日 「一御影堂七兵衞方え案内ス」 とあり、また

7 0 0 0 OA 三輪叢書

御札献上記:(外題)「文化十一亥載九月御札献上記」に、 https://t.co/mgwjapwrXv 「江戸着候ハヽ本石町壹丁目河岸御影堂七兵衛方え及案内、手代之内壹人呼寄、例格之通献上物用意之儀可申付候事」 https://t.co/mV3GD1wP50 九月十四日 「一御影堂七兵衞方え案内ス」 とあり、また

3 0 0 0 OA 鼠璞十種

町今村武兵衛、名は今も正顕といひて、楊弓師なり。〉 橋本経亮「橘窓自語」五(国書刊行会編『鼠璞十種 第一』国書刊行会、大正5年4月、124頁)。 https://t.co/059nF5GHdg 以上から、「女髪の怪異の事」の「度紋しける男」とは、土弓場で中り矢を数える男、と解釈しておきます。

6 0 0 0 OA 雑芸叢書

刊行会、大正4年2月)26頁。 https://t.co/iZ15UD0k23 〖用例②〗 〈医術のみならず、霊元院の院中にて楊弓のあそびせさせ給ふとき、楊弓師正顕といふものをめし入て、度紋をさせられしに、庶民にてはめしいれられがたしとて、法橋に叙せられ、度紋をつかふまつりたり、その子孫いまも室町今出川下る
誰はいくつといふ也、五十一朱書、百一泥書、百五十一金貝と、度紋取よりいふことなり」。度紋取は中り矢を数へる者。〉 大籔虎亮『日本永代蔵新講』(白帝社、昭和12年3月)556頁。 https://t.co/gUfDy7moLK 〖用例①〗 上記「度紋取」云々の出典は、「楊弓射礼蓬矢抄」(『雑芸叢書 第一』国書

11 0 0 0 OA 簠簋抄 5巻

件(「簠簋抄」巻2): https://t.co/YIxCLV6xgh 「物語ニ云龍宮ヨリ件ト云者来テ仏ノ弟子ニシ給ヱト申、其ノ時仏ノ曰ク、八万ノ大衆ヲ集テ説法セント思処ニ、何ソ汝ガ如クナル面ハ人胴ハ牛ニシテ人ニ非ス畜ニ非ノ者ヲ最初ノ弟子ニセン耶」云々。 #件 #くだん #クダン

2 0 0 0 OA 簠簋抄 5巻

国会図書館デジタルコレクション: 「簠簋抄」 https://t.co/kY4FSyWlJw 「簠簋内伝」の注釈書。安倍晴明の説話を含む。寛永年間。他に  正保丁亥林鐘吉旦 の奥付の正保4年の刊本あり。 「件」の記述を探していますがまだ辿り着けず。文章は読みやすいですね。 #件 #くだん #クダン
【富田家】 「小石85 四八一二 富田家 小林政子  小、指ケ谷町、一三七」 日本商工通信社編『職業別電話名簿 第25版』(昭和10年)699頁上段。 https://t.co/zViwLND4zv

1 0 0 0 OA 毎日年鑑

「お淋しい先生の手足となつておつくししたいと思ひますわ……」〉 平田外喜二郎「女性明朗線」(『毎日年鑑 昭和10年』大阪毎日新聞社、昭和9年9月)。 https://t.co/JnrZX5t7mJ 昭和8年の新聞記事より。
@kayanoyasan 宇野隆夫「中世食器様式の意味するもの : 計量分析による使用法の復元([第2部] 中世食文化の諸相)」民博研究報告 1997;71:377-430. https://t.co/ZUvAgxfeGR
@kayanoyasan こちらも2論文も参考になります。関東以北では意外と土器(かわらけ)よりも漆器が多かったのですね。かなり地域差があったようです。 吉岡康暢「“カワラケ”小考」民博研究報告 1997;74:125-129. https://t.co/yuwz57HobR
@tonton1965 数字譜ならあります。1234567がドレミファソラシに相当し、0が休符です。数字の下の・は低音域ですね。 軍歌《我艦隊》(『新選学校唱歌集』国華堂、明治44年10月)。 https://t.co/hDYivCK1mL
前の自分への聯想を呼び起すから悲哀であるのか〉 木下杢太郎『船室の夜』(「木下杢太郎全集」第5巻 小説2。岩波書店、昭和23年7月)。 https://t.co/TssCAnV5ne 〖原歌〗 木村浩吉 口述『漕艇案内(附遊泳術)』(兵事雑誌社、明治32年7月)90-91頁。 https://t.co/rIHSMoTvat
前の自分への聯想を呼び起すから悲哀であるのか〉 木下杢太郎『船室の夜』(「木下杢太郎全集」第5巻 小説2。岩波書店、昭和23年7月)。 https://t.co/TssCAnV5ne 〖原歌〗 木村浩吉 口述『漕艇案内(附遊泳術)』(兵事雑誌社、明治32年7月)90-91頁。 https://t.co/rIHSMoTvat

1 0 0 0 OA 有朋堂文庫

有朋堂文庫『古今著聞集』(大正3年9月)より巻第八「好色」第十一。 https://t.co/mueONxZMOn

2 0 0 0 OA 楓軒偶記

【小便組】 小宮山昌秀「楓軒偶記」(写本)巻3より。 https://t.co/AN8qRib7PL https://t.co/1svEQ73Qhq

1 0 0 0 OA 会社員

なかなかのものであり、製版も小説の内容にふさはしく成功してゐた」 内田誠「縮図 蟹満寺、火叩き」(『会社員』有情社、昭和22年9月)。 https://t.co/ZKxm1TWHYC 内田誠は明治製菓宣伝部に勤務していた随筆家、俳人。
であり、出でては若やいでダンスをやる社会性?もあるし、またスターリンのやうなソヴエツトの全能的首脳者でも不良の子息には頭を悩ましてゐるさうだ」 佐々弘雄「父性」(『街頭政治読本――政治認識の基礎知識――』千倉書房、昭和8年4月)。 https://t.co/SSX7RHviHN 政治学者、ジャーナリスト佐々
【タイで読む鷗外と秋聲】 「予は〔引用註:泰国でデング熱に罹ったとき〕森鷗外の短篇小説集と徳田秋聲の長篇小説集とを読む合間々々には、泰国の考古学に関する英文著書を拾ひ読みしてゐた」 柳沢健『泰国と日本文化』不二書房、昭和18年4月。 https://t.co/wKhvgUIbF8

8 0 0 0 OA ラジオ年鑑

「郷土の言葉(徳田秋聲)金沢放送局」 日本放送協会 編『ラジオ年鑑 昭和18年』(日本放送出版協会、昭和18年1月)所収「各局の番組」183頁より。 https://t.co/58NspaVHPP #備忘録

2 0 0 0 OA 夏目漱石

いふ評語が屢〻下されるやうになつた〉 森田草平『続 夏目漱石』甲鳥書林、昭和18年11月。 https://t.co/m1OYmPptyZ ※私の次ぎ:『黴』は草平の『自叙伝』(「東京朝日新聞」明治43年4月27日~7月31日連載)に続いて8月1日から11月3日まで同紙に連載。 ※※先生:夏目漱石。
【上田秋聲(←上田秋成)】 背振翁物語 上田秋聲著 大正六(上田秋聲全集一) https://t.co/gJpWcYzLSd 『慶応義塾図書館和漢図書分類目録』第2巻(慶応義塾図書館、昭和14年9月)564頁下段。 これは植字工の誤植ではなく編集の担当者の誤記でしょうね。
【宇田淵と三輪田真佐子】 『通俗教育 婦女の巻 逸話文庫』(大倉書店、明治44年) https://t.co/wVjCjN8Omh 宇田栗園と三輪田真佐子との関係はなかなかややこしいです。 「私は始め名を梅野と称ひ、実父、宇田栗園から仕込まれて、少し漢籍を読んだ」

3 0 0 0 OA 日本医籍録

【渡瀬ドクトル】 亘理祐治郎〔異:祐次郎〕 『日本医籍録 昭和9年版 関東版』医事時論社、昭和9年5月。 https://t.co/QayjhWWTEG 森川町一〇七 全科 亘理医院 明治五年十二月二日生 宮城県出身明治卅年試験及第[登]九九六七号 明治卅六年四月現地開業 趣味読書 #徳田秋聲 #死に親しむ

1 0 0 0 OA 錦廼花園

竹の子笠をうち冠り。盆に豆腐の小半丁チヨコヽヽ走る天窓勝ち。彼の赤本に画いたる。豆腐小僧と見へにける。」 馬琴の読本浄瑠璃で、化物のお家騒動物。寛政12年板行。狸の子として豆腐小僧そっくりの川太郎(河童)が登場します。 https://t.co/lIw2V613cE

1 0 0 0 OA 訳註西鶴全集

藤村作『評釈 西鶴全集』至文堂、昭和22年2月 https://t.co/6ISmH4mjLF 省略、顚倒が多く難解とされる西鶴の文章に語句を補って意味が通りやすくするとどうなるかという試み。 「難解な原文も平明な文となり、又同時に平凡な文となる」 という当たり前のような結果ですが面白いです。リズム感が失われ
【牛鬼淵】 「牛鬼淵は大杉開祖の猟師嘉兵衛次が、此の淵に棲む『牛鬼』なる妖怪を退治したと云ふ愉快な伝説を持つて居る、幽気人に迫る陰惨な淵だ」 住友山岳会 編『近畿の山と谷 時間記録と費用概算』朋文堂、昭和7年6月。 https://t.co/Rufj2B0Jj1

4 0 0 0 OA 西鶴全集

西鶴「本朝二十不孝」冒頭(帝国文庫『西鶴全集』後篇。博文館、昭和5年) https://t.co/jK2IAJdfMy

29 0 0 0 OA 椿説弓張月 28巻

馬琴「椿説弓張月」の禍獣(わざはひ)という表記が頭に浮かびました。以前にも書きましたが、同書では「怪獣」とも書かれていますね。 https://t.co/ANiNYUIx0e https://t.co/G2Yk9sUO6c

29 0 0 0 OA 椿説弓張月 28巻

【禍獣(わざはひ)】 曲亭馬琴「椿説弓張月」続編巻6、17折~18折(文化5年)、葛飾北斎画。 https://t.co/mseXkyfLiD 映画《シンウルトラマン》(未見)の怪獣が禍威獣と表記されていると知って、 https://t.co/9ib3oOG97V
葛飾北斎画。 https://t.co/w55WNQ3ChE 子供のお腹からはらわたを引っ張り出してて怖すぎるんですけど…… (山猫が飢えて痩せ細って肋が浮き出してるところなどは、さすがに画が細かい)
月夜よし夜よしと人に告げやらば来てふに似たり待たずしもあらず (古今集巻14恋歌4、692 よみ人しらず) https://t.co/DaZjc2YeiU

4 0 0 0 OA 絵入恋愛秘語

【「月が綺麗ですね」の求愛表現例】 〈「月が綺麗ね」 と彼女が言つたとき、仰いで月を見る男は馬鹿だ。〉 竹久夢二「砂がき」(『絵入恋愛秘語』文興院、大正13年9月)。 https://t.co/nj5arpDZGn

1 0 0 0 OA 花外詩集

https://t.co/2ByzIkVwPv

2 0 0 0 OA 瞽使者

同〈後編〉明治37年11月。 https://t.co/vkUC1kPT5A 広告掲載本の原作は、ジュール・ヴェルヌ『皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ』(Michel Strogoff, 1876)。ちなみに主人公の名は「蘇朗笏(ストロゴツフ)」と表記されていますね。 秋聲近刊の『種ちがひ』については、徳田秋聲全集別巻書誌181頁の

3 0 0 0 OA 瞽使者

「徳田秋聲著  小説『種ちがひ』近刊 秋聲子が筆已に定評あり、此作や氏が千練万鍛の苦心を経しもの、其益々老熟の域に達せしや疑を容れず乞ふ見よ、種ちがひ一篇、奈何に才華喚発たるかを、」 思軒居士訳『瞽使者』〈前編〉国民書院、明治37年10月、広告頁。 https://t.co/SMmDgnkvJX https://t.co/6JPpkWsIdw

1 0 0 0 OA 祖国

「尚『祖国』の訳述に就いては台詞の修辞上に徳田秋聲君の助力を煩した点が少くない。茲に同君に向つて大に感謝の意を表する」 ウイクトリアン、サルヅー作、長田秋濤 翻案『祖国』(隆文館、明治39年8月) https://t.co/iQUMorZNsv サルドゥ(Victorien Sardou, 1831-1908)はフランスの劇作家。
【江戸時代の土佐の怪獣たち】 寺石正路『土佐郷土民俗譚』(日新館書店、昭和3年10月)より。 https://t.co/kQMX1jBmDw 「寛保二壬戌年六月長岡郡豊永郷下の土居村に怪獣出る頭は牛の如く大きさ八尺廻もあるらんと見ゆ首より上は毛赤く又角なし首より下は又毛黒し胴の廻り二丈も有らんくぐみ手は短く

5 0 0 0 OA 一つの石

青野が〈「黴」「足跡」〉と書いているのは秋聲の代表作を単行本化される毎に読んだことを示しているのかなと思います。 〈〔読売新聞社の〕文芸部の客員と云ふ形で徳田秋聲、正宗白鳥が時折ぶらりとやつて来て、小剣と連れ立つて出掛けた〉 同「新しい環境」より。 https://t.co/qimybCwFFL

5 0 0 0 OA 一つの石

に描かれた人生は、その時になつて、その翳の細かい所まで私に分るやうな気がした。押しつめた描写にも底光りのするやうな物があつた〉 青野季吉「「黴」と「微光」」(『一つの石』有光社、昭和18年7月)。 https://t.co/oH3AWT7vNH 新聞連載は『足迹』が先ですが、単行本は『黴』の方が先なので、

2 0 0 0 OA 芸術一家言

れた。 同じく山人の門弟でも、泉鏡花氏は未だに毎朝顔を洗つて、飯を食ふ前に先づ山人の写真を礼拝するさうである。さすが鏡花氏は、昔の名人気質のやうな俤があつて面白い」 谷崎潤一郎「十千万堂主人」(「夏日小品」より)『芸術一家言』金星堂、大正13年10月。 https://t.co/GzTQfKcp9f

1 0 0 0 OA 国民年鑑

米映画《紅薔薇行進曲》の日本公開は昭和13年9月なので、その頃の出来事と思われます。 『国民年鑑 昭和15年』(昭和14年10月)817頁上段、〈〔九月〕コロムビア、E・F・グリフィース「紅薔薇行進曲」〉。 https://t.co/gktsMNDTdX
井伏鱒二氏が着流し無帽で挨拶されて行かれた〉 室生犀星「日記抄」(『一日も此君なかるべからず』人文書院、昭和15年9月)より。 https://t.co/cLqO6Vb3Lg たぶん室生犀星研究では年月日が特定されていると思われますが、生憎手許に年譜がないので……。
日本文章学院編『通俗新文章問答』(新潮社、大正2年6月)より。 https://t.co/H9LZkrVcaF 秋聲の肖像は大正初年頃の家族写真から採られているので、数えで42歳くらいでしょうか。若いですね。 #田山花袋 #国木田独歩 #島崎藤村 #徳田秋聲 #正宗白鳥 https://t.co/YUj2fd0Klw
藤村作編『日本文学大辞典』第2巻(新潮社、昭和8年4月)。 https://t.co/iP25IMgwYN 『出産』(269コマ)『新世帯』(343コマ)『爛』(522コマ) 以上、執筆者の「(加藤)」は加藤武雄。
藤村作編『日本文学大辞典』第3巻(新潮社、昭和9年6月)。 https://t.co/VZgDLH8tIZ 「徳田秋聲」(33コマ)『藪かうじ』(553コマ) 同、第1巻(昭和7年6月)。 https://t.co/uDz3qeNmX0 『足迹』(42コマ)『あらくれ』(67コマ)『黴』(328コマ)『雲のゆくへ』(479コマ)
藤村作編『日本文学大辞典』第3巻(新潮社、昭和9年6月)。 https://t.co/VZgDLH8tIZ 「徳田秋聲」(33コマ)『藪かうじ』(553コマ) 同、第1巻(昭和7年6月)。 https://t.co/uDz3qeNmX0 『足迹』(42コマ)『あらくれ』(67コマ)『黴』(328コマ)『雲のゆくへ』(479コマ)

11 0 0 0 OA 俚言集覧

【十面は作っても九面は出来かねる】 「親父も十面(じうめん)は作つても九面が出来かね」 (清涼井蘇来「当世操車」(明和3年)巻2「唐物屋久左衛門娘が事」より) 「十面」は「俚言集覧」中巻に 「澁面の音なりと云り澁面の壓面なとをいふ歟」 https://t.co/pPP5vgt3n1
https://t.co/8n1nYeclTP 単行本『爛』(新潮社)の刊行は大正2年7月15日付で、徳田秋聲全集年譜には16日に神楽坂東陽軒で出版記念会が開かれたとあります(但し「たゞれの会」とは書かれていません)。 参加者は、徳田秋聲、上司小剣、滝田樗陰、中村武羅夫、小川未明、岩野泡鳴、正宗白鳥、

7 0 0 0 OA 鴎外全集

新小説にも如此作無し〉 「雲中語(露伴 緑雨 学海 鷗外 篁村 紅葉 思軒)」(「鷗外全集」第2巻、大正13年10月)より。 https://t.co/VCBHLyikjy ※引用元は『都おち』⦅六⦆。用字は秋聲の原典と若干異なります。

5 0 0 0 OA 過去の罪

【イケメン秋聲】 徳田秋聲『過去の罪』(金港堂、明治36年11月)表紙の徳田秋聲肖像。 https://t.co/9yMpAJ3pWN よく似てますが、若干(それとも相当?)イケメン化されてますね。 装画家は不詳ですが、折込口絵(2頁大)の落款は「SW」で、「新小説」第11年第7号(明治39年7月)所載の徳田秋聲作 https://t.co/acJE0zwuKC
佐藤春夫「「風流」論」〈二、挿話〉(『新選佐藤春夫集』改造社、昭和5年5月) https://t.co/yB2NtpiivV 新潮合評会第10回で佐藤春夫が風流について開陳した説について、老大家徳田秋聲が「達見でない」と窘めたとか、久米正雄その他がああ言ったとかこう言ったとか。それらに対する反論。

2 0 0 0 OA 日本政治年報

「日本文学報国会結成さる」(日本政治研究室編『日本政治年報 昭和18年度 第1輯』昭和書房、昭和17年12月)。 https://t.co/Cs77TqhNDw 「日本文学報国会」(『青少年団年鑑 昭和18年版』日本青年館、昭和18年6月)。 https://t.co/eDnCD6bAJ8 小説部会長は徳田秋聲。

4 0 0 0 OA 青少年団年鑑

「日本文学報国会結成さる」(日本政治研究室編『日本政治年報 昭和18年度 第1輯』昭和書房、昭和17年12月)。 https://t.co/Cs77TqhNDw 「日本文学報国会」(『青少年団年鑑 昭和18年版』日本青年館、昭和18年6月)。 https://t.co/eDnCD6bAJ8 小説部会長は徳田秋聲。
愛国と戦ひの歌にはじまるわれらは古典にいふ、あかく、きよき、また猛くほがらかな心で愛国の歌を詠じ(後略)〉 「迸る愛国の熱情(決戦下の文学者大会)」(『大東亜戦と国内態勢 第一輯』政界情報社、昭和17年6月)。 https://t.co/6pr8bY7vcR

4 0 0 0 OA 文芸辞典

創元社編『文芸辞典』(大正14年6月)の「プロット」の項で、「解剖的結構」(結果から原因へと遡行してゆくもの)の例として徳田秋聲とモーパッサンが挙げられている。 https://t.co/8j0mOPykaL

13 0 0 0 OA 半峰昔ばなし

徳田秋聲などの諸君が取次ぎに出て来る。続いては紅葉君の奥さんが気の毒さうな顔をしてそこへ現はれる」 高田早苗『半峰昔ばなし』早稲田大学出版部、昭和2年10月。 https://t.co/2FaGNMo3ax
昭和6年4月) https://t.co/Zble31Qw5G 銀座西六丁目五番地のオリエンタル写真工業東京出張所にあった写場の正式名称を記載した資料が今のところ見付かりませんが、おそらく板垣鷹穂の記述「オリエンタル写場」の方が正しいと思われます。
オリエンタル写真工業株式会社  東京出張所 京橋区銀座西六丁目 (『第四拾回 日本全国諸会社役員録 完』商業興信所、昭和7年6月) https://t.co/kiQceMXH00 オリヱンタル写真工業株式会社 出張所 東京市京橋區銀座西六丁目五番地 (『第三回 化学工業博覧会要攬』第三回化学工業博覧会要攬刊行会
昭和9年11月) https://t.co/AuvxbnJ1BB 渡邊義雄による秋聲の有名な肖像写真(昭和9年、銀座オリエンタル写場)は板垣鷹穂(板垣直子の夫)の依頼により撮影したもののようですね。 ちなみに徳田一穂は撮影場所を「オリエント写場」(雪華社「秋聲全集」第4巻〈四篇の校閲〉)と書いています。

35 0 0 0 OA 浅草経済学

ある。それから二三月も続いたが、遂に東京倶楽部を見物したのを最後として立ち消えになつて終つたのである」 石角春之助『浅草経済学』(文人社、昭和8年6月)より。 https://t.co/IyIo1osQhg そんな会に秋聲が属していたとは初めて知りました(短い期間だったとのことですが)。
しかし、いふ迄もなく、徳田はこの書き方を生かして、徳田独得の文学を作り、葛西はこの書き方を学んで葛西流の小説を作つたが、嘉村にはこの書き方を使ふには少し無理なところがあつた」 宇野浩二「解説」(嘉村礒多『秋立つまで』創元社、昭和15年11月)。 https://t.co/NaEBZixPYZ

9 0 0 0 OA 百科全書

ハ何ヲ以テ専其食料ト為スヤ、未タ詳細ニ之ヲ知得セスト雖モ、此類ノ他獣ト一般ニ植物質ノ最柔軟ナル種類ヲ食ヒテ生活スルナラン、〉 ウィルレム・チャンブル、ロベルト・チャンブル編『百科全書』上巻、丸善、明治17年1月。 https://t.co/h76oMGkK03 これは日本に於けるウォンバット紹介の初出?

1 0 0 0 OA 人間と社会

芸者屋の長火鉢の前で、いゝ気になつてヤニ下つてゐる親爺さんこそ、其儘、自然主義仏とでも崇め奉るべきではなからうか」 阿部真之助「文壇人印象記」(『人間と社会』三省堂、昭和15年7月) https://t.co/hX3RMuN6UU
日本旅行会編『日本山水名勝めぐり』日本書院、昭和3年8月 https://t.co/cHoEkcT1Gh 出典が徳田秋聲とありますが、これは徳田(近松)秋江の文章(『青葉若葉』所収「車窓」)。

1 0 0 0 OA 角礫 : 随筆

内田宗義『角礫』大同書院、昭和18年6月。 https://t.co/iXAfViUvkQ この人の感覚は非常によく理解できます。私の場合、「黴・あらくれ・爛」という語の並びが以前からたいへん気に入っていました(語呂も良いと思います)。

3 0 0 0 OA 書斎独語

【愛山は自然派好み】 「所謂自然派小説家の作、何れも読むべし。文壇の縄墨を破りて新天地を開拓せんとする若き精神は読者をして快味を感ぜしむ。真山青果、徳田秋聲氏等共に我等の敬服する処なり」 山路愛山『書斎独語(其二)』(敬文館、大正2年4月) https://t.co/Ma9AoqADDN

3 0 0 0 OA サフオ

【献辞】 「徳田秋聲兄に献ず」 アルフオンス・ドオデエ作、武林無想庵訳『サフオ』新潮社、大正2年。 https://t.co/5vLdDSBgax 徳田秋聲全集年譜に、明治45年6月28日、「武林無想庵から、サフオ訳の単行本を出す出版社を紹介してくれないかと依頼してくる。その後、新潮社へ同行、紹介する。大正二年

3 0 0 0 OA 詩の原理

〈日本自然派小説の典型であり、その最も優秀なものと定評された徳田秋聲の作の如き、全くその写生文的俳句趣味で特色されてゐる。そして他の多くの小説が、より劣等な価値に於て、悉く皆俳句である〉 萩原朔太郎『詩の原理』小学館、昭和22年11月。 https://t.co/EN1EQ1F1Oq

5 0 0 0 OA 絶望の逃走

(『絶望の逃走』第一書房、昭和10年10月)。 https://t.co/3S8xdNcpT9

1 0 0 0 OA 女流日記

や、多分にフランスの心理主義文学の系譜のうちにあるやうな若いこの国の作家たちのものをけなしてかかるやうな粗硬さでは、もはや少くとも文芸の門を通り抜くといふことはできないであらう〉 佐山済「俗界と文藝」(『女流日記』日本評論社、昭和15年2月) https://t.co/peerorH0tf

3 0 0 0 OA 画人東西

作家の特色ある観察や気凛が見えて、そこで本当にその画の面白味が分つて来るのである云々〉 https://t.co/FvtalO2q1L 出典は、徳田秋聲「感想」(「美術新報」明治44年11月)。全集第19巻256~259頁所収。
(『芸術改造の序曲』早稲田泰文社、大正14年5月) https://t.co/n2RgMRgidb 「徳田秋聲全集」別巻年譜の大正9年12月2日の項に 「秋江、小剣とともに森ヶ崎大金に滞在、やがて久米正雄、岡栄一郎、武羅夫が合流」 とあるのがそれです。 秋聲は執筆のためたびたび森ヶ崎の旅館「大金」を訪れていて、

25 0 0 0 OA 人間見物

【徳田秋聲の『闇の花』を読むチャブ屋の女】 〈お俠らしい女は、徳田秋聲の『闇の花』を下に置いて、 『私、ウヰスキー飲みたいわ。ね、宜いでせう、一杯位……』 と云つたりした〉 松崎天民「チヤブ屋探訪」(『人間見物』騒人社書局、昭和2年11月)より。 https://t.co/optzswHJqe
なお『新訳伊蘇普物語』の例言に徳田秋聲とともに名の挙がっている菅野緑蔭は、同じく上田万年の『安得仙家庭物語』(鍾美堂、明治44年4月)の翻訳者にも名を連ねています。 https://t.co/onPLhgz3bV
生田長江氏のところから女中をかして来る。松原至文氏も夫妻で式に立ちあふ。私の家で御馳走膳部をスツカリこさへてやる。中々の騒ぎであつた」 須藤鐘一「あの家この家」(『神に通ずる心』良書刊行会、大正15年9月)より。 https://t.co/cRPdMm9T5r
【徳田秋聲、上田万年の『新訳伊蘇普物語』を手伝う】 「本書の出版に就ては、菅野緑蔭・徳田秋聲両君の熱心懇篤なる補助を蒙れり」 上田万年解説『新訳伊蘇普物語』(鐘美堂、明治40年11月)、「例言」より。 https://t.co/L5ITQ7BYZ1 徳田秋聲は後年、「尾崎紅葉を語る(紅葉先生と僕)」
https://t.co/faL3I0H4xS しかし江戸時代の用例で、女性が最も好きな食べ物は芋蛸南瓜と明記しているものはなかなか見付かりません。 (3年ほど前に引用した十返舎一九「串戯しつこなし」後編下之巻の例が近いといえば近いですが、はっきりそう書かれている訳でありません)

1 0 0 0 OA 大愚放語

ければ」 前田貞次郎「寓意小説 屋内旅行」(『大愚放語』岡本偉業館、明治34年11月) https://t.co/XCbeoMCZUi 〖例3〗 「芝居、蒟蒻、芋、章魚、南瓜は、日本の女の好物の随一に数へられてゐるが」 上司小剣「女の好物」(『小劍随筆 その日その日』読売新聞社、明治38年9月)

3 0 0 0 OA

〖例1〗 「しかし舅姑さへ無くば、細君は気儘放題、芝居蒟蒻薯南瓜の道楽は、おさんと差向ひで、無聊の余に生ずる御野心」 素鉄公「細君」(『穴』綺文館、明治21年12月) https://t.co/FDJSg6AVPj 〖例2〗 「たゞ此に道楽を尽さんことを願ひ。芝居蒟蒻薯蛸南瓜の外に。この道楽のなき婦人。殆んど無

5 0 0 0 OA 諺語大辞典

アダム・カバット編『江戸化物草紙』(角川ソフィア文庫、平成27年8月)注解より。 「芋蛸南瓜」は藤井乙男編『諺語大辞典』(有朋堂、明治43年3月)に https://t.co/41DCEs3oTM 「【芋章魚南瓜】婦人の好物」 と立項されており、以下のように明治時代の用例であれば幾つか見付かるのですが、

4 0 0 0 OA 現代青年道

【巡洋艦三隈】 「先頃、東京湾に、第一艦隊が入港した折、参観を許されて徳田秋聲、上司小劍等と共に、三隈を観た」 吉川英治「神と科学」(『現代青年道』新英社、昭和11年7月)より。 https://t.co/hYOr77mLij 徳田秋聲が昭和10年12月に文藝懇話会の松本学の斡旋により品川沖で軍艦三隈を観たこと

4 0 0 0 OA 人生の窓

やはり此の戸塚村で、時代もその前後だつた。彼は久しく相思の間柄であつた高仲亂菊といふ文学少女と結婚したが、その媒酌には同郷の先輩生田長江氏と、先輩徳田秋聲氏に立つてもらつた」 須藤鐘一「明治文壇垣間覗」(『人生の窓』東華書房、昭和17年6月) https://t.co/NqvZduiyaz

3 0 0 0 OA 時・処・人

「僕の愛国心は語る―― 徳田秋聲は、極めて民族的なことによつて、世界的に一流作家である」 岸田国士「日本に生れた以上は」(『時・処・人』人文書院、昭和11年11月)より。 https://t.co/M1ZjbqxvfZ

2 0 0 0 OA 小山内薫

【小山内薫の葬儀】 「参会者は千二百人を下らず、列の尾は、小屋の面した小路から電車通りまで伸びて、文人の葬式としては紅葉山人以来だと、徳田秋聲に嘆声を放たせた」 久保栄「劇団部主事」(『小山内薫』文芸春秋新社、昭和22年2月)より。 https://t.co/NIlKHezVnA
青山霞邨「シヤロツト・ブロンテーの経歴と小説との関係」(『英国の青鞜女 ブロンテー女史』敬文館、大正2年5月)より。 https://t.co/yCSTpq6bg0 『糟谷氏』は「新天地」明治41年10月に掲載。渋谷黙庵との交流を描く。
【秋聲は代表的な雅号?】 〈『ぢや何うして奥野他見男と名乗つてゐらつしやるんですか。』 『芸名です。例へば徳田秋聲とか夏目漱石とか云ふ様に、云はゞ号ですよ。(略)』〉 https://t.co/4hVH521jkP 奥野他見男『熱き血汐にふれも見で』(潮文閣、大正14年11月)より。

20 0 0 0 OA 悲風千里

(『悲風千里』中央公論社、昭和12年11月)より、八月卅一日(火曜日)。 https://t.co/yhFbYOg9UM 昭和12年8月31日、日中戦争下における尾﨑士郎の二度目の従軍の日の様子。中央公論社は同社の佐藤観次郎とともに従軍記者として尾崎を上海に派遣しました。『悲風千里』はその現地ルポルタージュ。

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19 0 0 0 OA 官報

メモ。明治20年の出版条例改定に対応する「出版届」の新様式は、明治21年内務省令第1号で定められていて、そこでようやく明治8年以来の「族籍」記載が不要とされている。https://t.co/TiC2SBkYYb https://t.co/vYQQedggz8
CiNii 論文 -  翻刻『故事部類抄』(5)曲亭叢書 https://t.co/RG9sMe6f4U #CiNii 『故事部類抄』って翻刻されてたのか。するよなあ。チェックしないで時間ないのに画像で読んでたー
#この世界の片隅に 1935年呉市で開催された国防と産業大博覧会は、すゞの嫁ぎ先の北條家で、繰り返し、かつての幸せな時代の思い出として表象されるけど、その翌年、呉市より刊行の八百頁近い記録誌(複数のカラー口絵付)全文がネット上で読めるhttps://t.co/QAVJAJTmjA

2 0 0 0 金洲詩鈔

CiNii 図書 - 金洲詩鈔 https://t.co/5FA6M7isTs #CiNii 中之島で見てきた。私の探している金洲さんの可能性は高いが決定打がない… #覚え書き
近デジに「高橋正風演説筆記」あり。まさに向陽会会員に演説したのを遠山稲子が速記したもの。 http://t.co/u5jqXBf8C4 向陽会の設立経緯は栗園の『栗廼花』とほとんど同じ。命名についてはやや詳しい。#覚え書き
http://t.co/p9f4suSS0i 「少年時代のヒットラー」
『待兼山論叢』、公開されてたんだ! 院生時代の最初の論文~懐かしい~ 「江湖詩社の桜花詠」http://t.co/JIWbheEerB  #覚え書き
近代デジタルライブラリーに、三四郎『漱石傑作坊ちゃんの其の後』なる図書があるんですが、内容よりも「この三四郎とは誰の何を騒ぐ馬の骨」「うそつけ!」など落書されており、そっちが気になります。 http://t.co/8u4B5V73kb http://t.co/NNOzY9FAhC

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